スタァライトに狂いつつ最近見ていた映画の採点

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最近観た映画の感想を20本ずつあげていきます。

もうシリーズ何本目か忘れました。よければカテゴリーで辿って過去のも読んでね。

今回はとあるホラー監督を重点的に追ってみました。

年内にもう一本くらい上げたいところです。

 

では。

 

希望のかなた

【評価】A

【監督】アキ・カウリスマキ過去のない男

【制作国/年】フィンランド・ドイツ/2017年

【概要】貨物船の荷物に文字通り塗れてヘルシンキ密入国した青年カーリド。彼はシリアはアレッポの内戦の空爆により家族を失い、妹とも生き別れの身。隣国トルコから脱出し、なんとかフィンランドに辿り着いたのだ。しかし入国管理局で着々と迫る強制退去の時……。一方その頃、初老の男ヴィクストロムはうんざりした人生を投げ出し、ギャンブルで一発当てると場末のレストランを(騙されて)買い取っていた。

 二人が出会うまで、もうあとわずか。

【感想】

 『ル・アーヴルの靴みがき』に続くカウリスマキの「難民三部作」これが第二作目にで、三作目も予定されているらしい。しかめっつらの侘しい中高年たちが、何も無い部屋の隅っこで貧相な食事を嗜み、絶対笑わない。そんな現実離れしたカウリスマキワールドと、現実的なバックボーンを帯びたカーリド。あたかもリアリティラインの異なる二つの位相が交互に映され、やがて混じり合う。別に善人とも思えないようなふてくされた人たちが難民に示す当たり前の善意が、異なる世界を受容出来る人の可能性をモノ言わず伝えてくれる。

 『花束みたいな恋をした』で本作をサブカル的に消費していたっぽい麦くんと絹ちゃん、ちゃんとこれ受け止めたのか気になるところ……。

 

希望の灯り

【評価】B

【監督】トーマス・スチューバー

【制作国/年】ドイツ/2018年

【概要】旧東ドイツライプツィヒ近郊。巨大なスーパーマーケットに、新しく大人しい青年クリスティアンが働き始める。刺青をそっと長袖で隠し、飲料部門の研修員として巨大スーパーの中をフォークリフトで移動し続ける。職場の老獪な仲間たちはかつてトラック運転手仲間だったが、今では東西ドイツ統一後運送会社を買収したこのスーパーで働いている。

 ここでクリスティアンは年上の同僚マリアンに恋をするが、何やら訳アリの様子で……?

【感想】

 恐らくヨーロッパでは主流のコストコ風巨大スーパーという舞台を魅惑的に撮影するフェティッシュな画面の魅力が、次第に殺風景な世界(日本の郊外住宅地と見紛う)にも敷衍していく。空間の妙に浸り、多ジャンルに渡るジャーマンポップスに身を委ねていると、ふっとより広い視座で孤独に晒される。

 巨大資本の中を移動するフォークリフトをどれだけ制御して扱えるか。

 劇中教習所のビデオの中で唐突なスプラッターが描かれるのが、生真面目ドイツ映画の見せた反逆心という感じで笑う。

 

『サマー・オブ・84』

【評価】C

【監督】フランソワ・シマール、アヌーク・ウィッセル、ヨアン=カール・ウィッセル(『ターボキット』監督トリオ)

【制作国/年】アメリカ・カナダ/2018年

【概要】1984年、夏。オレゴンの田舎町イプスウィッチ。最近子供たちや時に一家丸ごと失踪する事件が相次いでいる不気味な空気の中、オカルト好きの少年デイビーは盛り上がっていた。僕らの愛すべき隣人、警察官マッキーこそが児童連続誘拐殺人犯ではないかと疑っているのだ。友人ウッディ、イーツ、ファラディを巻き込んでマッキーの捜査を始めるが……それは忘れられない夏になってしまう。

