テッド・チャン『息吹』

訳:大森望 早川書房刊(2019年12月15日初版)

 

『たしかに。未来と過去が同じものだと申し上げた理由が、これでおわかりいただけましたかな。どちらも変えることはできませんが、どちらももっとよく知ることはできます』

 

 鶴巻和哉×榎戸洋司の傑作OVAトップをねらえ2!』最終話タイトル『あなたの人生の物語』の元ネタに触れようとうっかり読んだ短編集で背筋を貫くほどの衝撃を喰らって*1、しかし作者がその短編集一冊しか出版していない寡作兼業作家と知り寂しく思い早幾とせ。

 時間かかりつつ、ゆっくりと味わうように17年ぶり二冊目の短編集『息吹』読了です。

 

『商人と錬金術師の門』

 アラビアン・ナイト。寓話なのに精緻に矛盾を否定する「パラドックスなきタイム・トラベル」の話。

 その門をくぐれば20年の時を行き来できる〈歳月の門〉をくぐり、イスラームを生きる人達が未来に、あるいは過去に向かう。彼らは自分の運命を決して覆すことは出来ない。それでも確認したい事がある。もしかしたらやり直せるかも知れないと願いながら。

 運命は変えられないとしても、未来は決まっているとしても、ここにいる私が自分の意思で物語を生き、そして何かを学ぶという事に価値はある。

 思えば本書全体を貫くテーマが最初から。

 

『息吹』

 空気を満たした肺を交換して生きている「私たち」。部品で出来た自らの脳を解析する事は不可能とされて来たが、「私」は自らを解体し研究する方法に成功し、近頃起こっている「時計」の進みが遅れるという異常の原因解明に挑む。

 だがその結果判明したのは、この世界を生成する空気に起きた些細な変化。それが意味するところは、つまり――。

 

 私たちが知っている「人類」とは全く異なる在り方をしている「私たち」の世界を舞台にして、精緻なシステムとして組み上げられた生命がその運命を知る物語は、やはりこの宇宙の有り様を解析すればするほど人類である私たちも陥っていくものかも知れない。

 生命の、文明の、自然の、空気の、あらゆる「システム」の中で、やはりシステムである脳と手足と肺をただ駆動させている物体。ただそれだけの存在だとしても、私たちがこうして在る事の意義は。

 

『予期される未来』

 厖大な文量からなるFGO『ナウイ・ミクトラン』と本書を同時に進行して読んでいたのですが、すべては決まっていて消え去るとしても今この瞬間の自由意志に価値はある、いや価値を抱くのだとする奈須きのこ的な価値観が非常にマッチする一方、そうした物語的感傷を抜くとそのニヒリスティックな認識はあまりに底冷えのするものだ、という事をこちらの超短編は教えてくれる。

 私がそのボタンを押すより前に、そのボタンを押した未来を確定して勝手に光り、私はそのボタンを押すより他なくなる「予言機」を前にした時に、あなたは……。

 

『ソフトウェア・オブジェクトのライフ・サイクル』

 テッド・チャン最長編。データアース〈仮想空間〉で生きるデジタル生物〈ディジエント〉を育成するアナとデレク。その過程で何が起こるのか。育児につきものの困難や、ゲームにつきものの制約や、データにつきものの限界や、生活につきものの経済的難題。

 「育成する」ことで、そこには無かったものが生まれる。それらは全て私たちが手間をかけた分だけ存在し、かけた分だけしか存在しえず、手を離せば消えてしまう。

 いくらでも抽象的な話に出来るところ、現実に起こりうる展開、起こりうる感情を、まるで検分するようにひとつひとつつぶさに積み重ねていく、「SF」であり「小説」である事を享受できる、本当に心地良い読書体験。

 

『デイシー式全自動ナニー』

 19世紀ロンドンでデイシーが開発した全自動ナニー(乳母)。果たして機械に育てられた子どもは不幸せなのだろうか。愛情を得られず、成長が停滞するなんて事は?

