『バンダイナムコエンターテイメントフェスティバル 2nd Day1』感想置き場

バンナムフェス2ndDay1に参加してきました。

スタンド席高所でしたが、それでも生身で体感しないとわからないフェスの醍醐味やアーティストの「オーラ」ってあるよなと思い感想カンタンに。

 

まず最大のポイントは、晴天.

ギリギリまでズブ濡れでの鑑賞やパフォーマンスを覚悟していた全参加者にとってこの解放感と、フェスが進むにつれて暮れ、夜になっていく空の鮮やかさは目に沁み入ったと思います。

 

 

では登場順に.

 

アイドルマスター ミリオンライブ!

 

炎演出が凄かった。『絶対的パフォーマー』は上がる。

 

・MC.ヒャダイン、宇垣美里

 

ヒャダインは久保みねを経たヒャダインという感じで無敵.

一言二言の端的な返しで誰にでも即対応できるし、リラックスした雰囲気.

宇垣総裁はアトロクでのノリそのままでしたが、

そうと知らないオタク達から「おもしれー女」的な反応が起こってて楽しい.

 

ラブライブ! スーパースター

 

いきなりLiella!登場で会場どよめく.

昼の部(休憩なしですが)のスターがいるとしたら間違いなく彼女たち.

白い衣装と晴天の空が絶妙に合ってる.初の野外だったらしいので、良いものを見れた.

2.5次元という枠を越えて、今日本でトップレベルで本当のアイドルしている人たちなんじゃないかと思いました.

曲ほとんど知らないのですが、曲どうこうより遠目にもパフォーマンスに華がある.

やっぱり5人というのが美しいなと.

 

・虹ヶ咲スクールアイドル同好会

 

ラブライブ!の畳みかけにして、目当ての小泉さん早々に登場.

A・ZU・NAの『Maze Town』、R3BIRTHの『MONSTER GIRLS』という流れはめちゃ強で盛り上がったし全員に見せ場あって良かったのですが、そこから先なんとも短いメドレーが続いて消化不良は否めず.

俺「(もっと聴かせて…)」

ヒャダイン「もう一曲くらい聴きたかったなあ~」

会場「(拍手)」

ぴっぴ「もっと歌いたあああい!ってなっちゃった…」

 

でも会場の端まで走って踊った小泉さんのスタイルの良さと体幹の綺麗さ、スタンドからでもめっちゃ絵になって魅せられたので、遠目でもそうなのだからアリーナ前方の人たちを新たに惹きつけることには成功したんじゃないかな.

 

アイカツ!

 

なんかすごいセトリだったらしいです.一曲ごとに面子が現れるとどよめく.

ミリオンで既に出ていたころあずさんが合流した瞬間、地割れのようなどよめきが起きたのも、「え? なんで? いるってわかってたじゃん???」となって面白かった.

前の席のアイカツおじさんが金網に倒れかかってチンパンジーのようにウホウホしていて失礼ながらめちゃくちゃ面白かった.

こういう全然知らない層の反応に触れられるのもフェスの醍醐味で、オタクコンテンツでもそれは変わらずあるんだなと.

最初のEDMはめっちゃウーファー効いてて知らないけど上がりました.

 

・misono(テイルズ~)

 

この日最大の衝撃、「misonoがカリスマとして君臨してる界隈があるんだ???」

あの小さい体たった一つでステージをあっちへ行きこっちへ行きしながら、なるほど魅せられるパフォーマンスでした.

 

アイドルマスター スターリットシーズン

 

2曲のみ.ふざけてんのか.『KAWAIIウォーズ』歌え.

生で大崎姉妹初めて見ました.綺麗.

フェスなのだから外部のお客さんに営業かけて当然といった中村繪里子トークの身も蓋もなさがとても好き。

 

アイカツ!の新世代?

 

なんか信じられないくらいの美人が立て続けに出てくるし、やたらトーク慣れしてて面白いし、この日アイカツ!割と曲が強かったですね(ヒャダイン「今時の女児はこんなベース浴びてんのか」).知らないので何が何やらわかりませんでしたが…

ここから夕陽が暮れてきて、ペンライトの色が映えるようになる.