【感想】

 ノスタルジィをこするのも大概飽和してしまい、一度も吸ったことないはずの80年代のアメリカの空気がもうお腹いっぱい。基本的に真相は「そっちかこっちか」の二択しか提示されず、はぐらかして「どっちかな?」を続けるだけで、なんでもかんでもクイズにして無理矢理CMで引っ張るバカなバラエティ見てるようなストレスが溜まる。

 ノスタルジィ系の映画で美化されがちな「田舎の祭り(或いはサーカス)」が、ここでは正に田舎の祭りの規模でしかなくてそれは良かった。

 『スーパー8』『ストレンジャーシングス』『IT』etc…とノスタルジィをもてあそび続けてきた事へのカウンターのようなラストだが、苦みを味合わせたいにしてもそこへ至る面白さも今ひとつだった為に、煮え切らない。

 

オキュラス/怨霊鏡

【評価】A

【監督】マイク・フラナガン(ドクター・スリープ)

【制作国/年】アメリカ/2014年

【概要】2013年、ケイリーとティムの姉弟は、再び我が家に帰ってきた。ここでかつて二人と両親アランとマリーに何が起こったか、確認しなくてはならない。そして壊すのだーーあの鏡を。

 2002年、アランとマリーは子供のケイリーとティムと共に幸せに暮らしていた。けれどケイリーがアランの部屋に「女の人を見た」と言いだし、全てが狂い始める。

【感想】

 元はフラナガンの短編を長編化した一作。凄いのが要素としては「恐らく短編にあるものが全て」だろうくらい、展開が無い。ただ時空がねじ曲がり、鏡の呪いにとりつかれた一家が過去でも未来でも混乱し続けるだけなのだ。それをひたすら入り組んだ撮影/編集の詐術で魅せきる。傷を負った過去に偏執し、永遠に囚われる恐怖と哀しみが、もはや甘美にすら感じられるまでに。ここまでただ「描写」だけが転がっている、余計な要素をシャットアウトした長編映画は、下手すると初めて観たかも知れない。

 遍く全てのショットはカットとカットを、人と人を、過去と未来を繋ぐ鏡。呪いのように、観客はその反射から逃げ出せない。

 

『サイレンス』

【評価】A

【監督】マイク・フラナガンオキュラス/怨霊鏡

【制作国/年】アメリカ/2016年

【概要】小説『真夜中のミサ』を著した女性作家マディーは聴覚障害者。人里離れた森の中の一軒家で一人で暮らし、時折訊ねてくれる友人サラとお茶をしたりしていた。しかしその日、何者かに追われたサラがマディーの家の前で絶命する。マディーは犯人を目にし慌てて籠城するが、マディーが障害者である事に気づいた殺人鬼は、マディーとの一対一の戦いに愉悦を覚え……。

【感想】

 『オキュラス』に続き、ほぼ「描写」だけが存在する映画。前作の相手は「謎の鏡」であり攻撃も眩惑的だったが、今度の敵は「ただの男(別に強そうでもない)」で、それがひたすら楽しんで自分を殺しに来る現実的な恐怖。耳が聞こえないという不利を抱え、一体どうしたら……。

 フィジカルのダメージが蓄積していく痛ましさ。二階を移動してそちらの窓ではなくこちらの窓に……といった場面の、ありそうでなかった限定フィールドの使い方。「家の間取りをコンテで説明しないと出来ないようなシナリオ」が全編展開。

 複雑な魅力を成立させた『ドクター・スリープ』も凄かったけど、もっとシンプルで根源的な才能が『オキュラス』と本作には漲っていて、そこに更にテーマ性が強化されると『ジェラルドのゲーム』になる。

 

『ウィジャ ビギニング ~呪い襲い殺す~』

【評価】B

【監督】マイク・フラナガン(サイレンス)