 

 ーーこちらも超短編ながら、『ソフトウェア~』に続いて育児のリアルな実感がガジェットとして再構築されている。思考や共感を一つ異なるスペースに置き直されて、作者といっしょに観察しているような気持ちになる。

 

『偽りのない事実、偽りのない気持ち』

 いよいよ子どもたちが生まれてからの日々すべてが、自身の網膜の映像を録画できるパーソナルカメラで記録され、そしてそのライフログから必要な情報を検索できるようになった時、その新しい人類はどのような価値観で生きるのだろう。

 遅からず訪れるかも知れないその時代に、人類は今とは異なる価値観で生きるようになるかも知れない。抽象的な記憶は、すべて具体的な事実に支配され続ける。

 だから暴かれてしまうのだ。私の記憶が「そう」と思い込んでいた不都合な真実が、そこに確かにあった事に。思い込みによって辛うじて自分を保って生きてこれたのに、記録は容赦なくすべてを白日の下に晒してしまう。

 同時に、今私たちが当たり前だと想っている価値観もまた、かつて覆されて存在したものだと過去の時間軸のアフリカを描いた同時進行の物語が教えてくれる。こちらのストーリーはケン・リュウの『結縄』を思い出し、ケン・リュウテッド・チャンからの影響を語っていたと思うが、『結縄』は2011年、本短編は2013年に書かれたものだった。

 

『大いなる沈黙』

 宇宙はこんなにも広大なのに、地球人類以外の知的生命体の痕跡が無い。これを「フェルミパラドックス」、或いは「大いなる沈黙」と呼ぶ。

 人類はプエルトリコの巨大な天文台アレシボを使って、かつて地球外知的生命体を探した。

 その切なる限りなく虚無に近い人類の働きかけを、プエルトリコのオウムが見守っている。

 ところで本書が出版されたのは2019年だが、アレシボの巨大望遠鏡は2020年に崩壊してしまった。

 1974年にアレシボから放たれたメッセージは、2万5000光年の距離にあるヘルクレス座球状星団M13に向けて送信されている。

 

『オムファロス』

 「オムファロス」=アダムとイヴにへそ(オムファロス)があれば彼らは神の創造物ではなく母親から生まれている。しかし神はへそや、体内の残留物も含めて同時に創造したのだとしたヘンリー・ゴスの創造論の仮説。

 本短編の世界では、へその無い人類の始祖が発見されている事で「私」の信仰が強固となっている。

 

 経験なキリスト教信者であり、同時に考古学者である「私」は、この世界の考古学が持つ「誕生の瞬間の証拠」すなわち神の存在の証左をよすがに生きている。だが奇妙なきっかけで出会った少女は、自分の父の発見が公表されれば、世界はもはやそれを信じてはいられないだろうと言う。

 私たちが神の存在を疑わずとも、神への信仰を失いそうになる事実とは果たしてなんだろうか……? それでも、私の信仰に意味はあるのだろうか。

 Netflixドラマ『真夜中のミサ』や漫画『チ。』とどこか重なって、今の自分にとってタイムリーなトピックスでした。

 

『不安は自由のめまい』

 そのプリズムを使えば、パラセルフと話をして自分の選択を検討できる。パラセルフ、つまり「パラレル・セルフ」。もうひとりの自分。プリズム=「プラガ・インターワールド・シグナリング・メカニズム」には赤と青のLEDがついている。プリズムを起動するたびに装置内部で量子測定が行われ――そう、赤が確定した世界と青が確定した世界、それぞれの可能性が観測される。つまり、世界が二つに枝分かれして分岐する。

 そして自分は他の選択をした自分と話し、様々な相談が出来るという訳だ。

 と言っても一つのプリズムの使用量には限界があるし、また世界が分岐するということは自分だけじゃない、その世界そのものがもはや変わってしまうという事なのだけど(今あなたの周囲にある空気の僅かな変化一つでさえ、その影響は拡がり続けて一ヶ月後の世界の天候を揺るがせる)。

 「よりよい選択をした私」と話せたとして、「この私」は次こそ正しい選択が出来るのだろうか。

 一番物語小説らしい読みでのある作品。『オムファロス』と本作は書き下ろし。

 

 世界はどこまでも精緻な構造をして確固たる規範を持ち、私たちはその歯車でしかない。しかし歯車だからこそ、私たちの動きは絶えず世界の広範へと影響を付与し続けている。

 どこまでも現実的な現状認識に、SFというセンス・オブ・ワンダーが持つ視点の変換によってロマンを見出し、そこに人の、いやさここに世界が存在していることの価値を探求する。

 一歩一歩、現実に足を落として「思考」や「時間」、「記憶」や「空気」といった当たり前にあるものへの認識を確かめていく旅路。

 恐ろしいようで勇気づけられる名著でした。

 

 次は17年よりはもう少し早く出してほしいぞ(テッド・チャン、デビューは若いので残念がるのはまだ早い)。

*1:中でも『地獄とは神の不在なり』、やはりガイナックスの『パンスト』ED『Fallen Angel』を勝手に主題歌にして脳内映画化遊びしていた