UNCUT DIAMONDS ー 『少女☆歌劇レヴュースタァライト-The LIVE- #1 revival』感想

 

スタッフ

 

【演出】児玉明子 【脚本/作詞(1部)】三浦香

【音楽(1部)】中村康隆 【音楽制作(2部)】山田公平

【劇中戯曲制作/作詞(2部)】中村彼方

【振付(1部)】八木絵己子 【振付(2部)】増田佑里加

【殺陣指導/演出補佐】市瀬秀和

【美術】中西紀恵 【照明】林順之 【衣装】小原敏博

 

キャスト

 

スタァライト九九組

【愛城華恋】小山百代

【神楽ひかり】三森すずこ

【天堂真矢】富田麻帆

【星見純那】佐藤日向

【露崎まひる岩田陽葵

【大場なな】小泉萌香

【西條クロディーヌ】相羽あいな

【石動双葉】生田輝

【花柳香子】伊藤彩沙

 

【アンサンブル】

菊永あかり 木原実優 倉持聖菜 後藤早紀

佐藤聖羅 甚古萌 中村景好 馬場莉乃

 

【走駝紗羽】椎名へきる

【烏丸ウラ羅】真田怜臣

【綿里鶴子】小林風花

【キリン(声)】津田健次郎

 

2018.01.08 AiiA 2.5 Theater Tokyo.千秋楽公演.

 

※一部コミカライズ参照して書き起こし。

 

第一部 ミュージカルパート 75分.

 

鐘の音、並ぶ九人のシルエットと共に始まる。

スタァライトの始まり ーー その「再演」。

 

ドレープカーテンの裏側 祈るように手を握り合わせて

静かな熱狂に向かって ねえ私たちが連れていくよ

 

エンドステージを染めるのは この歌声、この身体

3・7・5・1・0

 

幼き日、ひかりと華恋が戯曲『ザ・スタァライト』に目を焼かれる。

走駝先生が演じていたその演目。タワー・オブ・デスティニー。演者は8人。

暗い世界でこそ光は輝く。

幼なじみのクレールとフローラは、

禁忌を破って光り輝く星を積むため、高い塔を登り始める。

立ちふさがる六人の女神さえ二人の歌声に心を開くが、

頂上の門を開いた時、フローラは星の光に目を焼かれ、まっさかさまに落ちていく。

そして塔は星の重みで崩れ、残されたクレールは幽閉されてしまった。

スタァライト。それは悲劇で終わる物語。

キラめきに心を奪われた者たちは、ただ落ちて崩れ、輝くのだ。

 

あれから長い月日が経って、華恋たち聖翔音楽学園の生徒たちは一流の舞台少女になる為に鎬を削っていた。

教師たちは卒業生たちの残した「伝説のしごき」舞台装置コロス(舞台用語で脇役を指す。文字通り舞台装置。合唱隊のchorusが語源ともされる)を発動し、我の強い8人はこれに対峙。しかし怯えたまひるは窮地に陥ってしまう。

助けに駆けつけようと華恋が動き出したその時、転校生ひかりが舞い込んでくる。

それは華恋とひかり、運命の二人の再会だった。

伝説のしごきを乗り越えた9人に、走駝先生はご褒美を与えようという。

 

一度開いた幕は下りないってこと

 

異様にギスギスして当たりの強い真矢、クロ、双葉、香子。

クレージーさが強調されている純那。ツンと澄ましたひかり。

攻撃的な敵対意識の強い生徒たちの中、ななは「8人で演じた去年のスタァライトが崩れる。去年のスタァライトを忘れたくない」とナーバスに陥る。

ひかりと華恋の関係に疎外感を覚えるまひる

 

そこから本作のハイライト『私たちの居る理由』が始まる。

ここにいる自分の理由を個々に歌う9人の歌声が一つのレヴュー曲となる。

その盛り上がりの交接点を『時を止めて 大人にならないで』と最初に歌い上げて持って行くのがななであり、最後は華恋が主旋律を担いその上で皆を歌わせ、最後にひかりが合流する。

 

そして「オーディション」が始まる。

教師たちは「客席から」この世界のルール説明の役を担わされる。

スタァライト』の世界を理解する上で必要なルールはほぼこれがすべて。

 

「緞帳の匂い 簀子の匂い 照明が埃を焼く匂い

 

 舞台少女の中から溢れ出る情熱を感じれば感じるほど

 舞台が ライトが 音が 衣装が セットたちが勝手に踊り出す

 舞台少女の力に舞台が応えてくれる

 

