『「劇場版 少女☆歌劇レヴュースタァライト」オーケストラコンサート』という映画体験

f:id:pikusuzuki:20220222180614j:plain

2022年2月6日(日)幕張メッセ幕張イベントホールにて開催された『劇場版少女☆歌劇レヴュースタァライト』オーケストラコンサートに参加しました。

その時の感動を一度は箇条書きにしたのですが、興奮し過ぎたこと、昼の部/夜の部の記憶が混在していること、さらに目を通しまくった参加者皆様のレポと印象が融合していることから、自身の体験として総括すること困難になっておりました。

それでも明日『スタァライト』プロジェクト5周年当日4月30日(土)に開始するオケコンディレイ配信を視聴して、あの忘れがたい日の記憶が記録に上書きされてしまう前に、自分の中に残っている漠とした印象を書き留めておきたいと思います。

混乱を混乱のまま綴ろうとしているので、演者の表記ブレが酷いことになっております点ご容赦願います。

 

 

f:id:pikusuzuki:20220222175717j:plain

 

0.入場

 

昼の部/

一般席、会場後方、ステージ真向かいの二階スタンド。段差で視界は良好。不安になる隣席との密度ではありましたが、幸い席の後ろの段に上がればスムーズに出入り可能な列。近くに所謂「UOグルグル」オタクがいてハッキリと周囲の人たちの邪魔になっていたので(邪魔にならない範囲であれば別に良いと思っていますが)、持参していたペンライトは昼の部では使わず、オーケストラを聴きに来ましたよというフォーマルな態度で通しました。

 

夜の部/

スタァライトシート。アリーナ席、前方Aグループ。

昼の部で知っていたのです。ここは推しの小泉萌香さんを直視できるエリアだと。

左隣り二席と背後斜め席は最後まで空席のまま。マナーに配慮して詳細省きますが、つまり、色々気遣わずにあれこれ出来る、非常に快適な席となりました。それは同時に、当時の厳しい諸事情からこの良席を諦めた人がいるという事実がずっと脳裏を過ぎり続けることでもあり、「この席の人達の分も今この時を噛みしめよう」とアドレナリン放出に一役買う効果はあったと思います。

昼の部の際、スタンド席からホール全体にペンライトがもたらす演出効果を確認していたので、「あの一部になるぞ」と、昼の部我慢した分も早々にペンライトを準備。物販で引き取っていたリングライトも装着。

 

1.『再生讃美曲』

 

選ばなかった過去たちへ 静かに捧ぐ賛美歌を

open.spotify.com

ロンドはいつか終わる だから眩しいーー

 

昼の部/

まずオケのチューニングってなんであんなにときめくんでしょうね、なんて油断していたら、いきなりレヴュー服でも制服でもない、オケコン用に新しく誂えられたシックな衣装で九九組が溜めもなく登壇し、『再生讃美曲』を披露。

ストリングスで華々しく始まったかと思いきやすぐ不気味な転調を見せるイントロがそもそもオーケストラに合い過ぎ、その相性に浸る間もなく初めて見る生の九九組の並び姿、「でも9人ではない」という動揺、大好き過ぎるみもりんの冒頭フレーズ、初めて生で聴く推しぴの歌声、輝ちゃんのパートを歌う彩沙ちゃん、と、ほぼ5秒毎に訪れるハイライトの乱れ打ち。

そして九九組の後ろ、オーケストラなめに見煽ぐ位置に掲げられたスクリーンに流れる『ロンド・ロンド・ロンド』のダイジェスト。顔の見える距離ではありませんでしたが(オペラグラス持参すべきだった)、左右スクリーンの中継カメラワークも完璧。

小さくても生の九九組を見るべきか、中継映像を追うべきか、オーケストラの演奏に着目するべきか、推し達とスクリーンの映像のマッチングを噛みしめるべきか、既に大混乱しています。この混乱はこの日、夜の部の最後まで消えることはありませんでした。

『再生讃美曲』はばななが主役といっても過言ではない一曲。初めて聞く推しの生の歌声がこんな贅沢なものだったことは生涯忘れたくありませんが、初手インパクトが強すぎて真っ先に消し飛んでしまったことが悔やまれます。

 

夜の部/

九九組が間近に! もえぴの顔がストレートに見える席!(両隣のひーちゃん、彩沙ちゃんも。斜め前のおじさんの後頭部が邪魔で、センターの華恋が隠れがちなのが残念)