 

BACK-ONガンダム ビルドファイターズ)

 

これまた全然知らない界隈のカリスマ.ちょうど日が沈んで赤いライトが波を作って、「見渡す限りの会場のペンライトの明りだけが見える」ってこういうものなのかとスタンドから見下ろせて楽しかったです.

最後にmisono再登場でコラボ.全体的に「アニメの中に出てくるJ-ROCKパロディ」感があって、現実の音楽シーンとまったく切り離されたような不思議な時間でした.

 

・電音部

 

いやおかしいだろ みんな電音部の前座じゃん!

 

完全に陽が沈んでからのタイムテーブルだったので、立体的になってるステージの上部からライトを発すると(しかも片側からだけのアシンメトリー)SFチックな機構がそこに出現したかのように錯覚して、終わらないイントロのドラムの震動、謎のハイレベルなダンサー達の舞い、完全にここで新しい別のフェスが始まりました.

間のトークも挟まずノンストップ.鳴り続けるウーファー、レーザーとムービングライトの強制的会場ダンスフロア変形、フェスに合わせたアレンジ(大事).

完全に電音部だけが「知らない人を殴るために来た(中の人も言ってた)」コンディションで、フェスってやっぱりそれが醍醐味なので、この日一体どれだけ新しいファンを獲得したんだろうと思うと羨ましい.

この日一番低音をどっしり鳴らしていたのも好感でした.人は音圧で腹を殴られたくてライブへ足を運ぶので…

あとセトリとしてはファンも不満漏らすくらい実は普通だったのですが、それは今にして思えばのこと.聴いてる最中は一切気にならないくらい最高で、つまりハナから楽曲レベルの水準が高い.もう今時はオタクコンテンツもこのくらい隙のないサウンドの固め方しなきゃ.

 

アイドルマスター シンデレラガールズ

 

別に新しいファンなんか獲得する必要ないし? 皆さんご存知の私たちですといった風格.デレマスのライビュに行かなければ今ここまでオタクコンテンツと親和性保てていない筈なので、やっとお目にかかれましたねという敬意と思慕の念でただただ平伏.

さすが『バベル』は十分電音部とタメ張れてましたね.遠目にも青木志貴くんの造形美は浮き上がって見えたし、「一ノ瀬志希がそこにいる」ことにも感動.トライアドプリムズも見れたよ.

 

感想まとめ

 

・コンテンツ知らない人をも惹きつけるフェスの醍醐味を発揮していたのがLiella!と電音部

・フェスだからとか抜きにライブとしての完成度ヤバかったのが電音部

・知らないけどファンの人にとっては満足いく内容だったらしいのがアイカツ!

 

1コンテンツの使える時間がやはり短い.そのコンテンツの中にも複数ユニットいるので、通常の音楽フェスと同じ感覚で作らない方がいいと思う(Liella!が勝てたのも単一ユニットで踊り続けたからがありそう).自分は知らない人たちに新たに惹かれることは無かったです.それでもまったく知らなかったとしても電音部には惹かれていた筈.

逆に電音部のサウンドを主軸に据えて、アイマスラブライブ!アイカツ!等各コンテンツのダンスチューンやコンポーザー繋がりの曲で一つの流れを構築するようなSHOWにすれば、もっと面白い融合が起こるのではないかと、そんな夢想をしていました.

『Eat Sleep Dance』からの『ダンス・ダンス・ダンス』が夕暮れの野外で行われたら最高じゃん.