【制作国/年】アメリカ/2016年

【概要】ウィジャボードこっくりさん)のもたらす呪いを描いた『呪い襲い殺す(Ouija)』の前日譚。1967年、ロサンゼルス。夫を亡くしたザンダー、その娘リーナとドリスは、ウィジャボードを用いたインチキ降霊術を商売としていた。着実に生活が苦しくなる中、次女のドリスは亡き父と交信したと言い、本当にウィジャを動かし始める。ザンダーはドリスを中心に据えた本物の霊能商売に切り替えるが……。

【感想】

 現代が舞台の前作(未見)と打って変わり(推測)。60年代が舞台のクラシカルなオカルト譚に。貧乏一家の儚い望みと、過去の歴史の犠牲者達の怨みと、果たしてどちらの思いが勝つのか、或いは……? フラナガンのホラーはいつも光と闇が拮抗して、どちらが勝つかギリギリまでわからない。ウィジャが動くところも、悪霊らしき何かの実体も早々に見せてしまい、あくまで物語として描ききる。

 結果的に怖さが犠牲になった気はするも、未だこの監督への期待値は維持されうる出来。エンドロールが二重に凝っていて、二つ目は『Air/まごころを、君に』を思い出した。

 リーナの彼氏が襲われるくだり、そこくらいはスマートにジャンプスケアをすればいいのに、フラナガンの好きな「白い目玉(?)をした幽霊」を見せたいが為に伊藤潤二のような笑える構図になっている。というか本当に伊藤潤二好きなのかも。

 

『ソムニア ─悪夢の少年─』

【評価】B

【監督】マイク・フラナガン(ウィジャ ビギニング ~呪い襲い殺す~)

【制作国/年】アメリカ/2018年

【概要】幼い息子を亡くしたジェシーとマークは、母親を亡くし里親を転々としている少年コーディを養子縁組に迎える。コーディは可愛くて良い子だが、刺激物で睡眠を避けているようなところがあった。曰く「キャンカーマンが襲いに来る」という。意味がよくわからずにいた夫妻だが、やがてコーディが眠りにつくと美しく不可思議な光景が目の前に現れ……。

【感想】

 飽きるほど見た気がするオーメン系の話かと思いきや、何かがズレている。悪夢系となるとどこまでもドロドロやれるのに、フラナガンの画作りはいつも通り断捨離してスッキリ。そして多数作品に触れることで見えてくる、過去への追憶と偏執の裏テーマがここではいよいよ話の核、結末にまで行き渡る。久々に作家を線で追う愉しさを堪能しました。

 とある幻想の鮮やかさ、美しさ。それは恐怖の正体が擬態したものなのだけど、その恐怖の正体さえ擬態であって…。いくらでも大団円に出来るオチなのに、そうはせずむしろテーマが浮き彫りになるとこも上品で粋。

 最後には「人はなぜ映画を作るのか」、という答えまで提示している気がした。

 

『ドリラー・キラー マンハッタンの連続猟奇殺人』

【評価】A

【監督】アベルフェラーラバッド・ルーテナント/刑事とドラッグとキリスト

【制作国/年】アメリカ/1979年

【概要】醜悪なNYのスラムで暮らす画家のレノ。二人の女と同棲し、画商から新作を催促されているが、ストレスが溜まり一向に満足いく作品は作れない。隣室にバンドマンが引っ越してきて、日がな演奏し続けている。やがてレノは通販番組で見た電動ドリルに心奪われ、それを手に夜な夜な人々を殺戮し始め……。

【感想】

 ストレス、ドリル殺人、ストレス、ドリル殺人……の連続で粗筋もクソも無い粗雑な映画だが、冒頭の一文【THIS FILM SHOULD BE PLAYED LOUD】とエンドロール後の一文【And Dedicated To The People Of New York " The City Of Hope"】で何をか言わんや。

 ノイズが紡ぐ芸術が劣悪な環境の当時のNYを物語り、ただ(電動ドリルであまりに痛ましく)殺されるだけの浮浪者やジャンキー達も、しかしその振る舞いがやたらリアルで哀しい。「最悪な今を最悪なまま切り取る」という世界の救い方もある。

