足場を作る ー 『少女☆歌劇レヴュースタァライト』感想

スタッフ

【監督】古川知宏

【シリーズ構成・脚本】樋口泰人

【副監督】小出卓史

【キャラクターデザイン】齊田博之

【プロップデザイン】高倉武史・谷紫織

グラフィックデザイン】濱祐斗・山口真生

美術監督】秋山健太郎福田健二(studio Pablo)

【3D監督】秋元央(T2studio) 【3D舞台照明】カミヤ ヒサヤス

【撮影監督】出水田和人(T2studio) 【編集】黒澤雅之

【音響監督】山田陽 【音楽】藤澤慶昌/加藤達也

【戯曲脚本・劇中歌作詞】中村彼方

【アニメーション制作】キネマシトラス

 

キャスト

【愛城華恋】小山百代

【神楽ひかり】三森すずこ

【天堂真矢】富田麻帆

【星見純那】佐藤日向

【露崎まひる岩田陽葵

【大場なな】小泉萌香

【西條クロディーヌ】相羽あいな

【石動双葉】生田輝

【花柳香子】伊藤彩沙

 

【櫻木麗】名塚佳織

【眞井霧子】篠宮あすか

【雨宮詩音】広瀬さや

 

【キリン】津田健次郎

 

OP スタァライト九九組『星のダイアローグ』

ED スタァライト九九組『Fly Me to the Star』

  ・ED歌唱クレジット 3話:神楽ひかり

             4話:愛城華恋・神楽ひかり

             5話:露崎まひる

             6話:花柳香子・石動双葉

             7話:なし(インストゥルメンタル

             8話:愛城華恋

             9話:星見純那・大場なな

             10話:天堂真矢・西條クロディーヌ

 

   劇中歌 第1話『世界を灰にするまで』(星見純那、神楽ひかり、愛城華恋)

       第2話『The Star Knows』(星見純那、愛城華恋)

       第3話『誇りと驕り』(愛城華恋、天堂真矢)

       第5話『恋の魔球』(露崎まひる、愛城華恋)

       第6話『花咲か唄』(石動双葉、花柳香子)

       第8話『RE:CREATE』(神楽ひかり、大場なな)

       第9話『星摘みの歌』(天堂真矢、西條クロディーヌ)

          『星々の絆』(大場なな、愛城華恋)

       第10話『-Star Divine- フィナーレ』

        (愛城華恋、神楽ひかり、西條クロディーヌ、天堂真矢)

       第11話『舞台少女心得 幕間』

        (愛城華恋、星見純那、露崎まひる、石動双葉、花柳香子、

         大場なな、西條クロディーヌ、天堂真矢)

       第12話『スタァライト』(愛城華恋、神楽ひかり)

 

2018.7 - 9月 O A. 全12話.

 

【あらすじ】

 『舞台少女』―――それは未来の舞台女優を目指す、キラめきに溢れた少女たち。

 ある日彼女たちの元に1通のメールが届く。

「お持ちなさい。あなたの望んだその星を」

 輝く星を掴むべく、オーディションに集まった9人の舞台少女。

 光を求める想いが、執着が、運命が ――― 舞台の上で交錯する。

 今、レヴューの幕が上がる。

                    (公式サイト INTRODUCTION より)

 

  • 間隔の錯綜

 

 二年前の夏に「コイツ人格変わったのか」くらい生活の全てがスタァライトされて来た訳ですが、繰り返し見たのはあくまで劇場版。TV版に関しては恐らく一昨年と昨年、そして今回と一年に一回一周してる程度。

 結果、とても親しいのに距離感の掴めない、自分にとって不思議な位置づけの作品となっています。

 『時間感覚(間隔)の喪失』。それ自体がスタァライト最大の仕掛けで、見事にその術中に陥ったのではないか、とも考えつつ。

 

「最初から九九組を追っていたかった。。。」

 この二年、何度後悔したかわからない叶わぬ願いですが、TV版そのものは放映時にちゃんと見ていたという事実が余計口惜しさに拍車を掛けます。

 「とはいえ当時の自分に『舞台を観に行く』選択肢は間違ってもなかったからな」と言い聞かせやって来たけれど、恐らく舞台まで行かずともYouTubeスタァライトチャンネルで生配信された初回放送前の長時間に及ぶパーティーを見ていれば、それだけでハマれたんじゃないかって。


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 まずOP。このOPは好きで当時何度も見てるんですよ。


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 劇スにハマって一通りコンテンツを履修して以降、すっかり長年の舞台創造科*1気分を錯覚していますが、このOPを見ると実際に放映されていた5年前の夏との時間的距離感を痛烈に意識させられて辛い。

 

 ちな全然記憶にない初期の感想

 OPで華恋飛び込んでくるとこの既視感は否めないとは言え、今見るとイクニというよりは『ユリ熊嵐』で副監督だった古川色そのものをかぎ取っていた気がしますね。

 得た。

 どうした? なんかあった?