昼の部の時点で覚悟は出来てた筈なのに、いざ至近距離で「九九組 ー オケ ースクリーン ー ムービングライト」の連携を浴びると思考回路が麻痺しました。

また当日終始そうでしたが、オーケストラの生音が迫力を増せば増すほど舞台少女たちの歌唱力が(まほ姉曰く「音に引っ張られる」ように)再現なくそのボリュームのレンジを拡げていく様が圧巻でした。

 

○挨拶

 

昼の部/

観客はまだこの日何が起こるか察しきれた訳ではないので若干の緊張感が漂いつつも、九九組、及び東京管弦楽団の皆様の挨拶。

そしてこの日、新型コロナウィルス感染の為、参加出来なかった生田輝さんの分も一同メンバーカラーである紫を九九組それぞれが身につけている事を紹介。

会場全体が、ここまで漂っていた不在の喪失感を「輝ちゃんもいると思って燃焼しよう」という前向きな一体感に変換したような心地。ここら辺は彩沙ちゃんの巧さというか、空気をコントロールしていたように感じます。

昼の部は全体的にペンラ控えめだったのですが、輝ちゃんの話が出る時は紫のペンラが目立って暖かかったです。

ちなみに舞台裏ではずっと生田さんと九九組はSNSで画面越しに繋がっていたそうで、「喉痛いのに笑い過ぎて大変だった」by輝ちゃん。

 

2.color temperature

open.spotify.com

『劇場版 少女☆歌劇レヴュースタァライト』は上映時間の半分近くでレヴュー曲が流れており、更に通常劇伴もあるので、それらの曲に該当する映像をスクリーンでかけるとなると、ほぼ「フルサイズに近い映画をサイレントで上映し、そこに生演奏・生歌・生照明演出を併せている」状態で、「こういう映画体験」をしているようなコンサートでした。

映画の新しいスタイルとも言えるし、映画の原体験に回帰したようでもある。

 

3.蝶の舞う庭

4.child stars

open.spotify.com

open.spotify.com

「color temperatur」が絵も音もどちらも主役となって攻め立てるものだったとするなら、ここからが本当の「劇伴」の世界。スクリーンに映される日常シーンの空気感を柔軟にほぐし、こちらに届けてくれます。

 

昼の部/

オーケストラの効果は実はスタンド席でホール全体を見回している時の方が大きくて、事前に懸念されていたメッセの音響も(自分の耳には)問題なく、スクリーン中の音が会場全体に波及して体に伝わってくる。

象徴的な描写の多い映画だからこそ、画面で展開するシーンの一つ一つの背景に包括された、そこに映された絵以上の意味合いの広がりが、生音の迫力で顕在化し、ホールに漂っている感覚。

 

夜の部/

アリーナ席だと音がダイレクトに飛び込んで来て、ホールを包む感慨に浸るというよりかは、オケの演奏を目に焼き付けて音圧を受け止める、といった純粋な演奏会の楽しさが勝ちます。左右の中継モニターを見上げると指揮者の顔の仰角視点カメラで、どういう気持ちで見ればいいのかわからないけれどちょっと面白かったので、こちらもチラチラ見ていました。

 

5.ki-ringtrain

open.spotify.com

昼の部/

キリンの着信音に合わせ、ステージ上部が巨大な赤ランプのように点滅。もはや着信音を越えて緊急非常警報のような圧迫感。

会場が赤に染まります。客席に浸透していく照明効果もここから本領発揮開始。

「こ、これは。。。?」と緊張する客席。期待していいのか。しかし、期待しているとは言え空気が怖いんだけど!

 

6.wi(l)d-screen baroque

 

歌って 踊って 奪い合いましょう

open.spotify.com

 

昼の部/

疾走感溢れる演奏。オケのパフォーマンスも激しくなっていきます。

しかしまだ小泉さんは出てこない。ばなな歌うのか? 歌わないのか?

もえぴ出てくるのか? 出ないのか? 出たー!

