最小単位のトミノ ー 『機動戦士ガンダム 水星の魔女』感想

 

スタッフ

【監督】小林寛 【シリーズ構成・脚本】大河内一楼

【キャラクターデザイン原案】モグモ 【メインキャラクターデザイン】田頭真理恵

【キャラクターデザイン】戸井田珠里・高谷浩利

メカニカルデザイン】JNTHED・海老川兼武・稲田航・刑部一平・寺岡賢司柳瀬敬之

【チーフメカアニメーター】久壽米木信弥・鈴木勘太・前田清明

【副監督】安藤良・綿田慎也 【テクニカル・ディレクター】宮原洋平

【設定交渉】白土晴一 【SF考証】高島雄哉  【設定協力】HISADAKE

【プロップデザイン】絵を描くPETER・えすてぃお

【美術デザイン】岡田有章・森岡賢一・金平和茂・玉盛順一朗・上津康義

【コンセプトアート】林絢雯 【美術監督】佐藤歩 【色彩設計】菊池和子

【音響監督】明田川仁 【撮影監督】小寺翔太 【3DCGディレクター】宮風慎一

【モニターグラフィックス】関香織 【編集】重村建吾 【音楽】大間々昴

 

キャスト

【スレッタ・マーキュリー】市ノ瀬加那 【ミオリネ・レンブラン】Lynn

 

地球寮

【ニカ・ナナウラ】宮本侑芽(一時代役:白石晴香

【チュアチュリー・パンランチ】富田美憂

マルタン・アップモント】榎木淳弥

【ヌーノ・カルガン】畠中祐

【オジェロ・ギャベル】KENN

【ティル・ネイス】天崎滉平

【リリッケ・カドカ・リパティ】稲垣好

【アリヤ・マフヴァーシュ】島袋美由利

 

ジェターク寮

【グエル・ジェターク】阿座上洋平

【ラウダ・ニール】大塚剛央

【フェルシー・ロロ】高田憂希

【ペトラ・イッタ】広瀬ゆうき

【カミル・ケーシンク】山下タイキ

 

ペイル寮

【エラン・ケレス(及び強化人士5号)】花江夏樹

 

グラスレー寮

【シャディク・ゼネリ】古川慎

【サビーナ・ファルディン】瀬戸麻沙美

【レネ・コスタ】鈴代紗弓

【イリーシャ・プラノ】前川涼子

【メイジー・メイ】貫井柚佳

 

ブリオン寮

【セセリア・ドート】山根綺

【ロウジ・チャンテ】佐藤元

 

スペーシアン組織『フォルドの夜明け』

【ソフィ・"地球の魔女”・プロネ】井澤詩織

【ノレア・デュノク】悠木碧

【ナジ・ゲオル・ヒジャ】楠木大典

【オルコット】三上哲

 

ペイル・テクノロジーズCEO

【ニューゲン】勝生真沙子

【カル】小宮和枝

【ネボラ】沢海陽子

【ゴルネリ】斎藤貴美子

 

宇宙議会連合

【フェン・ジュン】渡辺明乃

【グストン・パーチェ】柳田淳一

 

保護者たち

【ヴィム・ジェターク】金尾哲夫

【ベルメリア・ウィンストン】恒松あゆみ

【サリウス・ゼネリ】斧アツシ

【ラジャン・ザヒ】花輪英司

 

【デニング・レンブラン】内田直哉 【プロスペラ】能登麻美子

 

【あらすじ】

 A.S.(アド・ステラ)122 ーー

 数多の企業が宇宙へ進出し、巨大な経済圏を構築する時代。

 モビルスーツ産業最大手「ベネリットグループ」が運営する「アスティカシア高等専門学校」に、辺境の地・水星から一人の少女が編入してきた。

 名は、スレッタ・マーキュリー。

 無垢なる胸に鮮紅の光を灯し、少女は一歩ずつ、新たな世界を歩んでいく。

                        (公式サイトSTORYより

 

 2022.10 - 2023.1 O.A.  1クール目全13話(本編+プロローグ)

 

 『鉄血のオルフェンズ』より7年ぶりのガンダムTVシリーズ(ビルドファイターズはノーカン?)。

 7話まではトップスピードで駆け抜ける傑作だったオルフェンズが「今時」の座組を恐らくはサンライズ側が制御できず、そのままズルズルと最終回まで蛇行してしまった際には残念な印象しかなかったが、今にして見れば目指した方向性は一貫していた。

 偉大なるオリジン『機動戦士ガンダム』が持っていた『十五少年漂流記』モノとしてのスタイルを換骨奪胎し、若者たちがメカの力で戦場を駆け抜けていく青春アドベンチャーを仕切り直して描く。

 そうすればいつの時代、どんな国の若者もその冒険に乗り込んでもらえるだろう。

 オルフェンズ脚本の岡田麿里とタッグを組んでいた小林寛監督を引き抜き、本家富野由悠季監督とのタッグでデビューした大河内一楼氏を脚本に、そして今度はグダらせないぞと設定考証に白土晴一さんを連れてきてディティールを引き締める。