 1対1で競い合い 勝った者が相手のキラめきを手に入れる

 それがレヴューオーディション」

 

舞台少女たちのキラめきに答えて舞台機構が動きだし、怒濤のレヴューが続く。

 

『激昂のレヴュー』純那VSひかり

『嫉妬のレヴュー』ひかりVSまひる

『孤独のレヴュー【再演】』ななVS華恋

『絶望のレヴュー』双葉VS香子

『迷宮のレヴュー』真矢VSクロディーヌ

 

やがて殺伐とした戦いを否定した華恋にななが協調し、そこからなし崩し的にコロスとのクライマックスに突入する。

 

実は物語じゃないのだ。

それぞれの心情を背負った9人がここにいる、という状況を立体的に伝える。

それが舞台。

映画やアニメ、前方へと直線で進む時間軸の映像メディアに対して、ここではただ状況があり、それを様々な(而して圧倒的に主演9人の身体を活用した)舞台機構の推移と殺陣、歌とダンスで、上方へと膨れ上がらせている。

メディアミックスとはよく言ったもので、ここから上方へ「展開」した状況が再び収斂し、それぞれに落下して、最後にはバラバラの個に還る。ただそれだけの物語が『レヴュースタァライト』なのかも知れない。

時間軸で言えば進んでいるのかどうかも定かではない。最初から最後まで全部舞台の上にただあり、そして再演される(初演はソフト化されておらず、映像として記録されているものの始まりからして「再演」でしかない、という宿命)。

 

前半では九九組自身によって「仲間」という概念が嘲笑されるのに、最後には一時共闘の空気が生まれる。この中間が欠如していて、これが直線的な映像作品のストーリーテリングであれば欠陥とされるかも知れない。

この共闘は華恋の声にななが賛同することで成立するが、そのななの発する台詞の意味のイチイチをこの時点では観客も、そして演じるキャストさえも知らず、どこまでも「みんな」「仲間」が表面的なものでしかない点をより強調する構造も意地が悪い。

意味的にはどこまでも成立していないものが、ただ歌って踊ることでのみ、その様に魅せられる舞台機構たる観客がいることによってのみ、陽炎のように儚く成立している。

 

フィルム・ノワールのようなものかも知れない。事件の因果関係は煙に巻かれたまま、気がつけば銃声の一発で勝手に終わってしまう乱暴な映画のように。

「個」を主張しぶつかり合う少女たちのドラマが、「レヴュー」で歌と踊りと殺陣によって勝手に終わっていく。

 

物語は無く、そこに活動するエネルギーの残像だけが残される。

 

 みんなと並ぶカーテンコール

 眩しいシーディングライト

 舞台から見えるシートシルエット

 

あるのはそう、それだけ。

いきなり#1だけを魅せられた当時の舞台創造科の皆さんはこのあまりに極端な構成の舞台をどう受け止めたのか(受け止める為に必要な最低限のピースも伏せられているのに)、ともかく羨ましいと同時に果たして自分は本公演だけでハマれたかどうかはわからないが、この恐ろしくシンプルで抽象的な一時間ちょっとの舞台に、今後スタァライトが展開する全ての物語がもう詰まっている気さえするのが不思議だ。

 

ところで華恋と相対するかに見えて共感するななの立ち位置は、『アルカナ・アルカディア』でのまひるとの衝突で大きく否定されることになるので、スタァライトのメディアミックスにまで手を出した人は是非スタリラをインストールしてメインストーリーだけでも読んで欲しい(アルカナ・アルカディアは後日談がこの上なく「完結編」なので、ソシャゲ特有の終わりの見えなさは味合わなくて済む)。

 

第二部 ライブパート 35分.

 

1.舞台少女心得

2.願いは光になって

3.情熱の目覚めるとき

4.GANG☆STAR

5.Fancy You

6.Star Divine

7.スタァライトシアター

【カーテンコール】Glittering Stars

 

ミュージカルパートから間髪入れずにライブパート。

九九組の歌もまた、どれも「始まりにして終わり」のような、本作を演じるキャストが、そして観客が、スタァライトを通して『舞台』という、あるいはそこにいる「役者の今」と言う、耐えず一過性の世界に何を想い、何を感じ、いかに熱くなり、そして切なくなるのか、あらかじめ全て仕込まれている。

だからライブにして、やはり本編と地続きのミュージカルパートなのだろうと思う。

 