 

 また『ロンド・ロンド・ロンド』も劇場公開時に見ているんですね。

 そして地元のシネコンに九九組がコロナ振り替え公演である『-The LIVE OLINE-』の舞台挨拶に来た2020年7月12日その日その時、イオンシネマのワンデーフリーパスポートを活用して一日中そのシネコンに入り浸っていて、その廊下もロビーも通ってたのです本当に辛い。ニアミスなんてものじゃない。

使います、じゃない。お前は後に人生最大級の後悔をする。

ホラ認識してるんですよ、でもまだ略称がいかにも素人てんでダメ。

その時のファンの人たちと後日またどっかで擦れ違ってるかもな。

生田さんのことはアイドルマスターシンデレラガールズのナターリア役として認識していました。『(たぶん)』がムカつきますね。

『透明人間』はこの年のベストなので本当に観て良かったですし、『千と千尋』を劇場で見返せた事も幸せでした。最後に観た『アンチ・グラビティ』は今想うとロシアの空虚な膨張を象徴するような当時よく公開されてたロシア大作の一本で、出来は非常にお粗末なのですが人生初めての映画館貸し切り体験で、やはり観れて良かったんですね。

 となるとこの『SKIN』の時間に九九組を見ていれば、最高に思い出深い「完全な一日」が成ったんじゃないかと思うと*2

 

 加えて、 

 

・フォロワーさんが「#1」から舞台を見ていて存在は知っていた

・なんならアニメ放映時は↑のシネコンのあるイオンモールブシロードショップが健在だったので、九九組が9分割で描かれた大きなポスターの前をよく通っていた

・声優認識能力が地に堕ちてた当時の自分でさえ漠然と中の人も三森、生田の二人までは認識出来ていた

 

 ここまで来てもまだ遠かったリアルイベントとの距離感。

 そこを引き寄せるに到った劇場版の影響力たるや。

 こうした、リアルイベント=舞台を知っている人/知らない人の差が感想さえも左右するTV版。

 wikipediaにAnime News NetworkでのReviewが参照されているのですが、ここで評者によって抽象的なポイントを『「キラめき」「運命」のような無意味な言葉を繰り返すだけのシーンがあまりに多い。』と感じた人(Nick Creamer)と『特定の芸術様式に結びついた感情を呼び起こし、かき混ぜるものである』と感じた人(Christopher Farrisとに別れてる。

 恐らくTV版視聴者だった放映当時の自分は前者で、ひとしきり舞台やライブで彼女たちの「キラめきに焼かれ」、「運命」(後述)に取り込まれた今は後者の見方が出来る。

 時間感覚も作品内との距離感も、恐らくこちらが見る角度を変えている為に、触れるたび変動する。

 

 プロジェクトに参加するようになって、古川監督と樋口さんは実際のキャストオーディションや先行して上演された舞台版から多くの影響を受けた事を公言されています。中でも本来ラブライブ!などの2.5次元に否定的な考えを持っていた古川監督が受けた衝撃は、恐らくスタァライトから入って同様のカルチャーショックを受けた自分と同様。

 監督にとって『キラめきに焼かれる』事は比喩ではなく、その具象をリアルイベントに参加することで追体験した観客は、自然とメタ的な作品構造の中に取り込まれ永久機関が完成しちまったな~!これでノーベル賞もんだぜ~!=『運命』を我が事として腑に落とす事が出来るようになる。

 

 言ってしまえば「作品内外の事情をよく知ったから作品をより深く理解出来た」という至極当たり前のことではあるのですが、「よく知った事で深読み出来る」のではなく、「よく知った事で画面に映るありのままの事象を受け止められるようになる」という点で、やはり作品の強度が高いのだと思います。

 本作は「読み」のあらゆる可能性を拓いている、訳ではなく、むしろ舞台も台詞もキャラクターもほとんど制限されている為に、これでもかと解釈の余地は圧縮されてある。ただその解釈は実際のキラめきを浴びるたびに再生産が可能で、受け手の心理状態に合わせて都度フレッシュな、角度の変わった感動を覚えることが出来る。ここに本作を「沼」たらしめる秘訣があるのでしょう。

 観劇のたびにこちらの座席は変わり続けても、上演される舞台は代わらないように。

 

  • 少女が舞台に立つ日

 

 一話から既に淡白な日常パート/圧巻のレヴューパート、作画コストの分配が的確なのも、具象として必要なものは全て記号として配置しているので、そこに必要以上の精密さは不要、という選択が行われているから。

 唐突な東京タワーからの「落下」の長尺シークエンスによってレヴューという幻想への導入は成され、作品の方向性を予告する。この「落下」というモチーフが以降、劇場版に到るまで一貫し、予告であり主題にもなっている。あらゆる表現がクドいくらい反復されるアニメですが、すべてテーマと密接に結びついているからこそ無駄なく再利用が可能とも言える。

 華恋がくるくるバレエを踊りながら会話シーンを流す様は『花とアリス』でしょうか。

 王冠の髪飾りを取りに帰ろうと駄々をこねる華恋が完全に幼女。ひかりに依存している状態で、やはり劇場版が必然だったと、ここら辺も今だからこそ気づけます。

 そして後半、レヴューオーディションが始まってからは、もはやグウの音も出ない完璧で気持ち良いアニメーション。枠と構成をしっかりハメたので、後は必要に応じて的確なポイントでサービスに全振りするぞ、という職人魂。

