1997の空から降りそそぐ ー 『チェンソーマン』感想

 

スタッフ

【監督】中山竜

【原作】藤本タツキ

【脚本】瀬古浩司

【キャラクターデザイン】杉山和隆

【アクションディレクター】吉原達矢

【チーフ演出】中園真澄

【悪魔デザイン】押山清高

美術監督】竹田悠介

色彩設計】中野尚美

【撮影監督】宮原洋平

【音楽】牛尾憲輔

【制作】MAPPA

 

キャスト

【デンジ】戸谷菊之介

【マキマ】楠木ともり

【早川アキ】坂田将吾

【パワー】ファイルーズあい

 

【岸辺】津田健次郎

【姫野】伊瀬茉莉也

【コベニ】高橋花

【ポチタ】井澤詩織

【荒井ヒロカズ】八代拓

【黒瀬ユウタロウ】河西健吾

【天童ミチコ】上田瞳

 

【コウモリの悪魔】松田健一郎 【ヒルの悪魔】橘U子

【狐の悪魔】甲斐田裕子 【呪いの悪魔】上田ゆう子

【未来の悪魔】裕樹 【幽霊の悪魔】きそひろこ

【サメの魔人】花江夏樹 【天使の悪魔】内田真礼

【暴力の魔人】内田夕夜 【蜘蛛の悪魔】後藤沙緒里

 

【沢渡アカネ】大地葉

【サムライソード】濱野大輝

 

OP 米津玄師『KICK BACK』

ED Vaundy『CHAIN SAW BLOOD』

  ずっと真夜中でいいのに。『残機』

  マキシマム・ザ・ホルモン『刃渡り2億センチ』

  TOOBOE『錠剤』

  syudou『インザバックルーム』

  Kanaria『大脳的なランデブー』

  ano『ちゅ、多様性。』

  TK from 凜として時雨『first death』

  Aimer『Deep down』

  PEEPLE 1『DOGLAND』

  女王蜂『バイオレンス』

  Eve『ファイトソング』

 

2022.10 - 12月 O.A.

 

【あらすじ】

 『チェンソーの悪魔』ポチタと共にデビルハンターとして暮らす少年デンジ。

 親が遺した借金返済のため、貧乏な生活を送る中、

 裏切りに遭い殺されてしまう。

 薄れる意識の中、デンジはポチタと契約し、

 悪魔の心臓を持つもの『チェンソーマン』として蘇る ー 。

                    (公式サイトINTRODUCTIONより)

 少なくとも――

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 ――最初に発表されたPVのイメージ通りのアニメーションが1クールに渡って実現していたことは事実で、そこに何一つ嘘はなかった。この達成だけでやり遂げたアニメ。

 

 風が吹き、肉体が止まらずに芝居を続け、画面がリミテッドな静止への停滞に甘んじない。『進撃の巨人 Final Season』でMAPPAが完成させてきた映画ライクというより実写ライクな作画の密度がそこで留まらず持続している。

 そんなヌルヌル動かなくていい、TVアニメならではの良さもあるという意見もわかるけど、それはそれとしてより進化したアニメを見たい欲求も強いので、この方向性で伸びてくれるんだという驚きが全てに勝る三ヶ月、非常に楽しかったです。

 その作画が重点的に描くのは主に日常芝居と戦闘に到る溜めのサスペンス。アクションとは戦闘行為そのものでなく戦闘行為を成す所作の一つ一つを指し、そこに到るまでの所作が手抜きなら作品の重力がなんでもありになり、バトルだけ急に飛躍しても気持ちは高揚しない。『物語』シリーズのアクションが虚しいのは概ねこの所為。

 所作の連続で戦闘に到る。その流れを30分毎に描ききること。マンガからアニメというメディアの置換を演出面で忠実に守っているので、「マンガだとこう表現されてたからアニメではこうした方が良い」などと言った意見も「そりゃそのシーンだけアニメ化するならそうなのでしょうが」としか言いようがないです。

 マキマの虐殺や覚醒したコベニの戦闘、優れた実写のサスペンスが持ちうる連続した時間の緊張感がそこにあった。

 本来『serial experiments lain』とか好きなオタクだけがキャッキャする、「結構な割合で1クールに一本は紛れ込んでいるが、マニアックな人気に留まりそのクールの覇権には到らないタイプ」のアニメが、どメジャーで展開してしまったという事故的な(けれど今後スタンダード化してくれたら嬉しい)実験作なのだと思う。

  

 だから全面的に作風を応援した上で、物足りなさもあった。

 アニメとしての個人的な好き度、というか客観的な完成度としても『チェンソーマン』>『呪術廻戦』>『鬼滅の刃』だと思うのですが、「戦闘シーンのもたらすカタルシス」は『鬼滅の刃』=『呪術廻戦』>『チェンソーマン』になってしまう。

 日常芝居から飛躍した戦闘は、日常の延長上にある場面では最高に輝くのだけれど、悪魔同士、魔人同士の対決といった日常から大きく外れたものともなると、そこから更にもう一段階、アニメ的な嘘の飛躍が必要だったのではないかと、『サイバーパンク エッジランナーズ』の余韻収まらない内に始まってしまったアニメだったのでよりそう思う。