そしてすべてが「一過性のもの」として仕込まれた『レヴュースタァライト』唯一の誤算が「劇場版がロングラン上映され続けている」という展開であり、たえず舞台少女たちのキラめきに焼かれ、落ちていくことしか出来なかった舞台創造科が、「今も映画が上映され続けている世界」という舞台をキャスト達、スタッフ達に与えることが出来たというのは、一矢報いたというのはおかしいかも知れないが、ひどく痛快な出来事じゃないだろうか。

私たちも、ひかりに負けたくないのだから。

 

 

 

映画やアニメの感想なら惰性でも言葉がいくらでも出てくるのに、舞台のことはわからな過ぎて、知らない感覚が多すぎて、本当に思っていることを言語化出来ない。

それが楽しい。乱文お付き合いいただきありがとうございました。

 

 

 

そっ

 

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今、世界を巡る ー『harmoe 1st LIVE TOUR「This is 𝒉𝒂𝒓𝕞𝕠𝕖 World」』感想

 

(推敲せずの雑文で失礼します)

 

当人達さえ「𝒉𝒂𝒓𝕞𝕠𝕖ありきでプロジェクトがあるのか、プロジェクトありきで𝒉𝒂𝒓𝕞𝕠𝕖が選ばれただけなのかわからない」と語る明快なコンセプトを主眼に据えた𝒉𝒂𝒓𝕞𝕠𝕖。

その1st LIVE TOUR『This is 𝒉𝒂𝒓𝕞𝕠𝕖 World』に参加してきました。

 

『音楽と物語はいっしょに歩く』を掲げた𝒉𝒂𝒓𝕞𝕠𝕖は、シングルごとに特定の物語、誰もがイメージを共有し易い世界を、一枚のCDの中、或いは更に膨れ上がらせた𝒉𝒂𝒓𝕞𝕠𝕖 canvas sessionというイベント、もっと言うとMVや各種グッズ、写真、ファンクラブサイト、メイキングも含めて、行き届いたアートワークと二人の成長や感受性を蜘蛛の巣のように張り巡らせて相互作用をもたらせながらパッケージングしています。

トータルとしての世界に浸らせようという目論見。

 

声優ユニットにして特定の作品タイアップを1st ALBUMまでの一連の流れで一切やらないという異色の拘りからも明白ですが、あくまで「表現する世界」が最上位にあって、そこに全てのセクションが結集していく形になっています。

にも関わらずその「表現する世界」が既存の物語であり、次々様変わりする矛盾。

 

その矛盾を「世界旅行」になぞらえた、最初の集大成であるLIVE TOURでした。

※参加したのは初日名古屋と千秋楽東京。

 

当日の感想、配信アーカイヴの感想、打ち上げアフタートークの書き起こしが混ざっています。

自分でもすべての記憶が混在としていて、、、。

ボス曰く「旅の思い出って時系列通りじゃなくて行ったり来たりするでしょ」

そういうことです。

 

M1『キュリオシティ・パレット』

 

canvas sessionⅢが初の現地参加となる遅れてしまった身としては、改めてこの曲、それも実質「正規のメンバー」であるダンサーのお二人花菜さんKaoRi*さんと並んで「スタート時」の状態から始められる事の嬉しさ。

 

大きな階段と、ティーパーティーの小道具をそのまま持ち込んで本当にお茶(スロートコート)も注いだその舞台装置も紗幕越しに最初からずっと見えていて、ドアを開閉して行き来する、移動ではなく「ドアを開閉する」という手段そのものが目的化した「動作」が主役になる、ミュージカル的コレオグラフィの醸し出す「舞台」の匂い。

その舞台宣言は開幕から閉幕まで、ずっと生き続けていたと思います。

 

M2『きまぐれチクタック』(fu_mou Remix)

 

ダンスREMIXを想定した流れのセトリなんて誰が予想出来るか、と思うけれど「ルールなんて自分で作るの」宣言からの「セトリ予想キャンペーンなんてブッ壊すの」なんですよね(?)。

 

配信で見ると思いっきり歌詞間違えてますが、不思議なもので7月のリリイベでは二人の間違いがそうとわかったのに、ライブ現地ではチラホラある間違い箇所にほぼ気づけず。

生の音圧によるものか、或いは二人の歌声に聞き入っているようで、音が楽しくって楽しくって間違いも気にならないくらい揺れていたのか。

 

落ちサビ前の間奏、トロピカルなアレンジが控えめながら2ndシングルの世界観への導入のような予感も匂わせつつ……。

 

M3『私のヒミツは』

 

