UNCUT DIAMONDS ー 『少女☆歌劇レヴュースタァライト-The LIVE- #1 revival』感想

 

スタッフ

 

【演出】児玉明子 【脚本/作詞(1部)】三浦香

【音楽(1部)】中村康隆 【音楽制作(2部)】山田公平

【劇中戯曲制作/作詞(2部)】中村彼方

【振付(1部)】八木絵己子 【振付(2部)】増田佑里加

【殺陣指導/演出補佐】市瀬秀和

【美術】中西紀恵 【照明】林順之 【衣装】小原敏博

 

キャスト

 

スタァライト九九組

【愛城華恋】小山百代

【神楽ひかり】三森すずこ

【天堂真矢】富田麻帆

【星見純那】佐藤日向

【露崎まひる岩田陽葵

【大場なな】小泉萌香

【西條クロディーヌ】相羽あいな

【石動双葉】生田輝

【花柳香子】伊藤彩沙

 

【アンサンブル】

菊永あかり 木原実優 倉持聖菜 後藤早紀

佐藤聖羅 甚古萌 中村景好 馬場莉乃

 

【走駝紗羽】椎名へきる

【烏丸ウラ羅】真田怜臣

【綿里鶴子】小林風花

【キリン(声)】津田健次郎

 

2018.01.08 AiiA 2.5 Theater Tokyo.千秋楽公演.

 

※一部コミカライズ参照して書き起こし。

 

第一部 ミュージカルパート 75分.

 

鐘の音、並ぶ九人のシルエットと共に始まる。

スタァライトの始まり ーー その「再演」。

 

ドレープカーテンの裏側 祈るように手を握り合わせて

静かな熱狂に向かって ねえ私たちが連れていくよ

 

エンドステージを染めるのは この歌声、この身体

3・7・5・1・0

 

幼き日、ひかりと華恋が戯曲『ザ・スタァライト』に目を焼かれる。

走駝先生が演じていたその演目。タワー・オブ・デスティニー。演者は8人。

暗い世界でこそ光は輝く。

幼なじみのクレールとフローラは、

禁忌を破って光り輝く星を積むため、高い塔を登り始める。

立ちふさがる六人の女神さえ二人の歌声に心を開くが、

頂上の門を開いた時、フローラは星の光に目を焼かれ、まっさかさまに落ちていく。

そして塔は星の重みで崩れ、残されたクレールは幽閉されてしまった。

スタァライト。それは悲劇で終わる物語。

キラめきに心を奪われた者たちは、ただ落ちて崩れ、輝くのだ。

 

あれから長い月日が経って、華恋たち聖翔音楽学園の生徒たちは一流の舞台少女になる為に鎬を削っていた。

教師たちは卒業生たちの残した「伝説のしごき」舞台装置コロス(舞台用語で脇役を指す。文字通り舞台装置。合唱隊のchorusが語源ともされる)を発動し、我の強い8人はこれに対峙。しかし怯えたまひるは窮地に陥ってしまう。

助けに駆けつけようと華恋が動き出したその時、転校生ひかりが舞い込んでくる。

それは華恋とひかり、運命の二人の再会だった。

伝説のしごきを乗り越えた9人に、走駝先生はご褒美を与えようという。

 

一度開いた幕は下りないってこと

 

異様にギスギスして当たりの強い真矢、クロ、双葉、香子。

クレージーさが強調されている純那。ツンと澄ましたひかり。

攻撃的な敵対意識の強い生徒たちの中、ななは「8人で演じた去年のスタァライトが崩れる。去年のスタァライトを忘れたくない」とナーバスに陥る。

ひかりと華恋の関係に疎外感を覚えるまひる

 

そこから本作のハイライト『私たちの居る理由』が始まる。

ここにいる自分の理由を個々に歌う9人の歌声が一つのレヴュー曲となる。

その盛り上がりの交接点を『時を止めて 大人にならないで』と最初に歌い上げて持って行くのがななであり、最後は華恋が主旋律を担いその上で皆を歌わせ、最後にひかりが合流する。

 

そして「オーディション」が始まる。

教師たちは「客席から」この世界のルール説明の役を担わされる。

スタァライト』の世界を理解する上で必要なルールはほぼこれがすべて。

 

「緞帳の匂い 簀子の匂い 照明が埃を焼く匂い

 

 舞台少女の中から溢れ出る情熱を感じれば感じるほど

 舞台が ライトが 音が 衣装が セットたちが勝手に踊り出す

 舞台少女の力に舞台が応えてくれる

 

 1対1で競い合い 勝った者が相手のキラめきを手に入れる

 それがレヴューオーディション」

 

舞台少女たちのキラめきに答えて舞台機構が動きだし、怒濤のレヴューが続く。

 