 

あと、こんな巨大な光景も推しにとってはもはや見慣れた世界なのかも知れないと思うと、その遠さに眩暈が…

『AMUSE VOICE ACTORS CHANNEL ファンミーティング』感想置き場

 

2022年5月8日(日)アミュボch ファンミーティング 夜の部

場所 NEW PIER HALL

 

 

配信ないので、悔いを残さないよう小泉さんに集中して鑑賞(姿勢的にかなりキツかった)。やっぱり朗読劇やる時に周囲がアドリブパートでふざけようと真剣に台本にジッと視線を落としているその横顔が美しい。それでも田野さんの陽キャ演技には勝てなかった様子で笑い顔台本で隠してましたが。

前回の朗読劇に比べて台本のシリアスとおふざけのオン/オフのバランスがめちゃくちゃ向上していたので、キャストもスタッフも吸収力が非常に高いのだなと肌で感じました。

田野さんの振る舞いの一つ一つがエンタメで吃驚する。振り付け師いるのかってくらい。

断捨離コーナーという名の抽選コーナーの演出が良くて、ここでプレゼント当たったファンを指名するごとに登壇者それぞれ花道を使ってパフォーマンスする。

完全に自分のスタイルとヘアスタイルの美しさを理解している小泉さんの圧巻のモデルウォークとサービスが、冗談のつもりでやっているだろうに美し過ぎて洒落になっていませんでした。

何故か無性に切なくなってしまった。

佐藤日向のアン・ミカSHOW、牧野由依の通販番組、プレゼントの帽子と似たヘアスタイルの天津向を連れて並びのファッションショーを披露する田野アサミ、みんなのアドリブ能力の異様な高さ。断捨離コーナー大正解だったなぁ。自分の前方の席の人が横並びで当選するというそれはそれで凄いことが起こったんですけど、田野さんが抽選時に「今日何度も呼ばれてる列だからちょっと選び直すね」って即対応したところも流石。

スクリーンに映像流してステージ暗転した際、座り込んでスクリーン見上げながらひそひそ話する小泉・礒部の姿が魅力的過ぎて気が狂うかと思いました。

たぶん全観客の中で「ファンサもらってない人の方が少数派(俺含む。。。)」くらい狭い会場と花道を活かしてファンサの嵐だったのは圧巻でした。特に帰り際。何もかもが近かった。 

iPhoneシャワーネタ弄りはもういいでしょうと思いつつ、ここぞという場面を見計らって使える佐藤さんならまぁと(実際この日もボケの重ねがけで使ったからエグいくらいウケた)なるし、内心少し「生でこのネタ見れた…」と感動していました。でも小泉さんは「こらー!」ってなってましたからね、オタクは自重しましょう。

タイタニックポーズする時ジャック側の富田さんが田野さんのお腹を支えるどころか床に寝転んで田野さんの足を抱きしめるくらいのだらけたポーズになっていたのも、この日本当に甘えたいんだなと伝わって可愛かったです。

にしてもみんな、これだけのパフォーマンスを見せてくれながら、配信のないことを惜しむ訳でもなく、「今日のことを思い出してみんなが明日がんばれたら」と、求める効果はミクロな範囲のみ。これがステージに立つ人たちのパワーなのだと感じました。

 

思い出し追記。

・開幕早々、佐藤さんが水を零すか何かしたらしく、もえぴ爆笑。ただ水を零しただけではないらしくずっと慌ただしくしていて、向「え、水こぼしただけでそんなワチャワチャします?」ここで「みんなが進行無視して慌ただしく動くことで向が全部まとめてつっこむ流れ」が許されたので、この日終始賑やか。

結果的に向さんがひとりスベっていた(アミュボのノリを共有していないので)シーンも多かったんですけど、それはそれとして「そこに向が一人いる」ことで生じた自由度は大きかったはず。

・佐藤さんからポテチもらえたことを何度も繰り返す富田さん。他にもみんな休憩中に佐藤さんから何か貰っていた報告をして盛り上がるも、その流れが終わった後も「今日ポテチ貰えた-」と言い続けるので、やっぱり末っ子モード発動していた気がする。

 

記号から外へ ー 『RE:cycle of the PENGUINDRUM 〔前編〕君の列車は生存戦略』感想

 

スタッフ

【監督】幾原邦彦少女革命ウテナ アドゥレセンス黙示録)