ここら辺の観客の気持ちはトークコーナーで小山さんが代弁してくださいました。

あらゆる意味で、始まる「ワイルドスクリーンバロック」。

演奏の最中、スタスタと、無言の圧と共にブラックドレスの大場なな登場。

「あなたわかりますか? ルールがわかりますか?」

 

歌ったああああああ

 

初見時の感覚としては、手裏剣こそ投げコブラしないものの大場なながスクリーンを飛びだして殺しに来たみたい。

会場全体が「あぁレヴュー曲、歌うんだ」とこの時初めて理解して、にしても改めて生で聴いて本当に衝撃的な曲と背後のスクリーンに映される『皆殺しのレヴュー』とのマッチングに痺れる空気。もえぴのみならず、この日総じて九九組の歌い始めの「会場の空気の掴み方」がスムーズで、ほぼ生理レベルで舞台経験から会得したものなのだろう、自然な緊張感を醸成していました。

 

夜の部/

夜の部は至近距離で小泉萌香さんの歌唱を堪能。起こる出来事とは裏腹に「無邪気な子供のように」というレコーディング時の指示のままに、無邪気に楽しそうに歌うばなな。それも時に横揺れで。かなり難易度高いと思うのですが、その無邪気さが不意に冷徹さに切り替わり、からの「生きる 生きない 生きない 生きる 生きない 生きたい」の六段階変化。完璧でした。僕の推しは格好良いんだ。

 

7.station zero

open.spotify.com

8.砂とアラベスク

open.spotify.com

9.約束タワー~echo~

open.spotify.com

 

昼の部/

やがて映画は決起集会の場面へ。

劇中では、近視眼的だったストーリーが不意に引きの絵になり、レヴューの外にいる九九組以外の舞台少女たちを、映画の一部として捉えるシーン。

映画鑑賞時にこの場面で「映画の観客」もその一部として感じられるかというと、決してそういう場面では無かったと思うのですが(まだスクリーンの奥と手前で隔てられている為)、スクリーンの手前にオケも照明も設置されているコンサート会場に於いては、スクリーンから拡張したフロアとして客席が機能していて、「オケコンの観客」も映画の一部として巻き込まれていました。

同様の効果は他のシーンでも多々生じて、映画ではクライマックスの衝撃シーンの一つである「例の瞬間」がむしろずっと続いているような変形が会場に生起していたと思います。

『約束タワー』の歌詞を覚えておくと、もう既にうるうるきます。

 

10.舞台少女心得 幕間(世界は私たちの…)

 

世界は私たちの 大きな舞台だから

open.spotify.com

 

映画では『約束タワー』に続きインスト(曲名も変わって『世界は私たちの…』)で表現されたこの曲を、ここでは再び登壇した九九組がフルで歌唱し、スクリーンの映像が劇場版を越えてTV版の記憶をミックスしていく。

スタァライト的に言うのであれば「再生産総集編」。

「私たちは舞台少女」という歌詞が、星翔の歴代女学長たち、卒業していった上級生たちの集合写真の映像に合わさる時の、時間的スケール感の飛躍。エンパワメントと言うべきか大局的なシスターフッドというべきか、その遠大さと力強さに昼夜二部とも目頭が熱くなりました。

 

トークコーナー

 

昼の部/

話を小泉さんに振り、この状況下で歌の口火を切ったことの緊張が語られます。

お馴染み「ボスとのイヤモニ漫談」を生で見れて感動。

夜の部へのフリともなるバラエティコーナーや告知コーナー、スタリラに実装されたSSR劇場版ばなな「狩りのレヴュー」(帰宅後10連で引けちゃった…)の映像紹介などがあり、「まだまだ私たちの歌がございますので」と、主役かつ圧倒的仕切り名人の小山さんの不意に漏らした言葉で場内がそわそわし、演奏は後半へ突入。

終日、もよちゃんの流石の仕切り(自分の話だけ早口で片付け、一切溜めない)は安定の信頼感。

 

夜の部/

昼の部に続きバラエティはやや巻き気味に片付けようという意思を感じたのですが、明らかにここで全員の回答が揃って終了だろうという場面で、客席のペンライトが指す「キリン」を「バナナ(自分)」と勘違いしたもえぴが一人外して盛大にやらかし、微妙に尺が伸びるというハプニング。so kawaii

 

11.luminance

open.spotify.com

 

12.わがままハイウェイ

 

二人は時速100km(one hundred) すれ違っていく

open.spotify.com

 

昼の部/

輝ちゃんの声は音源音声のまま、これにオケ、映像、彩沙ちゃんのパフォーマンスが合わさるという、ちょっとその複雑さは想像さえ出来ないレベルなのに、違和感なくこなす各セクションのプロの技術を堪能。