2nd飛ばして一気に3rdの世界へ。

どうしても心がcanvas sessionⅢのアラビアン世界から帰ってこない困った人間なので、もうバックスクリーンに投影されるキャンドルだけで泣きそうです。

「ヒミツを思い出してしまった」のmoeの意味深長な表情。

「今日も少しおどけるの」のharのお下げをファサッとするポーズ。

例えば北村紗衣著『お砂糖とスパイスと爆発的な何か』で女性がハマるポールダンサーの魅力など語られていますが(この日のステージもバックダンサーが階段から降りる際に使用するポールが用意してある、お洒落)、どこかそうした琴線に触れるような健全なエロスが漂っていたのでは。

その色香がエキゾチックなムードを醸成して異世界に誘ってくれました。

たぶん今年、全音楽の中で一番聞いた曲『私のヒミツは』。

間奏時、「ダダン!」「ダダン!」「ダダン!」とポーズを変えていく中の最後のポーズで腰を一度下げて屈んだまま持ち上がるポーズが、キャンセⅢ(たしか第一部)で死ぬほど格好良かったのが忘れられません。

※ふたりピノキオ限定盤特典BDでキャンセⅢのフリを確認したのですが、ダダン!の手前、管楽器がフワーワーと鳴くその三段階目のフリですね、たぶん あれが死ぬほど格好良い回があった! 筈

 

かなみ先生「この曲からガッツリと踊る。本気出してきたぞってわかる」

ボス「実は小泉さんの提案でハンドマイクをやめて全曲ヘッドセットでライブしたのに、ファンの方でそのことに驚く声が見あたらないのが面白かった。舞台少女であるお二人がやるということで、『そういうSHOWなんだ』って自然と受け入れている」

𝒉𝒂𝒓𝕞𝕠𝕖も気づけなかった左右のレーザー映像演出、自分も気づけませんでした。客席によって気づけてる人も結構いたので、本当にディズニーランドのアトラクションのそれみたい。

 

M4『passport』

 

紗幕を下ろし、その場にいる二人の姿が王宮のナイトプールで水面に揺らぐかのような水中世界に映し出される。

名古屋では二階最後列、東京では一階最前列という極端なライブ体験をしたのですが、名古屋で遠景として見たこの特殊効果の、会場全体がアート空間に様変わりする驚き(セットを使った手作り感溢れる舞台装置から一転してのリアルタイム映像演出だったので、不意を突かれる)。

一方、最前で見た際はスクリーンを見ず、「カメラに向けて演技している二人の姿」を直視出来たことも非常に貴重な体験でした。

 

M5『Jasmine』

 

スカートを千切るように短パンにキャストオフする衣装チェンジ格好良。

もくもく焚かれる圧巻のスモーク。

𝒉𝒂𝒓𝕞𝕠𝕖は「ライブで空を飛びたい」とずっと願っていて、流石に叶わなかったのかと思っていましたが、配信で見るとここはまさしく雲の上。思えば名古屋でスモーク演出を見た時、ペンラの光は雲間に薄く透ける夜間誘導灯のようで、ステージからこの光景を見た二人の心が空を飛べていたらいいな。

 

ボス「序盤でファン人気高い『私のヒミツは』『passport』『Jasmine』を一気に繋ぐことでボルテージ上げる。ライブをMC無しで駆け抜けるのは小泉さんの案」

moe「だって格好良い曲の間でこんなグダグダなMCしたら……。この曲から、段々とお客さんも『あれ? ダンサー何人いるんだ?』ってなり始めてるはず」

かなみ先生「スモークに紛れて入れ替わり立ち替わり出てきてるからね」

ボス「最後にバックステージに移行した二人のダンスが映像で映り、ここでさっきまで客前で披露していた衣装が並行した照明を複数当てることで目映く輝いて映る」

har「ここ収録だと思ってるだろみんな~。リアルタイムで踊ってるからな~」

moe「私たちに休みなんて無かったからな~」

 

M6『アラビアン・ユートピアン』

 

この曲自体はキャンセで見ているのですが、それでも今回はMV通りダンサーが10人(名古屋で当初の全員揃ったパフォーマンスも見れた)揃って順に手を挙げていく、その視覚的快楽がヤバい。

お衣装も大事なのは勿論、やはり身体こそが視覚を惹きつけて世界を構築していく。

VJの映像が滅茶苦茶凝ってて格好良かったのも印象的です。

 

M7『SKIT~SKY~』

 