 

 一連の福井晴敏原作モノがどうもピンと来てない自分ですが、一方で近年の『サンダーボルト』『閃光のハサウェイ』はガンダムどうこうを越えてアニメとしてフレッシュな体験をさせてくれて、そのフレッシュさをお茶の間用にカスタマイズさせてそのまま走り抜けたのが水星の魔女1クール目。

 

 思い出せば最初にティザー映像を見た時に広がったイメージー

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 ・赤髪、褐色、タッパの高い女性搭乗者が主人公のガンダム

 ・撮影が立体的で宇宙のロマンがちゃんとある

 ・音楽が荘厳で、人物とMSを同一ショットに収めケレン味を込められる

 

 作り手だって予告は煽りたいものですから、こうしたティザーのファースト・インプレッションがそのまま本編を貫通しきる事って案外難しい、稀少な事だと思うのですが、現時点で持続出来てる事にまずビックリ。

 ライムスター宇多丸さんの影響で「フレッシュ」て単語よく使いがちですが、本当に終始ルックがフレッシュ、Eye Candy、あざやかな閃光 新たな世界の始まりといった形容詞がピッタリのカラフルな魅惑で満ちている。

 

「まるでP.A.WORKSが『スター・ウォーズ』を作ったよう」

 と、いう、この世界の誰より自分がはしゃぐ一文の映像化がずっと展開し続けるので、視聴途中はどこかで馬脚表すんじゃないか、期待し過ぎないようにしようと冷静に振る舞っていたのですが、ようやく1クール最後まで見終わるにあたり、「あれ、、、? このアニメ俺のドストライクを、、、やりきってくれてる???」と恐れ戦いております。

 

 こうしたOPの作品を、毎週末夕方に楽しんで見る。

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 例えばそんな学生生活は楽しいだろうなと、ちゃんと「新しい視聴者のガンダム」となれていると感じました。

 

 視聴者を狭く限定せず、巨大に広けた間口。その一助として学園モノという設定は活有効で、ガンダムで学園モノって狭くない? と最初に思ってしまったことも杞憂でした。結局画面を豊かにするものは1カット毎の作り込みであり、四畳半のアパートを描いても壮大なアニメもあれば異世界戦争を描いても寂しいアニメもある。

 新しい作品を作る為にこそフルに再活用された大河内氏の古い蓄積の数々。「外の世界の混乱を学園という箱庭に縮図としてして見せる」『コードギアス 復活のルルーシュ』、作り込まれた設定の上で明らかに飛躍している「決闘」要素は『少女革命ウテナ』、そしてあくまで技術拡張の延長線上でお決まりの軍事転用が宇宙進出を悲劇へと変えた卑近な設定の『プラネテス』味。

 第一話の時点で開示されている設定が非常にわかりやすく、こうして設定の作り込みを怠らず、一つ一つ「置いて」いっている事も脚本を整理して描いていける要因でしょう。

 同じ大河内脚本×『サンダーボルト』の松尾衛監督作『革命機ヴァルヴレイヴ』では作り手自身もスイングする自分たちの野心と試みをコントロールしきれず、正直端からは何がしたいのかピンとこないまま、過剰な細部をネットのオモチャにされて終わってしまった。

 ここに対して『水星の魔女』は「数々の宿命に縛られながら、互いに求め合い、またすぐに擦れ違う、二人の少女の絆」を主軸に据える事で、回収できるのか疑わしいくらいどんなに要素が膨らんでも、振り返ってみると作品の印象がまっすぐ伸びている。

 視聴途中には色々と揺らいだので結果論ではあるけれど、作り手の混乱に付き合ったのではなく、ちゃんと作り手の思うように上手く振り回されたのではないかなって今なら思える。

 

 願わくばこの感想が春から始まる分割2クール目ーーきっと視聴途中は再び振り回されたとしてもーーを見終えた時にも再び腑に落ちてきますように。

 保守的にして非科学的で呆れるほど時代遅れな与党が同性婚制定を頑なに拒否する醜悪なこの国の現状で、本作を貫く中心線の二人がこちらの望む、と同時に第一話で明確に打ち出したゴールに辿り着いていけるよう願ってやまない。

 「願ってやまないゴールがある」というのも、物語の基本でありながらずいぶんと久しぶりに覚えた感慨で。

 同時に作品外の願いからくる過度な期待を背負わず延び延びと少女たちが活躍できる世界ではないのだ、と現状に惨憺たる気分にもなる。

 この気分を打破してくれたら嬉しいのです。

 

 他方、その達成に難しさも感じていて、前述の『ヴヴヴ』の混乱を少々ネガティブに書いてしまったけれど、そもそも『ガンダム』というコンテンツ自体が、そしてガンダムから派生した数々のメカアニメが、「スタート時に掲げたコンセプトが混乱に揉まれてグダグダになって終わる」事こそがむしろ王道と言って差し支えないものだと思っているから。

