夜に駆ける ー 『THE BATMANーザ・バットマンー』感想

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スタッフ

【監督】マット・リーヴス

【脚本】マット・リーヴス/ピーター・クレイグ

【音楽】マイケル・ジアッチーノ

【撮影】グリーグ・フレイザー

【編集】ウィリアム・ホイ

 

キャスト

ブルース・ウェインバットマン】ロバート・パティントン【セリーナ・カイル/キャットウーマンゾーイ・クラヴィッツエドワード・ナッシュトン/リドラーポール・ダノ【ジェームズ・ゴードン】ジェフリー・ライト【オズワルド・"オズ”・コブルポット/ペンギン】コリン・ファレル【アルフレッド・ペニーワース】アンディ・サーキス【カーマイン・ファルコーネ】ジョン・タトゥーロ【ギル・コルソン検事】ピーター・サースガード【ベラ・リアル】ジェイミー・ローソン【トーマス・ウェイン】ルーク・ロバーツ【マルティネス巡査】ギル・ペリッツ=アブラハムアーカムの囚人/ジョーカー】バリー・コーガン

 

久しぶりの映画館ながら、特に苦痛ではなく、眠くもならず、普通に堪能してしまった三時間。吹替え版鑑賞が功を奏して、グラフィック・ノベル然とした闇に浸透するゴッサム・シティのアートワークに(7割方やり過ぎ音響効果のお陰で)没入出来る。『DUNE/砂の惑星』に続いて、緩慢とした展開を優雅な遊覧の旅に変質させる撮影監督グリーグ・フレイザーの手腕が何より物を言う。クラブに入る長回しで、ちょうど細い通路からフロアに出た時、踊りまくる聴衆が広がるだけじゃなく、奥の踊り場にいるダンサーへと縦の視線を伸ばしてバットマンの意識を観客にもキープさせるのはフレイザーの仕事と感じる。

ハードボイルド的な探偵仕事とダーティハリー以降のゾディアックキラー物が融合した「ぼくのかんがえたさいきょうの夜の犯罪都市」は、いずれのジャンルにせよある程度の退屈や推理ものとしての不合理さを映画ファンに許容させてしまうのも狡い。バットマンとゴードン警部補の似たような掛け合いの捜査が延々続く様を浴びてる内に、こういう映画に「退屈じゃなさ」を求めるのは野暮だと体が理解してしまった。

その中でフックとして映えるバットモービルのアクションの格好良さ。個人的にノーランもスナイダーもバットモービルの捉え方が特にグッとくるものではなかったので、ペンギンを追い詰める一連の場面(最初はまだ走らないのがいい)だけで、それはそれで思っていたのとは全然違ったとは言え、とにかく格好良くて元は取れるくらい嬉しかった。

それとバットマンの身体的特性をほぼ「攻撃は受けるけど無傷のバットスーツ」に託している為、絶えずダメージは受けるからアクション的なインフレを要せず地味でも重力のあるバトルが出来る、というのはおいしい。

闇を強調し、縛りが生まれたからこそ新鮮なビジュアルが散見される一方で、あたかもノワールが量産される時代の映画の一本に過ぎないかのように、話の細部は非常に既視感で溢れている。観客の意表を突き奇を衒いまくった『ダークナイト』がむしろ一つの定型と化してしまった世界で、本作のほぼ予想範囲内のクリシェの中を大悪党不在のまま小悪党達が行き交い、心に傷を負った探偵が常に後追いで解決に向かっていく、というミニマルさは嫌いじゃなかった。ミニマルだけど広がる夜景の奥行き感はよく出ていて、こういうところ大事にしてくれるのとても助かる。

実際の黄金期のフィルム・ノワールであれば半分もいかない尺で片付けた話だろうとは思うので、コミック・ノワールとかグラフィック・ノワールといったところ(?)。

 

とにかく腐敗と闇に塗れ、誰も彼も超人性がスポイルされてるゴッサムの中で、ゴードン警部補の真のヒーローっぷりが自然と浮き彫りになっていくのも良かった。なんで彼がバットマンと並びうるのかハッキリする。と同時に一番狙われそう、と思っているとそれはちょっとしたミスリードになってる。

 

気になった点としては、アーカムアサイラムに於けるポール・ダノの芝居。いつも通りと言えばそうだし、自分含め映画ファンはずっとそうした演技を良しとしてきたのだけど、一種の精神疾患を想起させる多動気味な芝居をそのまま犯罪者のイメージと結びつけることに、今回もの凄く抵抗感を覚えてしまった。役柄にかかわらず、こうした芝居の形式そのものに対して、そろそろ考え直してもいいんじゃないか。

吹替え版で見たので(以前、華奢な声優が筋肉質なキャラを演じることの限界を語っていた事が印象的だった櫻井孝宏の声が、ちゃんと三時間の中でパティンソンの肉体に定着していく過程がわかるの感動)ここのやだ味は石田彰の名演が軽減してくれましたが。

そう言えば昔、とある若い映画評論家(早逝されたらしい)の方がフィリップ・シーモア・ホフマンの芝居をやたら批判していて、その時は「あの良さがわからないなんて嘘だろ」と思ったけど、今回ふとその意味が少しわかったような気がした。

 

映画そのものがゴッサムの退廃と手を組んでひたひたと夜の闇に観客を浸透させる。映画ファンの願いもまた、ノワール的な闇の憧憬にずっと沈んでいたいと願う。それは彼に思い入れ過ぎたリドラーもまた然りで、三時間の退廃は全て最後にバットマンが起こす落下のアクション、そこからの光のヒーロー像に反転するフリとなる。コウモリはネズミの這う下水に落ち、見捨てられた人々を先導する。バットマンの活動に突きつけるアンサーとして、十分過去シリーズに比肩しうるどころか今までに無い納得感を抱き、何かこうエッジがとても効いてるという類いではないけれど、心地良い映画体験でした。

 

ところで『ハウス・オブ・グッチ』のジャレッド・レトに続きわざわざ特殊メイクで太ったキャラ演じるより太った役者連れてくればいいがなと思うのですが、それでもコリン・ファレル、アメコミ世界におかえり~。

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