音的な予兆で『雪のかけら』に繋ぐのかと思わせて、でも実際には『Make a paerl』に繋がる。けれどSKIT明けで衣装チェンジして『雪のかけら』的な真っ白なお衣装で登場。と、観客側に起こる無意識下での「繋がり」をどこまでコントロールされているのか、気になります。

 

M8『Make a pearl』

 

4人の振付けが美しく、ダンサー二人が𝒉𝒂𝒓𝕞𝕠𝕖の肩に手を添えることで、オフショルダーの衣装がちゃんとそこに息づいて呼吸する。綺麗過ぎて綺麗になりました(夏吉ゆうこさんのライブ感想表現良過ぎ)。

 

ライブ全体で生足がほぼ露出し続けてる状況、終盤の薄手のスカートも完全に透けていて、moeが美脚である分、最前で見ていて最初は若干目のやり場に困りましたけど、次第に無駄な露出ではないことに安心して、変に意識せず格好良いパーツとして見れるようになりました。

 

M9『雪のかけら』

 

これは最前のデメリットで、大量の雪が降ってくるので吸ってしまい、むせました。雪の正体なに? 吸って良かったもの? それもまた楽しかったけど。

スクリーンに台詞が映し出され、二人がバストショットで演じるという、やはり前後する「舞台装置」とのギャップでの映像ギミックが光る一曲。もちろん映像ギミックさえ『スタァライト』の一言で「舞台装置」とも呼べてしまうのですが。

『passport』同様、目の前で「二人が芝居をしている」様を見れたことが本当に光栄でした。ありありと表情をコントロールしてる事がわかった。首筋の筋肉の動きさえ。

ここまでしんみりしている曲でもダンサブルなリズムキープがなされていることも、個人的に𝒉𝒂𝒓𝕞𝕠𝕖好きな所以です。踊り続けよう。

 

ボス「映画にしたかったから、台詞パートは収録しておいた二人の台詞が二人とカメラさんにだけは聞こえるようにして明確にカット割りして、配信では上下黒味にしている(シネスコ風)」

moe「ハモ歌ってメロ歌ってハモ歌ってメロ歌って交互にしてる。表情に集中して、雪を吸ってしまわないよう呼吸に集中して…(大変だった)」

ボス「ここで踊りまで付けてたら終わってたよね」

 

M10『空想エスケープ』

 

楽しい! 思い出すだけで全身が跳びはねる。

思えばペンラ演出、クラップ、振付けの共有、ドロップでの大暴れ。

ルームメイトのやること非常に盛りだくさんだったのですが、まったく苦じゃないのはそれこそダンス・ミュージックならではで、縛りの多いコロナ禍に始動した𝒉𝒂𝒓𝕞𝕠𝕖の目論見がよく判ってきました。

声ではなく身体を通したコミュニケーション。

え アタシ!? お前が躍るんだよ。

 

moe「『雪のかけら』からの繋ぎが好きで、この主人公は『雪の女王』の絵本をめくっていて、今読み終えたのかなって」

かなみ先生「『ラプンツェル』を想起させたくて、ダンサー達がラプンツェルの髪であり、壁でありしている。ドロップのダンスは、指示がなくてもきっと観客のみんなすぐ踊れるだろうと思って、そしたら本当に踊ってくれた」

 

M11『ふたりピノキオ』(名古屋ではM19)

 

MVを見た時、倍速なのかなと思っていた振付けがそのまま実現している様に面喰らいました(メイキング見ると倍速パートと通常パート分けてありましたね)。

花菜さんKaoRi*さんの「糸さばき」が見事なのも効果的。

 

かなみ先生「二人の身長差ってトリックアートのようでいいよね。花菜とKaoRi*の身長差も実は二人と揃えてある」

 

M12『HAPPY CANDY MARCH』

 

下手側だったので、一番丸々二人の目の前で、サビも踊りきりました。

リリイベで最初に振付け教わる回に参加して、その時は全然だったのですが、このとき感じたこととしては「もっと踊りたかった」です。

続くピタゴラスイッチから鼓笛隊の腕振りまで、全部覚えていけばよかった。

踊るって、楽しい。

そして最後にはるちゃんと手を取り合って笑うもえぴの崩れた笑顔。こんな幼くて愛らしい破顔を目の前で見れるのか。現実なのか。すべてが夢のようでした。

 

har「このもえぴ意地悪なんですよ」

ボス「これって何が正解なの? はちゃんと力比べしてるの?」

moe「あたくしとお腕の長さが違うから。そしたら最後にはちゃんの圧が!」

har「私が必死に伸ばしてるのにもえぴまで伸ばしてくるから対照にならなくて」

 