かねてより本楽曲のシティポップ的な箇所が大好きとずっと公言していた彩沙ちゃんが(セクシー本堂パートでの吐息と緩急つけつつ)ノリノリで歌って踊る。香子のイメージとも少し異なるその軽快な身のこなしに意表を突かれて体が疼きました。一緒に踊りだしたい。

照明とデコトラ映像とのマッチングで会場のお祭りテンションが一気にMAXへ。

 

夜の部/

前述したおじさんの後頭部に視界が一部遮られる事で面白い作用が起こり、

 

『        スクリーンの双葉

             ↓

  彩沙ちゃん→ おじさんの後頭部   

         ↖

           自分の視界  』

 

となって、完全にそこに「おじさまの頭で見えないけど輝ちゃんがいる」という幻視が起こる現象に遭遇したのです。

「見えない相手と歌って踊ってアイコンタクトまで送る」という伊藤彩沙さんの高度な表現力の賜ではあるのですが、初の現場で九人揃った姿が見れなかったという悔しさから、ここで不意に解放されていました。

 

13.MEDAL SUZDAL PANIC◎○●

 

そうです皆様お待ちかねの エンターテイメント 命がけの

open.spotify.com

 

昼の部/

明るい曲調が一転してホラーに変わる静寂。

真っ赤なライトを浴びたはるちゃんが、その表情ひとつで会場を支配する「間」の緊張感。

オーケストラの迫力を伴いながら、やはりどうしたって会場を演劇空間に変えてしまう九九組の本領が一曲毎に溢れていました。

 

夜の部/

それにしても近くで見るはるちゃんの静寂の表情が本当に怖くて。「ホラー映画」は見慣れたけれど、「ホラーステージ」ってあるとしたら本当にこういうものなんだと。巨大なホールの中で、物音一つ立ててはいけない「間」が永遠にも感じられました。同時にそれは大迫力のオケコンならではの引き立つ「静寂」という音楽表現。

エレベーター内のサイケなホラー演出の照明による再現。高まった演奏の中断。

その緊張感を経た上での、はけていくひかりを見送る後ろ姿。これをまさに背中側から見ていたので、完全にそこに「まひる」が立っていました。

低音からハイトーンに持っていかなくてはいけない、地味に歌唱難度の高いまひるでさえ凄まじい「喉からCD音源、CD音源以上」を聞かせてくれることで、九九組のパフォーマンスのクオリティの高さを実感する一曲でもありました。

 

14.ペン:刀:力

 

煙る景色 果てる夢 夢に縋り霞を喰え

open.spotify.com

 

昼の部/

 

歌の再現のみで台詞は発さなかった今回のコンサートですが、この曲の冒頭で唯一、台詞としてななの「ガァオ!」がスクリーンに合わせて聞こえます。

それだけで卒倒しそうなのですが、小泉さん佐藤さんが立ち位置を細かく変えて映画を演劇的に再現。この立ち位置変化による舞台演出は『MEDAL』『ペチカ』『美しき人』と効果的に続いていくのですが、今回スタァライトの振付師:らくだちゃん(Yurika Rakuda先生)が不在であった為、前日しかないゲネリハ時にキャストが自ら提案していったものだそうです(ボスのアドバイスもあり)。

観客への事前通達の不備の数々が問題視されているコンサートではありましたが、送り手側にとっても事態が不鮮明なまま推移し、極々限られたリハーサルでこれだけのステージにまで高めてくれたことを、あくまで当日参加適った者としては感謝したいところです。

当然、参加を諦めていた場合はやはり不平不満の気持ちは抱いたでしょうし、そこにもまた正当性はあったと思いますが。

 

劇場版のレヴューにおいて、恐らくもっともシンプルで地味である『狩りのレヴュー』が、本公演そのスクリーン内の絵作りのシンプルさ故に一番「今そこで再演されている舞台」としての臨場感がありました。黄色いスモークによって「煙る景色」の再現。

立ち位置変化による舞台演出と言っても、単純にスクリーンの中のキャラに合わせてキャストが静かに出たり入ったり、上手/下手を進んだり戻ったり、振り向いたり去ったり、そうした簡単なアクションが起こるだけではあるのですが、それ故に非常に儀式めいた緊張感がありました。黒沢清長回しシーンでキャストの出入りに異様に気を取られてしまうあの感覚。