【副監督】武内宣之(打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか? '17)

【脚本】幾原邦彦伊神貴世

【撮影監督】荻原猛夫(グラフィニカ

【編集】黒澤雅之

【音楽】橋本由香利

 

キャスト

【高倉冠馬】木村昴【高倉晶馬】木村良平【高倉陽毬】荒川美穂【荻野目苹果】三宅麻理恵【多蕗桂樹】石田彰【時籠ゆり】能登麻美子【夏芽真砂子】堀江由衣【渡瀬眞悧】小泉豊【荻野目桃果】豊崎愛生【プリンチュペンギン】上坂すみれ【伊空ヒバリ】渡部麻衣【高倉剣山】子安武人【高倉千江美】井上喜久子【池部の叔父】田中秀幸【荻野目聡】立木文彦【荻野目絵里子】深見梨加【九宝阿佐美】早見沙織【鷲塚医師】屋良有作

 

※あくまで最大のネタバレ(原作)は避けています

 

2011年に放送されたTVアニメ『輪るピングドラム』の劇場版。

とある事情から兄妹三人仲睦まじく暮らす高倉家、双子の冠馬・晶馬と、病弱な妹の陽毬。水族館に遊びに行った日、とうとう陽毬は帰らぬ人となってしまう。と思いきや、帰ってきた。奇妙なペンギンの帽子を被り、まるで人格が変わったように口汚い言葉で冠馬と晶馬に命令する。

「きっと何者にもなれないお前たちに告げる。ピングドラムを手に入れるのだ」

さもなくば、再び陽毬の命は失われてしまう。二人はピングドラムと目される「運命日記」を手に入れる為、その所持者である女子高生・荻野目苹果を尾行するが…?

 

ピクトグラムのモブ、地下鉄の駅名が連鎖していくプロップ、高倉兄妹にしか見えないペンギン達の奇行、変身した陽毬=プリンセス・オブ・ザ・クリスタルのイリュージョン空間etc… 記号化された空間で抽象的な探し物を続けるドタバタ劇が、不意に現実と接続しようとするかに見える瞬間へ至る衝撃が今も忘れられない一作。

細かい章題を入れる記号的工夫が画面の世界観を崩さないので、想っていた以上に一本の映画としてまとまり良く様々な要素を盛り込めていた。単純に、この「総集編映画としての上手くいきよう」に驚く一本。

TVシリーズに於いて武内宣之が担当した第9話『氷の世界』。村上春樹の『かえるくん、東京を救う』を探す図書館(そらの孔分室)で急に現れたシャフト的美術世界は、魅惑的ではあるが浮いているようにも感じて(個人的に新房メソッド的な人物の配置にショット連鎖の快楽を感じない為)いたところ、10年後に「起点」として再活用されるのもしてやられた。

もちろん最大の謎の一つを最初から「登場」させてしまっているので後編で訪れるだろうサプライズ味は薄まっているかも知れないが、前編ラストに於いて「来る瞬間」にそれまで積み重ねてきた一見するとポップアイコンであるギミックの数々が完璧に機能するので、もはや「知っていても」「知らなくても」その演出効果の快感は変わらないことが強い。

その上で、その後に二重のクライマックスを用意し、映画としての新規工夫はそちらに凝らしているあたり計算も上々。

 

劇場版の特徴として象徴的な描写は、『さらざんまい』のEDに続いて、冒頭と劇中で二度、実写映像を取り入れていることだろう。あくまでこれは「2011年を舞台とした」アニメであることが重要であるにも関わらず、そこには「(恐らく2021年)現在」が侵入している。その背景には、しかし本編と変わらぬプロップ/アイコンの数々が自然に融合しており、結果として実写世界に佇むアニメキャラという嘘が自然と違和感なく目に馴染んでいる。これは最初からアニメの中に「記号化された現実」を見ていた為だろう。ストーリー面のみならず、感覚としても記号化によってあらかじめ現実と接続しうるリアルが『ピンドラ』というアニメに担保されていた逆説的手法を改めて知る。