 沢山残虐な殺人行為を映す嗜虐的な内容でありながら、被害者は男性ばかりで、グルービーな女性たちを痛めつける直接描写が皆無なところは妙に抑制的。加えてストレスの種であるバンドマン達には臆してるのかなんなのか襲えないしょうもなさ。本作の病が時代を超え、形を変えると『アメリカン・サイコ』になるんだろう。今だとなんだろうか。

 主演が若き日のフェラーラ監督自身で、ダニエル・デイ=ルイスかと思って見てた。

 主人公の出自について、粗編集みたいなぶった切りで始まる冒頭だけが示している。

 

『マルタの鷹』

【評価】A

【監督】ジョン・ヒューストン(007/カジノ・ロワイアル'67)

【制作国/年】アメリカ/1941年

【概要】私立探偵サム・スペードの元へ謎の美女ブリジッドが依頼に訪れる。「とある男と駆け落ちした妹を連れ戻して欲しい」。しかし捜査早々、スペードの相棒マイルズが何者かに殺されてしまう。全ては「マルタの鷹」を巡る何者かの陰謀か? あやうく殺人罪の濡れ衣を着せられそうになりながら、スペードは怪しい男たちと接触する。

【感想】

 フィルム・ノワールの古典にして代表作と言われる一本。もっと複雑怪奇な人生の迷宮にはまり込んでいく話かと思いきや、めちゃくちゃ面白い「腹芸」合戦が展開する。過去に二度も映画化され手垢のついた小説を、あえて「余計なことしない」形で自身の監督デビュー作に選び成功したヒューストンの才が光る。

 室内での二転三転ぷりは、やりとりのテイストを変えるだけでそのままコメディにも転用出来るそれだ。後半はもう「まったく大した男だな、君は」と劇中台詞そのままにニヤニヤしっぱなしだった。

 

赤ちゃん教育

【評価】A

【監督】ハワード・ホークスヒズ・ガール・フライデー

【制作国/年】アメリカ/1938年

【概要】ビジネスライクな婚約者との結婚を控えた古生物学者のデヴィッドは、四年の月日をかけた巨大恐竜骨格標本をあと少しで完成させようとしていた。新たに見つかった骨を手に入れつつパトロン候補とコネチカット接待ゴルフをしていると、わがまま令嬢スーザンに出会い気に入られてしまう。更にスーザンが伯母に届ける「ベイビー」が野に解き放たれる。その正体は……豹だった。

【感想】

 スクリューボールコメディとスラップスティックコメディの悪魔合体した究極のドタバタコメディ。ワガママの権化のようなめちゃくちゃな女スーザンが出会う相手全てを煙に巻き、誤解を解く間もなく次の誤解が生まれ、更に犬や豹(豹!)との追いかけっこが続く。画面がずっと活劇、それも動物を巧みに用いて。

 わずかでも足をかけられる場所があれば絶対にその上に乗って移動する、完全なるコメディ演技でスタントみたいな真似を次々こなすキャサリン・ヘップバーンケイリー・グラントに感心しきり。

 この「乗る」アクションがみんなの集合する牢屋でも賑やかに展開し、オチのハッピーな大惨事へ至る。

 70年以上昔の映画でこんなに笑えるもんなんだ。

 

三つ数えろ

【評価】B

【監督】ハワード・ホークス赤ちゃん教育

【制作国/年】アメリカ/1946年

【概要】レイモンド・チャンドラー『大いなる眠り』の映画化。原作者でもディティールによくわからない部分があるという内容の複雑さ、難解さで知られる作品。

 私立探偵フィリップ・マーロウは大富豪スターンウッドの邸宅に招かれ、長女ヴィヴィアン、次女カルメンと出会う。スターンウッドの依頼はカルメンを脅迫する古書店主ガイガーへの対応。信頼していた用心棒はマーロウのかつての相棒でもあったのだが、既に女と共に失踪しているという。更に運転手も消えている。そして死体と謎が増え続けていく……。