後の話ですが『美しき人 或いはそれは』に於いてあいあいさんが出トチって変なタイミングでステージ袖に立ち、何もせず引き返したそうなのですが、自分にはその記憶が、というか誰かがトチったという印象がなくて、おそらくその動きにさえ「意味」を感じ取れるくらい、「人がただ舞台上に現れて/はける」という行為そのものが本来持つ、人の目を惹きつけるアクション性が、効果的に感じられる空気感がこの日あったのだと思います。

その時あいあいさんはマイクを反対側のバックステージに忘れていて、「あいあい出ちゃった」「マイクこっちに忘れてる」と二重に裏側が慌てふためいていた話を知ると流石に笑いますが。

 

夜の部/

冒頭の「大場映画株式会社」のロゴからこっち、実は当日若干目障りではあった収録用のクレーンカメラの動きが、アリーナの至近距離から見ていると正に「撮影所」の舞台装置として機能してアトラクションを眺めているようでもありました。

ポラロイドの撮影シーンでもフラッシュライトの同期演出があったと思います。

また、客席から見るとスクリーンの中のななと小泉さんの動きが完全にシンクロした瞬間があって、この日もうずっとそうですけど「あぁ…ぁ…ワ…」と語彙がちいかわ状態。

 

スクリーンで見慣れた『劇ス』を自宅で鑑賞した際、もっとも物足りなく感じたのは、あの純那とななが横長のシネマスコープサイズをギリギリめいっぱい使って左右にはけていき、言葉は交わしてもとうとう振り返らない圧倒的な「別れの気配」。

あの切なさをまた味わいたいなと思っていたら、その究極たるステージでの実演です。

キャストがしきりにコンサート前に劇スの見直しを推奨していたので二日前に鑑賞した折、初めて感じ入ったキャラクターが純那でした。強者たちが織り成す物語の中で、「届かぬ足りぬはもう飽きた」「伊達に何度も見上げてないわ」と、凡庸な己を鼓舞する、謂わば映画の目線が観客の高さに降りてくるパート。「スタァ」である主人公に対して「星を見上げる」から名付けられた星見純那の決意表明。

正にアリーナ席からも「見上げている」訳で、最もこの日限りの演出効果を越えてキャラクターとして沁みてきたのが純那でした。

途中小泉さんが一旦下手にはけ、スクリーンのばななを背景として純那が歌い上げる様の、佐藤さんの声のはち切れそうな切実さ。スクリーン上で割れるステージ。ホールを引き裂く照明。

 

ところで、こうして順にレヴューの実演を見ることで、改めて映画の構成がスッキリ見えてきました。

 

敗者同士の豊かな世界である『わがままハイウェイ』

敗者が勝者に発破をかける『MEDAL SUZUDAL PANIC◎○●』

敗者が勝者に牙を剥き吠え立てる『ペン:刀:力』

勝者同志の終わらない鎬の削り愛である『美しき人、或いはそれは』

勝者が勝者に引導を渡す『スーパースタァスペクタクル』

 

綺麗。

 

15.focus

open.spotify.com

 

16.キリンのためのレクイエム

open.spotify.com

 

17.美しき人 或いは其れは

 

その執着に満ちた魂 地獄の底を照らすのさ その魂!

open.spotify.com

 

昼の部/

 

『わがままハイウェイ』は競演叶わず

『MEDAL SUZUDAL PANIC◎○●』はテンションの異なる二人

『ペン:刀:力』は徐々に二人のテンションが高まっていく

と、右肩上がりに歌唱のボルテージを上げてきた流れが、ここで振り切れた歌の殴り合いに。

スクリーンにはスタァライト副監督小出卓史さん渾身の上下左右立体的に飛んで跳ねて戦う真矢クロ。その手前では歌唱力で殴り合うまほあい。絶対的に目が足りない一日でしたが、そもそもこの『魂のレヴュー』に関しては普通に映画館で観ていても油断したら超絶作画を見逃すスピードとボリューム。高速で視線をスクリーンとキャストに行き来させて、目の外眼筋が疲れるくらい動かしました。

真矢クロが様々な額縁の絵画の中でシルエットとして戦い、カットの度に画面の中の色味が変わる瞬間。この日もう何度目か、会場全体を照明の「色」で染め上げて、ワンカット毎に異なる絵の中に閉じ込める演出が圧巻です。

 