「記号」によってリアリティラインの浮遊したストーリーが、「記号」によって現実と接続し、それもまた「過去」になった今、「記号」が今度は現実の映像の中に紛れ込むことで、ちゃんと「現在」と接続する。世界は流転し、輪廻する。

と同時に、「輪る」ことで一度は閉じたかに思えた物語が「外」に広がったという点で、TVアニメを進化させたとも感じる。

現実を想起させる悲劇から大切な人を守る為に閉じた人間関係で完結したとも(しかし最後に残された二人からしてそうでないとも)取れるアニメ版のラストの「その先」が、物語をメインキャラが読み解く形で振り返られ、その先に実写の、そして現在の現実世界を観る時、当然「もうひとつの終着地点」を「後編」に期待してしまう。

「悲劇を過去にしない=未来に繋げる」為に、10年越しのcycleは必要とされたのだろうか。ここに用意された新曲に、やくしまるえつこは「OUR GROUND ZEROES」と名付けた。多くの観客に特定の悲劇を想起させるその話術は、その固有の事件性によってむしろ記号化を深め、それぞれのグラウンドゼロにも置換しうる。

 

とは言え記号に仮託した画面の大半はスクリーン耐用ではないTVアニメ的な密度である訳だが、そこで元から最高に冴えていた楽曲の数々を、ほとんど幾原の弟子筋・古川知宏監督の手がけた『少女☆歌劇レヴュースタァライト』のレヴューの如くフィーチャーしてポイントポイントのフックとして使う手法で、見世物としての興味を追加している。

恐らく総集編映画として巧くいく為に必要なことは、「上手に総集編にする」ことではなく、「その中で見せ場をちゃんと意識出来るか」なのだと思う。本作は「上手に総集編にする」を成立させた上で、あくまで見せ場として音楽を主役に据えている冷静な距離感がある。「伝える」ことと「面白がらせる」ことはまた似て非なるから。

TVアニメ『輪るピングドラム』最大の物足りなさとしてOPテーマ『ノルニル』がフルで流れない、という理不尽な不満をずっと抱えていた身としては、エンドロールで10年越しに果たされた不満解消と、やはりどうしようもなく映画館に合うそのサウンドで充たされていました。

帰りの「列車」の中で交互に聴く『ノルニル』と『wi(l)d screen baroque』の得も言われぬエモさ。この列車の辿り着く先で、後編が何を示してくれるのか。そこに輪の「外」があっても嬉しいし、例え内側で閉じたままでも、そこで『少年よ、我に返れ』のフルが流れれば結局はこの甘美な円環に抗えず浸ってしまうのだろうと思うけれど、この列車は山手線ではなく丸ノ内線なのだ。

 

銃を杖に ー 『ファンタスティック・ビーストとダンブルドアの秘密』感想

 

スタッフ

【監督】デヴィッド・イェーツ

【脚本】J・K・ローリングスティーヴ・クローヴス

【原案/原作】J・K・ローリング

【撮影】ジョージ・リッチモンド

【編集】マーク・デイ

【音楽】ジェームズ・ニュートン・ハワード

 

キャスト

【ニュート・スキャマンダー】エディ・レッドメイン【アルバス・ダンブルドアジュード・ロウ【ジェイコブ・コワルスキー】ダン・フォグラー【ゲラート・グリンデルバルト】マッツ・ミケルセン【クリーデンス・ベアボーン/アウレリウス・ダンブルドアエズラ・ミラーテセウス・スキャマンダー】カラム・ターナー【クイニー・ゴールドスタイン】アリソン・スドル【ユーラリー・"ラリー”・ヒックス】ジェシカ・ウィリアムズ【ユスフ・カーマ】ウィリアム・ナディラム【ヴィンダ・ロジエール】ポピー・コービー=チューチ【バンティ・ブロードエーカー】ヴィクトリア・イェィツ【アバーフォース・ダンブルドア】リチャード・コイル【アントン・フォーゲル】オリヴァー・マスッチ【ティナ・ゴールドスタイン】キャサリン・ウォーターストン