【感想】

 ジョン・ヒューストンは『マルタの鷹』を映画化するにあたって秘書に原作の台詞と出来事(ト書き)だけを抜粋させて組み立てたというが、本作のホークスも恐らくそれと似たようなことを世にも複雑な小説でやっている為、説明されてもわからない入り組んだ事情が説明もないままに(さらに字幕も省略気味なので余計に)矢継ぎ早に繰り出され、完全にモヤの中に包み込まれていく。

 前半は?マークで頭がいっぱいだが、中盤の銃声から先、ワンシーンごとに何かが起こり「よくわからないがとにかく混沌が深まっていく」様が楽しくなっていく。ようやく真にフィルム・ノワールの元祖と出会えた気さえする。

 今思えばなんだったんだとなる「古書店の女」とのやりとり。もっと話したいわと酒を注ぎ、ドアを閉め、外は雨。

 カジノで歌うヴィヴィアン、その歌声、拍手、続く演奏がフェイドアウトしないまま背後で流れ続ける一連の場面。

 これら色気ある場面も、『赤ちゃん教育』に於けるスラップスティックな手管をハードボイルドにそのまま流用したようで、続けて見て違和感がない。

 最後の最後まで二転三転し続ける終盤、ローレン・バコール演じるヴィヴィアンの横顔の怪しく変化する美貌に見とれた。

 

『らせん階段』

【評価】A

【監督】ロバート・シオドマク(幻の女)

【制作国/年】アメリカ/1946年

【概要】1906年ニューイングランド。町の皆が伴奏付きの無声映画を楽しんでいる折、階上の部屋で従業員の足を引きずった女が殺された。場に居合わせた、かつてPTSDから声を失ってしまった女性・ヘレンは勤め先であるウォーレン夫人の家に帰る。ヘレンを心配するバリー医師やウォーレン夫人はしきりにヘレンに館を出るよう薦める。近所で続発している連続殺人事件。その被害者は全て、なにがしかの障害を負っているのだ……。

【感想】

 失語症のヘレンが冒頭では無声映画で楽しんでいること、事件の真相に潜む現代的なマチズモの問題、最後に声を出すことを是とする価値観は古いかも知れないが、そこへ至る段取りや声を出すポイントは非常に賢明。

 屋敷の従業員が一人去り、二人去り、そしていよいよ油断した女性が殺されるまでの丁寧なシークエンス。屋内で風が吹くことの魅惑。悪趣味な言い方だけど「ただ殺される」ことが豊かにも見える。

 序盤と終盤で繰り返される「覗く犯人の目」と「直接は映さず、しかしショッキング度はより増す殺害描写」の妙、これら殺人シーンが後の恐怖演出のお手本なら、ラストはカットバックによるサスペンス演出のお手本。わかってるのに手に汗握っていると、全然わかっていなかった痺れる決着が待っている。

 

『ファイナル・プラン』

【評価】B

【監督】マーク・ウィリアムズ(ファミリー・マン ある父の決断)

【制作国/年】アメリカ/2020年

【概要】「速攻強盗」として名を馳せた銀行強盗カーターは、貸し倉庫会社で応対してくれたアニーと恋に落ち、罪を告白。警察に減刑と引き替えの自首を申し出る。しかし欲に目が眩んだ二人の警官がカーターを脅迫した為に死者が出てしまう。逃亡しつつ無罪を訴えようとするカーターだが、汚職警官もまた引っ込みがつかず……。

【感想】

 すでに『誘拐の掟』があるのでリーアム・ニーソン主演の現代映画が恐ろしく低予算で地味でも驚かないが、ハードボイルドタッチに忠実である故にそうなった『誘拐の掟』と違い、色さえもなくただシンプルで地味。登場人物も最小で、どの展開も予想の範囲を出ない。言い換えれば人間臭い奴らの嘘のない行動が絡み合い、落ち着くべきところに落ち着くまで。そこにどうしたってリーアム自身の過去を重ね、塩むすびのような美味しさがあった。