 

 ここから先も最初は一話毎に改めて気づいた事を書き留めていこうとしたのですが、見返すごとに無駄なシーンの無さに呆れ、細部を取り上げる気さえなくなっていきました。細部が耐えず全体に奉仕しているので。

 先日立川シネマシティで開催された樋口さんのトークショーで本人が解説されていたという、「愛城華恋の物語」「神楽ひかりの物語」「大場ななの物語」三種の物語を全12話の中に同時に、別々のスパンで割り振って共存させた構成の妙。

 

 例を取ると、そこまで華恋への恋慕を覗かせていたまひるのお当番回となる第五話。  

 単発回としても完成度が高く、オーディションに敗れてまひる芋パーティーに救われる流れは何度見ても良いものですが、この過程でまひるが「スタァライト公演のキャスティング変更」で、ななと。「奪う/奪わない」という文言で、ひかりと。「別種の衝撃を同時に受けている」という経済的なドラマトゥルギー。初見では絶対にわからない箇所でした。

 あくまでまひるのお当番回のまま、なな・ひかりのドラマがバラバラの位相で駆動している事が示されています。

 

 作品構造の中に「ファン心理」「舞台少女達の実際の生き様」「そしてこちらも思わず触発されて動き出してしまう事」がメタ的に取り込まれている点に関しては論ったらキリがなく、こちらの情緒が不安定になっている時には台詞や歌詞の一ライン毎にエモが募って「永遠に冒険していてくれ九九組」と泣きたくなるのですが、それらが基本「星に手を伸ばす少女と、そんな少女のキラめきに目を焼かれる観客」のバリエーションであるとすれば、やはり本作でもっとも重要な存在は「その少女が立っている舞台」。

 タイトルにもなってるからミスリードされるけれど、「星」はつまりどうとでもなる、そして永遠に届かない*3マクガフィン*4

 一方で、星に手を伸ばす少女の姿を観客が見る為に必要な、彼女たちが芝居を演じ踏みしめている足場=舞台は確実にそこに存在していなくてはなりません。

 なのに冒頭で東京タワーから落とされ、足場を失った愛城華恋の物語は、最後に横倒しになった東京タワーで橋を架け、再び「立って演じられる場所(走る訳ですが)」を獲得することでとりあえずのフィナーレを迎えます。

  劇場版がやはり舞台少女たちの落下のイメージを繰り返した末に、華恋が再び上昇してひかりと同じ場所に立てるようになる事を(しかしそこで共存するのではなく明確な決着が付く事を)求めたように、「自分の舞台を見つける愛城華恋」の物語の、たった二度の反復が『スタァライト』の全てとも言えます。

 

 余談ですが劇場版への予兆、及び反復でいうと、

・最初に華恋がひかりに向けて「聖翔祭」の説明をする時、まだ台詞もなかった頃の眞井と雨宮の姿が抜かれている

・いなくなったひかりに電話した華恋が、ひかりの電話越しに「電車の音」を聴いて「外の世界」だと気づく(電車=外)

 等も今回の発見でした。

 

 スタァライトに出会った結果、昨年はずいぶんと色んな場所を巡り、ついでに近場に水族館があれば入ったりしていたのですが、初見時はずいぶんふわふわして、なんなら弱い気がしていた背景美術。今ではどこだかわかる、なんならそこ通った、という舞台が多く、実は意外と学園の外の東京の実景が多数登場していたアニメだったというのが今回の再見で一番面白かった気づきで。

 そんなふわふわした美術で実在のロケ地を巡るラストの東京タワーだけが一番気合いを入れて描き込まれ、しかしその具象性故に一番抽象的な場所となるのも面白かったです。

 

 メディアミックス・プロジェクトの注文にどこまでも誠実に応え、イマジネーション溢れるオリジナルアニメとしていくらでも暴走出来るタイトルであるのに作品内のロジックを小さく纏めたTV版。ここでもっとインパクトがあればこの頃から九九組を負えたのになぁという口惜しい気持ちもありつつ、同時に、最後に足場を確保した愛城華恋同様、ここでしっかり作品の土台を固めたからこそファンの思い入れは繰り返して見て、各種メディアミックスを経てはここに戻ってくる事でより強固になり、そして何より足場がしっかりしているからこそ、劇場版での大きな飛躍が出来たのだなと思うと、どうしようもなく、「感謝感謝ですよ」*5

 

 え。そんなすべての足場である『少女☆歌劇レヴュースタァライト』第一話が無料で解禁されてるんですか?

 


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*1:スタァライトファンの公称

*2:SKIN、いわばネトウヨになっちゃった人のその後、みたいな話で悲惨面白い

*3:なな「届かなくて、眩しい」

*4:ひかり「その星のティアラは、なんの意味もない」

*5:その劇場版も戯曲スタァライトの誕生という本来もっと大きな仕掛けが用意されていたのですが、「9人の心理に関係しないアイデアは全てカットした」という潔さ。実は日本の劇場版アニメが陥りがちな「イマジネーションの暴走」とは距離を置いた作品である事は重要だと思っています