 それは始祖の富野由悠季という人がストーリーテリングよりも「絶えず流動し複雑性の中にある人の営み」を愛しており、始まりや終わりではなく、その「状態」こそを描き出す傑出した存在だから出来たことを、「富野由悠季ではない」人たちが再現しようとしているという、巨大なユニバースの根っこにあるジレンマ。

 富野ガンダム最新作『劇場版 Gのレコンギスタ』の豊かさを見て欲しい。誰もが思いを口走れば言葉が混乱して上手く伝わらず、本人さえも大事なことを知覚しきれておらず、更に上手く伝わらない言葉同士が反応しあって次の場面へと流れていく。シーン毎に区切られることのない時間の流れの中で、戦闘も食事も恋もトイレも移動もすべては等価値で存在し、賢くも愚かでもある人類を讃美する。

 一番近いものはどんなアニメよりもドラマ『ER』シリーズ。

 

 ただ、これを展開し続けるには天才を確保しなければならないし、何より決して間口は広くない。

 そこでかつて『キングゲイナー』で富野と共に仕事をし、イズムを継承した大河内脚本が、ここにそのエッセンスを最小単位に凝縮して判りやすく展開する。

 学園モノという舞台立てもガンダムシリーズで起こりがちな混乱の収斂に最適だった。

 

 繰り返される言葉『進めば二つ 逃げれば一つ』。

 親から子へと呪いのように継承された一見すると前向きな言葉が、その子から発せられると周囲に勇気を伝播させ、しかし次第に不穏な予兆を帯びていく。

 同じ言葉でも場面や背景ごとに響きが変わる。この言葉を中心に見ていくと、この宇宙の混乱が、つまり「流動し複雑性の中にある私」がより整理された形で見えてくる。

 

 富野イズムを受け継ぎながら、トミノ的「混乱」の対極にある「整理」がスムーズになされているガンダムが「水星の魔女」だなというのが今のところの印象です。

 AとBの間でやりとりがあるとして、Aの理屈にもBの理屈にもバックボーンを整えている為、「Aの言い分をこそ伝えたい」としても「BがAの為に都合良く受けに撤しない」といった構図。台詞が少なすぎるのでも多すぎるのでもなく、ただ「言葉の応酬が1ターンだけ多い」事で生まれるような的確な世界の広がりがキープされてる。

 いや、わかりやすい憎まれ役はしばし登場するが、正悪の局面でというより例えば第一話のように、「スレッタがミオリネの為に王子様のように戦う」ーー訳ではなく、「ミオリネはミオリネで自身を奮起させ闘い、その上でスレッタがミオリネの快い助けとなる」といった、横並びにある一人一人の行動に到る意思を軽視していない点。

 また、本編第十一話、すれ違いを経ていよいよ、というか数少ないスレミオのロマンスシーンで、ちゃんと無重力の魅惑を効果的に用いて追いかけっこした上で、この際に「無重力空間での移動用に壁を流れているコンベアーを使って」いる点。例えば富野ガンダムならこうしたディティールのオンパレードなのですが、あくまでここではシンプルにコンべアーに留める。これ以上の特殊設定はリソースが大変、だけどピンポイントにこうしてこの宇宙での生活が息づいている、

 斯様に人のエゴが混ざり合っている世界の複雑さ/技術が拡大した先にある世界の複雑さ、そうした富野イズムの豊かさの、必要最小限の効果的な活かし方。

 こうしてやるべき事を芯に踏まえているからこそ立体的なルックの持続に注ぐ神経の余裕も確保出来たのでしょう。

 

 何より本作、キャラクター達の魅力に尽きる。

 スレッタがCMのナレーションでさえ吃音のままでいるのには感動してしまった。

 世界の豊かさに目を見開くことをポリコレと揶揄することしか出来ない人たちが、一体ガンダムを通してどれほど宇宙スケールの世界と向き合えているのか甚だ不思議でならないのですが、ありのままの世界の多様性をフィクションにも現出させるという事はそれだけでトミノ的な、「流動する複雑性」を画面にもたらす活劇の魅力を下支えするのだと改めて証明してくれている。

 

 ヒットしたアニメだから、という点を抜きにしたところで、ここまでキャストの皆さん、特に女性陣が『水星の魔女』に出ていることを誇らしげにしている様にも胸のすくような思いがします。

 

 先日、渋谷で『水星の魔女』EXPOを少し覗きながら「あれ? もしかして俺このアニメすごく好きじゃない?」と気づいて溜めていた残りを視聴したのだけれど、無限に積みコンテンツに溢れた現在にあっても、「どこかで隙を見て改めて一話から見返したいなー」と今思っている、そんな作品に出会えた事に感謝しています。

 

 そういえば、SNSでの露悪的なオタクの反応から見る前は若干辟易して最終回に挑んだのですが、急なショックシーンではなく、エスカレートする事態をずっと緊迫感をもって描いた上でのこと、またプロスペラの甘言が「暴力装置である兵器」という現実から目を逸らしてきたここまでの欺瞞を一気に暴く、という点でもそう悪くない描写だと感じました。

 

 2クール目どうなるのかなー。