 アニーが汚職警官に暴行を受ける→次の場面でもうアニーを抱えたカーターが病院に駆け込んでくる。こうした経済的な瞬間が多々見受けられて、それがクライマックスでのスカしのような決着にまで一貫している。

 

図書館戦争 THE LAST MISSION』

【評価】C

【監督】佐藤信介(図書館戦争

【制作国/年】日本/2015年

【概要】文部科学省「未来企画」に所属する手塚の兄・慧は、笠原を罠に嵌め図書隊を文科省の傘下に置き、無益な争いを停止させようと企む。しかしその策略は同時に図書隊の武力を無効化してしまうもので、図書隊はこれを拒む。やがて「表現の自由」展示会会場に置かれた世界で一冊の「図書館法規要覧」を巡り、図書隊と良化隊の武力抗争が始まろうとしていた。

【感想】

 いつもながらの佐藤演出、ひたすら鈍重で退屈な芝居場を描く割りに、その芝居場を描いていて全く愉しそうでは無い(結果時間オーバーしたのか、エピローグはエンドロールに押しやられる)のはどうした訳なのか。市川隼から何を受け継いだのか不思議でならない。「キャラが喋ってる」のではなく「役者が台詞を段取り通りに言わされている」感じ。

 しかし一方で全シーンに、それが魅力的かはさておき明確な画作りへの拘りは感じ、特に後半の「要塞化する図書館」は和製アクションの舞台として成る程これはいくらでも活かせるぞという手応えを感じる。それこそ安藤忠雄建築の数々とか。

 「既に国内では内戦状態なのに多くの一般人は平和そうに暮らしている」のスローモーションなんて、ベタながら悪くないんだけど、シナリオの緊迫感の無さ(これは野木脚本ではなく主に原作のせい。どうせ誰も死なない)故にあまり効果は無い。

 検閲が「表現の自由」展を真っ先に攻撃したり、カメオ出演鈴木達央が女を口説いたり、「権力の銃撃を躊躇させるメディアのフラッシュ」というそのものずばりな比喩が効いてるラストだったり、面白い細部も沢山ある……けど、鈍重なイメージが勝ってしまった。

 

『木と市長と文化会館/または七つの偶然』

【評価】A

【監督】エリック・ロメール(三重スパイ)

【制作国/年】フランス/1993年

【概要】フランスの田舎、ヴァンデ県サン・ジュイール。ここではありふれた田舎の景観を一つつぶし、包括的に様々な文化を鑑賞できる図書館「文化会館」が建設されようとしている。社会党の市長ジュリアンはそのメリットを説いて回り戦略を練る。地元の小学校教師マルクはこれに反対すべく家でも学校でも弁を振るう。誰もが議論を深め、ぶつけあい、そうして社会は回っていくのだ。

【感想】

 人が演説してる様は愉しい。人が反論してる様は愉しい。相手を過度に罵ったり、聴衆を愚弄して騙しにかからない限りは。つまり政治は愉しい。そんな牧歌的な脳天気さが、今この国からは随分遠くに見えて眩しい。

 ゴダールのジガ・ヴェルトフ集団でのそれが、語られる内容と映像との齟齬で興味を持続したのに対して、よりストレートに政治論をぶる人間をまま映している。そこで申し訳程度に添えられ続ける劇伴に合わせて、最後に突然始まるミュージカル。アジテーションとしての映画の力を身も蓋もなく上品に提示する。

 インテリや記者相手に話すジュリアンと片田舎で家族相手に熱弁振るうマルクとは対照的に見えるが、最後にジュリアンと論争する相手とは……。

 蓮実重彦の評論でずっと気になってた一本、漸く鑑賞叶った。

 

『飛行士の妻』

【評価】A

【監督】エリック・ロメール(木と市長と文化会館/または七つの偶然)