『激昂のレヴュー』純那VSひかり

『嫉妬のレヴュー』ひかりVSまひる

『孤独のレヴュー【再演】』ななVS華恋

『絶望のレヴュー』双葉VS香子

『迷宮のレヴュー』真矢VSクロディーヌ

 

やがて殺伐とした戦いを否定した華恋にななが協調し、そこからなし崩し的にコロスとのクライマックスに突入する。

 

実は物語じゃないのだ。

それぞれの心情を背負った9人がここにいる、という状況を立体的に伝える。

それが舞台。

映画やアニメ、前方へと直線で進む時間軸の映像メディアに対して、ここではただ状況があり、それを様々な(而して圧倒的に主演9人の身体を活用した)舞台機構の推移と殺陣、歌とダンスで、上方へと膨れ上がらせている。

メディアミックスとはよく言ったもので、ここから上方へ「展開」した状況が再び収斂し、それぞれに落下して、最後にはバラバラの個に還る。ただそれだけの物語が『レヴュースタァライト』なのかも知れない。

時間軸で言えば進んでいるのかどうかも定かではない。最初から最後まで全部舞台の上にただあり、そして再演される(初演はソフト化されておらず、映像として記録されているものの始まりからして「再演」でしかない、という宿命)。

 

前半では九九組自身によって「仲間」という概念が嘲笑されるのに、最後には一時共闘の空気が生まれる。この中間が欠如していて、これが直線的な映像作品のストーリーテリングであれば欠陥とされるかも知れない。

この共闘は華恋の声にななが賛同することで成立するが、そのななの発する台詞の意味のイチイチをこの時点では観客も、そして演じるキャストさえも知らず、どこまでも「みんな」「仲間」が表面的なものでしかない点をより強調する構造も意地が悪い。

意味的にはどこまでも成立していないものが、ただ歌って踊ることでのみ、その様に魅せられる舞台機構たる観客がいることによってのみ、陽炎のように儚く成立している。

 

フィルム・ノワールのようなものかも知れない。事件の因果関係は煙に巻かれたまま、気がつけば銃声の一発で勝手に終わってしまう乱暴な映画のように。

「個」を主張しぶつかり合う少女たちのドラマが、「レヴュー」で歌と踊りと殺陣によって勝手に終わっていく。

 

物語は無く、そこに活動するエネルギーの残像だけが残される。

 

 みんなと並ぶカーテンコール

 眩しいシーディングライト

 舞台から見えるシートシルエット

 

あるのはそう、それだけ。

いきなり#1だけを魅せられた当時の舞台創造科の皆さんはこのあまりに極端な構成の舞台をどう受け止めたのか(受け止める為に必要な最低限のピースも伏せられているのに)、ともかく羨ましいと同時に果たして自分は本公演だけでハマれたかどうかはわからないが、この恐ろしくシンプルで抽象的な一時間ちょっとの舞台に、今後スタァライトが展開する全ての物語がもう詰まっている気さえするのが不思議だ。

 

ところで華恋と相対するかに見えて共感するななの立ち位置は、『アルカナ・アルカディア』でのまひるとの衝突で大きく否定されることになるので、スタァライトのメディアミックスにまで手を出した人は是非スタリラをインストールしてメインストーリーだけでも読んで欲しい(アルカナ・アルカディアは後日談がこの上なく「完結編」なので、ソシャゲ特有の終わりの見えなさは味合わなくて済む)。

 

第二部 ライブパート 35分.

 

1.舞台少女心得

2.願いは光になって

3.情熱の目覚めるとき

4.GANG☆STAR

5.Fancy You

6.Star Divine

7.スタァライトシアター

【カーテンコール】Glittering Stars

 

ミュージカルパートから間髪入れずにライブパート。

九九組の歌もまた、どれも「始まりにして終わり」のような、本作を演じるキャストが、そして観客が、スタァライトを通して『舞台』という、あるいはそこにいる「役者の今」と言う、耐えず一過性の世界に何を想い、何を感じ、いかに熱くなり、そして切なくなるのか、あらかじめ全て仕込まれている。

だからライブにして、やはり本編と地続きのミュージカルパートなのだろうと思う。

 

そしてすべてが「一過性のもの」として仕込まれた『レヴュースタァライト』唯一の誤算が「劇場版がロングラン上映され続けている」という展開であり、たえず舞台少女たちのキラめきに焼かれ、落ちていくことしか出来なかった舞台創造科が、「今も映画が上映され続けている世界」という舞台をキャスト達、スタッフ達に与えることが出来たというのは、一矢報いたというのはおかしいかも知れないが、ひどく痛快な出来事じゃないだろうか。

私たちも、ひかりに負けたくないのだから。

 

 

 

映画やアニメの感想なら惰性でも言葉がいくらでも出てくるのに、舞台のことはわからな過ぎて、知らない感覚が多すぎて、本当に思っていることを言語化出来ない。

それが楽しい。乱文お付き合いいただきありがとうございました。

 

 

 

そっ

 

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