アリーナ席ではキャストのご尊顔生で拝見できる喜びがありますが、スタンド席で引いて見ることで成立する照明演出が兎に角多かった一日。

単純にスタンド席の方が安かったので金欠から昼はそちらにしただけだったのですが、両部ともアリーナにしてなくて本当に正解だったなと。

夜の部では上手二階スタンド席に古川知宏監督が観覧に来ており、個人的にも「バージョン違いの劇場版」の様相を呈したこの日の公演を、アリーナでなくスタンド席から監督に目にして貰えてることに納得感がありました。

 

夜の部/

 

アリーナ席から「見上げる」視点になった時、映画本編中に「階段」を使ったステージが多いことによって、「オーケストラの頂きで見栄を切る真矢と、その頭上で輝く鉄の鳥」が目に出来るのですけど、オーケストラの皆様が王宮楽団のように配置されていて、「演奏者がキャストになってる…!」という感動を覚えました。ステージに立ってしまえば、オーケストラも皆な舞台少女。

そして、実際に互いに「かかって来い」という意志で歌声で闘っていたという富田麻帆さん相羽あいなさんの王者対決。この日ここまで上がりに上がったハードルが目に見えて越えられていく様に圧倒されます。実力者しかいねえな本当に。

ダン!  ダン! ダン! の手振りが大好きです。

 

まほ姉がどうもイヤモニの不調?を気にしているような素振りを見せてしばらくしてから、何か吹っ切った(ここで「まほ姉がイヤモニぶっこ抜いた」という証言と、「まほ姉の落とし物をあいあいが拾ってた」という証言もありました)かのようにリミッターが切れて、二人のハイトーンが空中で螺旋状に昇っていくかのように高まり、背景のスクリーンでは真矢クロが宙を飛び跳ねて戦い、本当に「歌でバトル」というアニメ表現が誇張抜きで展開していました。

そのピークを終えた瞬間、夜の部で昼の部には無かった「真矢の吐息」(スクリーンでは真矢が額縁の中のクロディーヌに見惚れている)でfin.

ななの出現、まひるのホラーに続いてこの日三度目、ホール全体が一斉に息を呑んだ瞬間でした。声にならない悲鳴ってちゃんと聞こえるんですね。

 

18.スーパー スタァ スペクタクル

 

綺麗で眩しくて痛くて悔しくて 奪って奪われて切ないよ

open.spotify.com

 

昼の部/

レヴュー曲ラストにして、スタンド席から見る「照明演出」の最大のピーク。

華恋、ひかりの口上シーンに合わせて、ムービングライトがスクリーンから飛びだして会場全体に光の花道を何度も築き上げていく。ソフト化される際には是非とも引きの画を入れて欲しい。

この日ずっと、アリーナから見るそれは「ライブ」でしたが、スタンドから見るそれは「作品」になっていたのです。

そして最後に華恋が目撃するひかりの「キラめき」が、立体的にホール空間の宙に飛びだして漂う。

スクリーンで青空に舞う上掛けを見送るみんなと、ひかりの笑顔。ここら辺ももう涙腺が潤んでいるので、実際には何を見てどこからが幻覚なのか判然としないです。

 

夜の部/

ムービングライトが客席をめっちゃじかに焼いて走る! ここは本当にスタンド席とアリーナ席でまったく効果の代わる場面でした。

 

『劇場版 少女☆歌劇レヴュースタァライト』のよくある感想、そして個人的な実感として、実は初見時ラストのレヴュー『最後のセリフ』に関してよく覚えていない、というものがありました。

華恋とひかりのドラマは回想シーンで積み上げられ、曲そのものは既にクライマックスから始まっている為、他のレヴューにはあった起承転結がいきなり「転結」を始めているからなのですが、やっぱり実際のコンサートを見ても、『スーパースタァスペクタクル』だけ一瞬なのです。

他のキャスト達が演劇的立ち振る舞いで印象を残す一方、三森さん小山さんの印象はひたすらまっすぐ前を向いて、感慨にさえほぼ浸らず、次の舞台を見据えている清廉なエネルギーの塊。

 

下手にはけるひかりを見送り上手に向かうまひる

互いに背を向け下手と上手に戻らない別離を果たす純那となな。

共に下手へはけていく真矢クロ。

という「退場演出」によってそれぞれの未来を見た観客の中で、

ここでは「華恋とひかりはどこにもはけずステージ上に残る」ことそのものが、観客のいるこの世界へと飛びだしてきたかのような、「音」「光」「スクリーン」に続いて最後にとうとう主人公二人が立体的に降りてきて、そのまま「この世界」のどこかへ向かって行くような。