【制作国/年】

【概要】『喜劇と格言劇』シリーズ1作目。パリ東駅の郵便局で夜勤している学生フランソワは、別れた年上の元恋人アンヌを忘れない。一方、アンヌは飛行士の恋人クリスチャンから別れ話をつきつけられていた。やがて街角でクリスチャンの姿を見かけたフワンソワは勢い彼の後をつけてしまい、奇妙で穏やかなとある時間を過ごすこととなる。

【感想】

 はあ~ん『ビフォア・サンライズ』ってこれがしたいのなあ~ってめちゃくちゃ納得いった。このタイトルなのに話の核はアンヌでもクリスチャンでもなく、フランソワが尾行中につきまとわれるリセエンヌ(フランスでいう女子高生)ルシエとの、長い長い公園でのお喋り。

 どこか憂鬱なアンヌの姿で序盤と終盤をはさみ、真ん中では気持ちの良い晴れた公園でずっとフランソワとルシエがお喋りしている。行き当たりばったりなような計算されきっているような、一本の映画としての綱渡り。撮影もまた散歩気分でルシエの奔放についていっているようでありながら、お喋りの果てにクリスチャンが不意にフレームインしてくるとスタンダードサイズがビシッと決まる。

 ルシエが消えてからは正直退屈なんだけど、『木と市長と文化会館』よろしくラストで鮮やかに構成が意味を持ち、やはり『木と市長』同様、その瞬間にまさかの歌でテーマを説明してくれるミュージカル的エモーションをかきたててエンドロール。鮮やか。

 

ジュマンジネクスト・レベル』

【評価】

【監督】ジェイク・カスダンジュマンジ/ウェルカム・トゥ・ジャングル

【制作国/年】アメリカ/2019年

【概要】ナードのスペンサーもジュマンジでの大冒険を経て仲間も出来たし、未来は明るいはずだった。しかしNYでの孤独な極貧大学生活で自信を喪失したまま故郷に帰る。かつて冒険を共にしたベサニー、フリッジ、マーサがスペンサーの家を訪れるも、そこにいたのはスペンサーの祖父エディと、エディと因縁の再会を果たした長年の友人マイロだけ。スペンサーはどこに消えた? そして彼らは、ジュマンジから鳴り響くあの太鼓のリズムを再び耳にしてしまう……。

【感想】

 二人の高齢者を交え、6人分の肉体と魂がゲームの中で行ったり来たりのドタバタ劇。前作以上に「中の人の物まね」(当人に演じさせて、他の役者がコピーしている?)が細かくて面白い。終始続くケヴィン・ハートによるダニー・クローヴァーの物まね、後半場を荒らすオークワフィナによるダニー・デヴィートの物まねが、めちゃくちゃ笑える絶品であると同時に感慨深い。ちょうどネトフリで【監督・出演者が語るアイリッシュマン】を見てジョー・ペシが健在でスコセッシ、デ・ニーロ、アル・パチーノと喋る姿を見てうるうる来ていただけに、こみあげる郷愁が一入。

 そうした「芸」の面白さと、義務的に挟まるハリウッド超大作的な見せ場との食い合わせが悪くテンポは良くない。もっと低予算でいいのに。

 『ジュマンジ』シリーズが持つ「時間」へ思いを馳せる寂寞と浪漫は本作でも活きていて、特にある人物が「過去作とは真逆の答え」を示して飛び立つ様が潔かった。

 

ラスト・クリスマス

【評価】A

【監督】ポール・フェイグ(シンプル・フェイバー)

【制作国/年】アメリカ/2019年

【概要】ワム!の同名クリスマスソングを映画化した作品。ロンドンのクリスマスショップで働く、ジョージ・マイケル好きのケイト。要領が悪く、男にだらしなく、サンタと名乗る店長の中国人女性からも呆れられている。ケイトの出自は少し特殊で、その反動からくる今のハンパな生き方に家族との衝突も絶えない。そんな中、いつも空を見上げている不思議な青年トムと出会い、急に世界が色づき始めるが……。