M13『SKIT 〜EARTH〜』

 

ダンサーさん達めっちゃ目を合わせてくれるのが楽しくて、無限に熱く手拍子してました。

 

かなみ先生「こんなにダンサーにスポット当たるライブも無い。ずっと踊り続けてる」

𝒉𝒂𝒓𝕞𝕠𝕖「ダンサーさんによっては私たちより衣装多い」

かなみ先生「そしてメインの二人までこんなに踊り続けるライブも無い。振り付けてて楽しい」

 

M14『一寸先は光』

 

ルフィみたいな両手を伸ばす振付けが面白過ぎるし、moeの手足の長さが最大限活かされていて好きです。

ここから衣装がツアーシャツをベースにしていて、より会場の一体感が高まりました。

スモークで空飛んでる感じを出すアイデア、ここでボスがちょっと言ってますね。

 

M15『harmony to the West』

 

繋ぎが気持ち良すぎる(このあとのククタナまでずっと地続きに錯覚した)。

これまたかなみ先生の振付けが、ダンサーさんが複数いる事がフルに効果を発揮。

バトル合戦は二階から見た時の方が良さがありました。

かけ声は初日に応募したのですが、配信含めて一度も耳をすまさなかったw

 

かなみ先生「もえぴって、歌い方と踊り方と表情が全部連動するじゃん。私そこが好き」

har「私も好きだよ」

moe「うれれー!」

 

M16『ククタナ』

 

『空想エスケープ』もですけど、イントロで「これからこの最高の曲に併せて踊り狂って許されるんだ、そして自分たちにも託された役割があるんだ!』というこの感情、紛れもなく私たちは舞台の上、そして燃え尽きるキリンでした。

高音ハモを選んだのに「逃げろ」で主旋律になるもえぴの声。

名古屋最後列からの東京最前列のギャップが最大に活きた、大量のダンサーさんの出演。一瞬、何が起こったのかわからなくて、悪夢的でさえあってクラックラした。本当にビックリしました。ジャングルだった。

 

moe「この曲もうどこが主旋かわからない。現地(アフリカ)のハモり方、日本ではしないメロディー」

ボス「作った(田中)秀和さんもレコーディングの時どこが主旋かわかってなかった」

 

M17『マイペースにマーメイド』

 

三森すずこ天才。ここに来てなにげに歌詞がすごく胸に浸透してくるんですね。

𝒉𝒂𝒓𝕞𝕠𝕖の中でもトラックに対する言葉の置き方が一番HIPHOP的。

思えば𝒉𝒂𝒓𝕞𝕠𝕖 canvas sessionⅡの映像をツイッターで見て、「なんで行かなかったんだ。やってるの知ってたのに」と後悔したことが𝒉𝒂𝒓𝕞𝕠𝕖沼の始まりだった気がします。あれから一年。追いついたよ。

『一寸先は光』で「始まったばかり」と錯覚したり、かと思えばこの曲で「ゴールした」と浄化されたり。時間感覚が狂っていました。

 

ボス「名古屋終えて、ククタナからの曲間開けた」

かなみ先生「二人大変そう過ぎだから、頭は振りを抜こうか?って言おうとしたけど、やめた」

moe「でもやめようか?って言われてたら、踊りたいって言ったかも」

ボス「いつか声出せるようになったらやってみたいね。『私たちハモやるから、お客さんみんなは主旋律歌ってねー!』」

ボス「コンポーザーさん、みんな『生楽器で録ってイイですよ』って言うとすごく張り切ってくれる」

 

ここでやっっっっっとMC。

「こんなに沢山の皆さんの」というもえぴの言い方ですよ。

私たちが 今歌ってもピッタリな曲だけど

 この先 何年経ってもこの曲はね 虹のように色褪せない曲だと思います

『セピアの虹』への思い入れ、それもやはりキャンセⅢ、二度のリリイベ、名古屋とすでにリアルイベントで本人の口から聞くこと東京で早や7回目だったのですが、だからこそ最後に付け足された言葉が響きました。

 

だけど今歌うからこそ意味がある曲だと思うので 聞いてください

 

ボス「俺よっぽどここで『ばなナイス』指示しようかと思ったけど」

moe「あったとしても無視するけどね!」

 

もえぴ痛恨のミス

『……あっ!』 

この「あっ」のあと振りが合うタイミング完璧。

 

moe「私だけが間違えてると思ったら大間違いだからね!」

har「私も足が出ちゃってるけどスイッチングで見えてない」

har「あのお陰で笑って、セピアで泣かずに済んだ」

ボス「客席もドッて笑ってたからね」

かなみ先生「𝒉𝒂𝒓𝕞𝕠𝕖っぽい笑顔になったよね」

 