 

そのまま一瞬の暗転をはさみ、間髪入れずにエンディング曲『私たちはもう舞台の上』が、フルバージョンで始まります。

 

19.私たちはもう舞台の上

 

ーー眩しいからきっと見えないんだ 私たちの行き先

open.spotify.com

きっと私たち叶えられるはず 何度も何度も

 

スクリーンに流れる「本公演の」エンドロール。

二階スタンドから見た昼の部では、ここが涙腺崩壊ポイントでした。映画の記憶、九九組のドラマ、やっと会えたこと、一つの作品を構築する無数の人々の名前。その延長上に観客を位置づけるタイトルの意味の変化。

私たちはもう舞台の上。華恋とひかりが現れ、どこかへ向かっていった、この同じ世界の上。

何より楽曲そのものクライマックスの、生で聴くとはちゃめちゃに迫力ある、5声からなる複雑高度なハーモニー構成の再現。これもまたショートVer.しか流れない劇場版を再生産した、更に上回ったポイントの一つでしょう。

そしてクラップ! 作・編曲佐藤純一さんの粋な仕掛けで、会場みんなでリズムに合わせて手拍子。最後の最後に限りなく単純で原初的なライブの喜びを観客が共有出来ました。

 

○終わりの挨拶

 

最後の挨拶では、彩沙ちゃん泣くかな? と思わせてからの輝ちゃんブロマイドを背中にはっつけて「一緒にいました」。自分も輝ちゃんブロマイドを持参していたので胸熱です。

これは昼の部での光景だったか、このような情勢下で足を運んだこと、抵抗がなかったと言えば嘘になりますが(だいぶ嘘寄りですが)、絶対に後悔はしまいと誓いました。

昼の部では小山さん三森さんが夜の部のチケットも買うようにと徹底して宣伝に努めていて、「そう、華恋とひかりは余韻に浸ったりせず『次』に向かってる筈なんだよ…」と勝手に解釈一致で盛り上がっていました。

 

20.星のダイアローグ

 

いつか いつか 空に届きますように

open.spotify.com

 

キャストにとっては原点回帰。

劇場版との出会いでスタァライトにハマり、歪な後追いを続けてきた、遅れてきた舞台創造科である自分にとっては、旅の一つのゴールとなりました。

 

 

改めて、『WSB』の血の赤、『わがままハイウェイ』のネオン、『MSP』のサイケデリック、『ペチカ』のスモーク、『美しき人』の絵画、『ススス』の赤と青、最初からこのコンサートを想定してんじゃないかと思えるほどハマっていた拡張演出の数々によって「映画の色彩に溺れる」感覚は唯一無二で、本当に得がたい体験でした。

 

また、昼の部の歌唱は「音源の完璧な再現」を、夜の部の歌唱は「壊れてもいいから演奏と感情のボルテージのままに歌い上げる」ことを志向しているように感じられて、両部とも参加した価値は音楽面でも感じることが出来ました。

 

ここに生田輝さんがいれば完璧過ぎる一日。

ところで『世界は私たちの…』終盤でプログレ風に変調し訪れる「アルチンボルト・キリン」の場面は再現されたのだったか。

『世界は私たちの…』オケ編成からの『舞台少女心得 幕間』歌唱も入れてくれたら、更に完璧。

全編に台詞も取り入れてくれたら更に更に完璧。

オーケストラコンサートの再演を、強く待望しております。

 

と、言う訳で、

 

僅かでも興味を持っていただけましたら、是非ともディレイ配信での鑑賞をお薦めして終わりにしたいと思います。

『劇場版 少女☆歌劇レヴュースタァライト』を楽しめた人なら絶対に堪能出来る筈です。

 

 

これだけのボリュームがしめて2200円のお安いプライス。

4月30日(土)18:30より配信開始。

販売期間は5月7日(土)20:00まで。見逃し配信は5月7日(土)23:59まで。

 

ちなみに自分は、まだこの記憶を記録で上書きするべきかどうか、迷っています。

全然違ってる内容だったらそれはそれで面白いのですが、自分自身の体感としてはこの記事の内容で嘘はないのです。

 

そして、ソフト化して欲しいです………。

 

 

追記.

会えたで~.

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

ほしい物リストをポチ

www.amazon.co.jp

 

notebook.hauyashi.com