  肝心の「チェンソー」を引き立てる演出が第一話以降特に見あたらず。

 これは実は『死霊のはらわた』シリーズも「ブルース・キャンベルの顔芸とテンション」で、『悪魔のいけにえ』シリーズも「レザーフェイスの肉体の存在感とチェーンソーの不快なノイズ音」で誤魔化されるだけで、チェーンソー自体は人を切り裂く以外、画的になかなか活かしづらいという根本的な問題なのですが*1

 振り返っても一番痺れたアクションはどんなチェンソーバトルより、上述の、コベニとアカネの銃撃シーンだったから。あれをもっと長くすれば『アウトロー』や『ブルータル・ジャスティス』のクライマックスのような重力ある銃撃の名シーンが作れたんじゃないだろうか。

 それでも最終回のチェンソーアクションは「電車」という舞台によって重力の飛躍にワンクッション入れたお陰で、非常にうまくいっていたと感じる。

 

 そこら辺の物足りなさから声を伸ばして作り手の欠陥として指摘する気にはなれないのは、本作のシリーズ構成がどこまでアニメスタッフの自由が活かされる余地があったのか甚だ怪しいと考えているからで。

 製作委員会方式ではなくMAPPA集英社の二枚看板だから自由に作れる!なんてまったく同じ内容の声が承認欲求モンスターたちによって繰り返しバズってましたが、個人的に一番自由度を妨げるモンスターがいるとしたら集英社の編集たちの「原作を守らせようとする介入」だと思っているので、どこまでアレンジが許されていたのか気になってしまうんですよね。

 

 進展の遅さもあまり美点とは言い難い本作に嵌められた枷として、

・劇場版商売をしたいのでレゼ編の手前までしか描けない

・必要以上のアレンジに編集部からセーブがかかる

 という生かさず殺さずの状況があったのではないかと邪推してしまうのです。

 

 これだけ日常芝居を丁寧に描くアニメが、前話ラストと次話アバンで同じシーンを繰り返す際に、わざわざ新規作画、異なるショットで描き直すなんていう二度手間(これは非常に見てて退屈でした)をするだろうか。そんなことするくらいならオリジナルの掛け合いをいくらでも付け足せばいいのに、その自由が無かったのではな? と。

 どこまでも優等生的作りに終始した『デカダンス』を見る限り、瀬古浩司さんは原作のような生きた掛け合いはあまり得意そうではありませんけども、

 

 「チェンソーの戦闘シーンがネック」「これでもまだ原作に縛られ過ぎ」

  という二点はたしかに不満要素でありつつ、それ以外は大満足、なんならアニメ史に残るエポックだとさえ思っていて、逆にそんな作品が『ぼっち・ざ・ろっく!』『水星の魔女』『サイバーパンク エッジランナーズ』etc……化け物タイトルに囲まれて埋もれ気味になってしまう今のアニメの状況がヤバいのだと思います。

 

 ED歌う顔ぶれは如何にもボカロ世代の「似たような音ハメの安い言葉遊び匿名性HIPHOP」とでもいった汎用タイプのミュージシャンを揃えてしまい、楽曲的には女王蜂の「バイオレンス!」の一言が際立って印象的な以外に正味違いが分かりづらく印象にも残らなかったのですが(彼らの中で頭一つ抜けた米津玄師だけOPを飾っているのは露骨過ぎないか)、『呪術廻戦』ED2がそうしたかったように、この先そう長くはないデンジたちの青春が色んな視点で綴られるアルバムのようでエモくて、嫌いじゃありませんでした。

 

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 ところで『チェンソーマン』第一部の時代設定は1997年。

 本作の乾いた空気、灰色の空、日常シークエンスのサスペンスだけは十分に醸成するがアクションシークエンスは爆発しきらず控えめ、そしてどこか懐かしいED。

 OPが洋画パロディのつるべ打ちなのでミスリードされるけれど、本編は「80年代後期~90年代までの邦画の空気の再現」だとしたら全てめちゃくちゃしっくり来るなと!

 ネトフリ版『スプリガン』で小林寛監督(水星の魔女)は80年代、90年代ハリウッドアクションを見返してその空気を再現しようとしたという話を読んで、よりそういう事もあるんじゃないのかと妄想してました。

 

 (あの頃の)北野武塚本晋也黒沢清崔洋一SABU林海象青山真治三池崇史塩田明彦etc……のラインに本作を浮かべてみると、違和感ない。

 あの空から降りそそぐ重力が世界に存在感を与え、良くも悪くもキャラを地表に縫い付ける。

 

 また、背景美術の光の推移をはじめ「日常芝居でも全体が動き続けている」レイアウト作りが戦闘シーンでの飛躍を狭めてしまったとも思ったのですが、今後話のスケールが飛躍し、また現在連載中の『チェンソーマン2』に到っては「背景そのものが現実の日本から飛躍して香港化していく」ことを思うと、今のアニメ版『チェンソーマン』のスタイルはこの後、もっと効果的に原作とマッチしていく筈なので、是非このまま進めてください決裁通しますありがとうございました。

 

 少なくとも自分の抱いたモヤモヤを言語化する労力を厭って空気に流されスタッフ変更署名なんかに賛同している怠惰の魔人たちの意見など、一切聴く耳値しないのです。

 

*1:そんなことないよ、『悪魔のいけにえ』は完璧だよ。特に『2』