M18『セピアの虹』

 

笑いながら歌い始め、一緒にクラップまで出来る多幸感。

 

moe「『自分を信じてあげよう』のとこではちゃんが私を見てきちゃったんです」

ボス「あれ? これ泣いてない?」

かなみ・har「泣いてる!」

moe「目を見やがったから。隣りのちっちぇえ奴が」

har、moeにパンチ。

 

最前、はちきれんほど拍手してる手が映ってると思います。

 

アンコール、現地での体感一瞬だったのに配信で見るとそれなりに長かった不思議。

 

impress

 

配信と現地の最大の違いとしてやっぱりウーファーから臓腑に響き渡る音圧の有無があるのですが、このロゴチェンジの唸りも現地最前半端なかったです。

 

𝒉𝒂𝒓𝕞𝕠𝕖 will go to the villians world.

 

このロゴ変、不穏な『スタァライト』っぽい圧が、実はキネマシトラスさん不在の部分でも成り立つんだなというのも発見でした。

 

M19『Wonder Girl』(名古屋では『セピアの虹』)

 

・挨拶

 

二人は実質、『愛城華恋は次の舞台へ』を言っている。

 

M20『きまぐれチクタック(正規のアレンジ)』

 

ライブの最初と最後二曲でファーストシングルをなぞるという粋な計らい。

 

最後の振付け、目の前で見た二人の寝顔が忘れられません。

「世界一周」というコンセプトは、ステージを次々と変えて進んでいく舞台少女の、或いはみんなの、人生そのものの物語。

矛盾しているようで、「物語を演じているという物語」を表現する、やっぱり次々舞台を変えていく舞台少女の二人だからこそ背景にその説得力が立ち上がって成立したコンセプトだったと思います。

そんなThis is 𝒉𝒂𝒓𝕞𝕠𝕖 World。私たち史上最高の夏をありがとうございました。

 

 

夢の中でまた新たな世界を巡る。それまでしばし、

 

𝒉𝒂𝒓𝕞𝕠𝕖・かなみ先生・ボス「おやすみなさーい」

 

 

 

それでもウタは鳴り響く ー 『ONE PIECE FILM RED』感想

 

スタッフ

【監督】谷口悟朗

【脚本】黒岩勉

【原作・総合プロデューサー】尾田栄一郎

【音楽】中田ヤスタカ

【キャラデ・総作画監督】佐藤雅将

【美術】加藤浩

【撮影】江間常高

【編集】検索しても出てこず。どなたでしょうね、編集が主役の映画。

 

キャスト

モンキー・D・ルフィ田中真弓 【ウタ】名塚佳織/Ado(歌唱) 【赤髪のシャンクス】池田秀一 【ゴードン】津田健次郎 【ロロノア・ゾロ中井和哉 【ナミ】岡村明美 【ウソップ】山口勝平 【サンジ】平田広明 【トニートニー・チョッパー大谷育江 【ニコ・ロビン山口由里子 【フランキー】矢尾一樹 【ブルック】チョー 【ジンベエ】宝亀克寿 【シャーロット・オーブン】木村雅史 【シャーロット・ブリュレ】三田ゆう子 【トラファルガー・ロー神谷浩史 【ベボ】高戸靖広/上田麗奈 【バルトロメオ森久保祥太郎 【コビー】土井美加 【ブルーノ】佐々木誠二渡辺久美子 【ベン・ベックマン】田原アルノ 【ヤソップ】小林通孝 【サカズキ/赤犬立木文彦 【ボルサリーノ/黄猿置鮎龍太郎 【イッショウ/藤虎】沢木郁也 【カリファ】進藤尚美 【ロブ・ルッチ】関智一 【チャルロス聖】茶風林

 

 スタァライトの極爆上映を前に初めて訪れた立川シネマシティ、シネマ・ツーa studioにて鑑賞。Adoの歌声以上に腹の奥に響くリズムが前のめりに作品世界に誘う面白鑑賞体験。

 TVアニメ以前、最初のONE PIECEOVA以来24年ぶりにワンピースの世界に帰ってきた谷口悟朗監督作品。アニメ見始めた頃『プラネテス』『コードギアス』を一気見してオタクになるきっかけをくれた一人だった谷口監督、他にも未見ながら『無限のリヴァイアス』『スクライド』『ガン×ソード』と語りぐさの伝説のアニメを沢山持っている大巨匠、の筈なのに、自分がリアルタイムでアニメを追うようになってからは、B級的な楽しさは維持しつつも話題になることはなく、どんどんその存在感が軽くなっていく印象。