【感想】

 クリスマスという現実の中にある非日常。その間隙をつけるからこそ許される映画のマジックと、観客の視界を少し見開かせるということ。ちょっとずつ世界の「見える範囲」を拡張させるということに賭けた可愛い童話。クリスマス映画の良さは観客の浮かれ気分に拠って成立しているから、批評家では判断が下せない曖昧さに飛び込んでいけるところだと思ってて、その点で完璧に近いくらい。

 ゲースロで大変だったエミリア・クラークと監督との前作『シンプル・フェイバー』での役どころがアレだったヘンリー・ゴールディング’、主演二人も恐らくキャリア最高のキュートな魅力を振りまいている。

 

『ドロステのはてで僕ら』

【評価】C

【監督】山口淳太(クリープハイプ『イト』MV)

【制作国/年】日本/2020年

【概要】アパートの一階カフェの店長カトウが二階の自宅に上がりギターを弾こうとしていると、テレビモニターの中から一階にいる自分が話しかけてくる。自分は「二分後のお前」だという自分を追って一階へ降りると、カフェのモニターに映る二分前の二階の自分がギターを弾こうとしていたので自分は「二分後のお前」だと話しかける。そうして周辺住人も巻き込み、複雑怪奇な一時間ちょっとの幕が開ける。

【感想】

 一時間10分長回し一本勝負で、SFコメディを得意とするヨーロッパ企画が『カメラを止めるな!』の二匹目のドジョウを狙いにきた。そういう野心は大いに応援したいし、小劇場ノリの役者達がややこしい事を色々としているのはまぁ確かに面白いのだけど、問題は本作の面白さ、別にカット割っても変わらないこと。

 映画の長回しの面白さってそういう事じゃなくない?。ノンストップで演劇っぽい芝居してたらそれは演劇なんだよなという。逆に『カメラを止めるな!』の前半の長回しが何故魅力的なのかも見えてくると思う。段取りがあるからじゃなくて、何か異常が起こっていて緊迫しているから。

 予定調和でありながら即物的な緊張感と偶発性の魅惑を擁する、そういう「長回し」の難しさについて考えてしまう作品。

 

『ブラック校則』

【評価】B

【監督】菅原伸太郎(いちごの唄)

【制作国/年】日本/2019年

【概要】教師・手代木をはじめ厳しい校則で生徒達を抑圧する高校で、何物でも無い自分に落ち込む男子生徒・創楽(ソラ)は、いつも脳天気で活動的な中弥に気後れしていた。それでも密かに想いを寄せていた、学園でも浮いている混血の少女・町田希央が地毛であるにも関わらず地毛証明書を作れない事で退学間際まで追い込まれてることに気づき、「僕が校則を変えてみせる」と約束してしまう。子供も大人も息詰まる学園で、静かに何かが変わろうとしていた。

【感想】

 『野ブタをプロデュース。』の河野英裕プロデューサーが、実際の「髪染め強要問題」に材を取ったメディアミックスプロジェクトの映画版。脚本に漫画『セトウツミ』の作者でありアニメ『オッドタクシー』の脚本も手がけた此元和津也。

 冴えない主人公を軸として、学校のそれぞれの所属先で行き場のない思いを抱えた者たちの営為が次第に交錯し、閉塞的な空気に一滴の波紋を起こす。『桐島、部活やめるってよ。』の敢えて引いていた一線も壊しにかかるような、ちゃんと「その先」をいく脚本になっていたし、青春映画のジャンル内で社会問題を通して怒りを表明し、行動の先鞭を切る、というところまで完遂している事に、邦画でそういう事をやれるということに感動を覚えた。

 演出の手際がややもたついているのだけど、『オッドタクシー』見た後だと実写でこの癖の強い脚本をよく消化した方だと思う。観ながらちょっと涙腺緩んでました。これがアイドル映画だというのも勇気が沸く。