 

第二次世界大戦が近づき、魔法使い達はその立場の選択を迫られていた。そんな中、マグル(人間)を根絶やしにする危険思想の持ち主で脱獄囚グリンデルバルトが「国際魔法使い連盟」のトップを決める選挙に立候補する。

人々の差別心に根ざしたグリンデルバルトへの支持が危険な広がりを見せていく中、ダンブルドアはニュートに彼との対決を命じ、ニュートは凸凹な仲間を集める。即席チームは世界に散り、グリンデルバルトの野望を止めることが出来るか。そしてダンブルドアは、かつて愛した男と真の決別を果たせるのか……

一方、グリンデルバルトの配下についたクリーデンスもまた、自らの人生の決着を望んでいた。

 

物語に於いて、起こる出来事が「A→B→C・・・Z」と順序立てて進んでいくのはただの「あらすじ」である。これを入れ替え、というより、基本的には飛ばしながら「A→D→G・・・」と進み、時に一瞬「J→B→K」と戻りながら、最後には「X」辺りで留める。行ってしまえば「脚本」とはこうした構成術、省略の美学に基づく、あらすじのプレゼンテーションだ。

ところがローリングの手による『ファンタスティック・ビースト』シリーズの脚本は基本的には「A→B→C」と順序立てて進めてゴールに向かおうとする為、展開に緩急が生じるまでの間が長く、本来なら省略出来る範疇の中でとりあえず完成した掛け合いや見せ場を全て描いてしまう。「描ける」ことと「それを見せる」ことはまるで違うのだが、恐らく彼女はまだそれを知らないし、周囲の人は彼女にその教えを意見できない。

『魔法使いの旅』ではそうした話術の退屈さが浮き彫りになってしまった訳だが、『黒い魔法使いの誕生』ではそこに散りばめた謎、そして来る戦争の予兆とが現実のマグル社会の歴史の暗部と接続し、ファンタジーだと思って見ていた作品が急速に我々観客の現実をその向こう側に現出させ、又、緩やかに集った多くの登場人物が一斉に各々の立場を決断せざるを得ない見せ場をクライマックスとした為、そのカタストロフィによって重たい鑑賞後感を与えてくれた。

とは言え、そうして拡げた話を畳むにあたって結局順序立てた話術の退屈さが消えた訳ではなかったことが今回晒されてしまった。更にキャラの行動を分散させ、各々の抱えた事情が実はさして有機的に繋がりをもたない事で、肝心の主人公ニュートの行動線が非常に弱く、絶えず「何故この行動を取っている彼の姿を今見ている必要があるのか」よくわからないものになってしまっている。

今回完全に善意の人として動いているだけのヒックス先生の存在感が普通に主人公達と均等であることも当然で、彼女が主役らしいのではなく、主役たちからみんな脇役のような薄いドラマ性しか感じられないからだ。

主人公性さえほぼ剥奪されたままコマとして動くのみのスキャマンダー兄弟は置いておいても、ジェイコブとクィニー、クリーデンスの屈折、ダンブルドア兄弟の苦悩、ユスフの裏切り、グリンデルバルトの野望、どの要素を取ってもひたすら一歩一歩驚きのない収束へとそのノロマな歩みを見せつける。

傑作『ファビュラス・ベイカー・ボーイズ』の監督であるにも関わらずキャリアの大半を『ハリー・ポッター』の脚本家として過ごしたスティーヴ・クローヴスは今回共同脚本として何か仕事をしたのか怪しいものであるが、デヴィッド・イェーツが執心しているのは「ウィザーディング・ワールド」ユニバースに於いて一貫して、政治スリラーとしての魔法世界なのだろう。