 名作コードギアスの粗雑な映画化からも、或いはファンタジスタドールを野崎まどがノベライズ化した際の、最初からそうなる事は(アニメより小説が評価されてしまう事は)わかっていたかのようなあとがきに寄せた負け惜しみのような文章からも、ご本人は常に若く、最前線にいたい人なのだと思う。きっと「巨匠」じゃ嫌なのだ(邪推ですよ)。

 その欲求が「Vチューバーっぽいパフォーマンス*1」「ガルパン以降の体感型劇場アニメ」「ボヘミアン・ラプソディ以降のライブ型音楽映画」「ワンピースの始まりを知っているO・RE」という諸要素を余さず織り込み、そして谷口作品の良さであるスピーディーさ、ここでは絶えず必要な間をワンテンポ早く前のシーンにのめり込ませる、実は音楽鳴ってない部分でも音楽的な時間操作術で麻薬的な快楽を生んでいる。

 ベポのギャグなどで笑いが死んでいるのは、そうした「間」の可笑しさを引き立てるには前提である通常の時間が1.5倍速くらいの体感で流れているから。

 

 そうした性急さの引き替えにギャグだけでなくお話も死んでおり、始まった時点で破綻の明解なウタの独善がひとつずつ後出しジャンケンで剥がれていくだけの話は、ルフィに対するアンチテーゼたり得ていない。だからルフィは感情のぶつけ先がなく、ウタの心配しか出来ない。この点は『オマツリ男爵』からさえ後退している*2

 ウタの「ここから世界へ届けようとする」願いはすべて「海賊として自ら嵐に飛び込んでいく」ルフィの正反対、片割れ、相互補填しうるものなので、最後にルフィと一つになって完成する。*3

 

 まず冒頭の「海賊という存在の諸問題」について途中で完全に忘れ去られる(或いは海軍と相対化して霧散する)のも問題ながら、ウタの意志もまた、要素としては流行りを取り入れつつ「若い子は思い上がっちゃってダメですね(ズズ…)」と、インターネットを傍観するマジョリティのジジイが溜飲下げて終わる程度の保守的極まりない退屈な「事実」だ。

 しかしその「事実」を引き受けた上でウタは歌う。その歌声が遍く海賊時代に響いているとするエンドロールに真のゴールがある。

 「エンドロールを経てのオマケ」にここまで意味を与えた映画も珍しく、その過程を経て今までどうにも目的や理想のよくわからなかったルフィという中心の空白に巨大な主題が与えられるのは数十年越しのカタルシスがあった。

 

 「話の弱さにウタの音楽が勝つ」という映画内要素のせめぎ合い。ここにやっぱりスタッフのエゴさえ大きく上回ったAdoという時代の寵児のオーラとシンプルに歌唱法のバリエーションの豊富さがあり*4、若くあろうとする谷口監督の欲求が刹那的に、おそらくは音響の良い映画館の中で最大限に適った、大航海時代のロマンに似た夢があった。

 

 

 オールスターを『スタンピード』で終えたので、脇役を揃えて活躍させるのも個人的に非常に好みでした。

 

 ウタに思い入れると引きずること必至ですが、古くはドラえもんのバギーちゃん、クレしんの青空侍につばきちゃん、近年では鬼滅の刃の煉獄さんに呪術廻戦のリカ、そして来たる劇場版チェンソーマンのレゼ(あるでしょ)、映画館がこうした特別な出会いと別れの時間として機能するのであれば、個人的には非常に好みです*5

 

 結論:久々の映画館サイコー。

*1:実際にモリ・カリオペと星街すいせいのバーチャルライブを目にした時の衝撃には正直まったく及んでいなかったけれど

*2:流石に『竜とそばかすの姫』から一年は短いので真偽はともかく、細田守への挑戦状とも取れる

*3:ここでルフィに余計なことは言わせず、表面上はあくまで異なる生き方がそこにあったとだけ示して終わる見せ方は、実は泣きに走った時よりもワンピース世界の本当の美学だと思うので良かったですね。

*4:彼女が引き立つよう最大限歌唱シーンまでの「音」の持っていき方を支えた名塚佳織の技巧も素晴らしい

*5:だからこそ『進撃の巨人』のラストも映画館で観たかった