大前提からして踏み外している論外の男が、差別思想を剥き出しにした露悪性によって愚昧なる支持の輪を拡げていく悪夢。世界中で我が国のこととして感じられるだろう現在進行形の不安が、そのまま第二次世界大戦前夜のナチスに重なる様の不気味さの演出は本領発揮であったと思う。「国際魔法使い連盟」を仕切るアントン・フォーゲルの存在感こそが本作の白眉であり、そしてフォーゲルを演じるオリヴァー・マッチ的な役を本来得意とするマッツがグリンデルバルトを演じても若干キャラ被りが起こってしまったのは否めない。

これが政治スリラーの世界であれば彼ら彼女らは銃を手にし、人を撃ち殺し、世界は勢いよく戦争に流れ込んだかも知れない。けれど彼ら彼女らの手にした杖は、本人の資質と選択によって人を殺めずに感情の収束へと向かって行く。現実に近づけば近づくほど、ファンタジーの力に託した希望はより切実に、引き金を引く代わりに行われる杖の一振りの小ぶりなアクションに宿る。

であるならばこそ、この卑小なマグル達の世界に宿る「魔法」たるファンタジー映画の力を信じ、より十全に壮大なイマジネーションとビジュアルを発揮して欲しかった。せめてハリー・ポッターの看板を背負っているのだから。

不規則な映画の採点

 

バリー・リンドン

【評価】

【監督】スタンリー・キューブリック(シャイニング)

【制作国/年】イギリス・アメリカ/1975年

【概要】18世紀、アイルランドの農家に生まれたレイモンド・バリーが爵位あるリンドン家に取り入るまでの第一部と、バリー・リンドンとして取り繕った生活が次第に崩壊していく第二部。決闘で父親を失っているバリーは、しかし愛する幼なじみの女性を大尉にとられたくなくて決闘を申し出、どんどんその運命を流転させていく……

【感想】

 自然美をふんだんに取り入れた照明で有名な一作。どれだけ荘厳な話かと思いきやシニカルな喜劇で、戦争も登場するが印象としてはこじんまり。ともかく折り目折り目でバリーが、男たちがもっともらしく行う「決闘」がバカげているせいもあり、戦争も階級もその延長上の幼稚な虚飾にしか感じられない。という訳で話は悪くないが、いちいち絵画的な引きの絵を見せたがる撮影のせいで話の進みが鈍重な気がする。美術を見ればいいのか映画を観ればいいのか。

 

『パリのランデヴー』

【評価】B

【監督】エリック・ロメール(飛行士の妻)

【制作国/年】フランス/1994年

【概要】三編のオムニバスで綴るパリの点描。【7時の約束】恋人が夜7時に別の女とカフェで浮気してるらしいと知ったオラスは、腹いせに出会った男に7時のカフェで会う約束をする。しかし男に出会った直後に財布が消え……? 【パリのベンチ】恋人がいる女は彼の浮気を疑い、冴えない大学教授とパリのあちこちをデートして巡る。教授はどうしても彼女を家へ連れ込みたいが……? 【母と子 1907年】若いスウェーデン女性の世話を任せられた画家の男は、いかにも「観光客」な彼女の相手が鬱陶しく、誘われたピカソ展への同行を断る。しかし直後に擦れ違った女があまりにもタイプであり、彼女を追っていくとその先にピカソ展が……どうする……?

【感想】

 濱口竜介最新作『偶然と想像』はじめ様々に影響与えただろう軽快な短編の連作。一話目が明解に「オチ」の重なる面白い話なので残り二話の「延々くっちゃべりやがって」感が増すのだが、その最後のエピソードをオチもなく「まぁ、無駄な一日じゃなかったな」の一言で〆る度胸に唖然。こっちは結構無駄な時間を過ごしたような気がするが??? でも、それも人生なので。

 映り込むパリの街角、恐らくエキストラじゃない通行客、それを狭い画角で如何に切り取るか。作為は控えつつ外してもおらず、気づけば自分もパリの雑踏に迷い込んだような気がしてくるのが心地良い。

 

『コロンバス』

【評価】A

【監督】コゴナダ(ドラマ『パチンコ』)

【制作国/年】アメリカ/2017年

【概要】インディアナ州コロンバス。硝子張りの銀行、心を癒やす為の精神病棟などなど、その街は先駆的なモダニズム建築の宝庫であり、同時に覚醒剤と貧困の匂いが蔓延っていた。この地で倒れた建築学教授の息子ジンは韓国から訪れ、建築への熱意を持てあます図書館バイトのケイシーに建物を案内される。二人の人生は緩やかに交わり…

【感想】

 小津安二郎作品の脚本家・野田高梧から名前を取り、ブレッソン、是枝、ウェス・アンダーソンタランティーノetc…数々の映画作家のドキュメントを作り続けてきたコゴナダ監督の長編デビュー作。小津にオマージュを捧げたというほどは小津っぽくないがモダニズム建築が主役と言わんばかりの静謐なショットの連鎖がひたすら心地良く、しかしその裏で鳴る繊細な音響は不穏であり、終盤モンタージュの速度が速まることで何か決定的な旅立ちを物語る。実は映像だけに傾倒していない部分が好感。

 

『隣の影』

【評価】B

【監督】ハーフシュテイン・グンナル・シーグルズソン(Either Way)

【制作国/年】アイスランドデンマークポーランド・ドイツ/2017年

【概要】アイスランド郊外、美しき住宅地.妻に浮気を疑われ実家に帰郷したアトリは、アトリの兄の失踪以降精神に混乱を来たした母が隣人と揉めている事を知る。実家の庭の木が育ちすぎて、隣りの家の庭に影を落としているのが問題だそうだ。父は消極的で、母は隣人の悪口ばかり。アトリは娘の親権欲しさにそれどころではない。やがて、静かに悲劇は訪れるーー

【感想】

 美しき風景、穏やかな木が風にたなびく。だがその木の影さえ人を追い詰める。調和の取れた家々の内装も、IKEAが映ることで妙にハリボテ感が増して台無しになる。欲張らない短さ、力まない演出、静謐の中に感情を波立たせ、そしてちゃんと観客の望む鬱展開に突入してくれる。そういう北欧映画の「不幸な癒やし」度が満点です。

 

東海道四谷怪談

【評価】A

【監督】中川信夫(地獄)

【制作国/年】日本/1959年

【概要】江戸時代。備前岡山藩の浪人・民谷伊右衛門はお岩との婚姻を成立させる為、父やお岩の妹・袖の婚約者を直助と共に殺害し、揃ってお岩・袖姉妹を騙したまま婚姻を結ぶ。しかし江戸について貧乏暮らしに喘ぐと、岩と幼い赤子を裏切って旗本の娘・梅の元に婿に入ろうと画策。岩を毒殺しようと謀るがーー

【感想】

 アバンのクレジットからして格好良く、その後長回し伊右衛門の悪漢ぷりと発端の事件を見せきる。そこからあの手この手で悪人たちが女人を騙し続け、いよいよお岩の復讐のターンとなれば見せ場だけがつるべ打ち。今の邦画に欠けた迷いの無い編集の切れ、サービス過剰な戸板返し、グロテスクさと美しさが照明一つで同居するお岩さんの崩れた相貌。完璧な映画。

 

『殺さない彼と死なない彼女』

【評価】C

【監督】小林啓一(ももいろそらを)

【制作国/年】日本/2019年

【概要】「殺すぞ」が口癖の小坂くんはリストカット常習者の鹿野に鬱陶しくつきまとわれ、ひたすら殺したい毎日。すぐに新しい男に乗り換えては捨てられるきゃぴ子を、地味子はひたすら呆れながら絶対に見捨てない。撫子は八千代くんに夢中で四六時中告白し続けるが、八千代くんは振り向いてくれない。彼ら彼女らは、どんな風に大人になって、或いはなれないんだろうかーー。

【感想】

 評判の良さに期待し過ぎたか、言われずとも原作はマンガなんだろうなと思うモノローグの多用がシーン毎にいちいち流れを止めてしまう。弱いショットは時間の流れとして連動していかないので、タネ明かしに宿る感動がない。マンガ的会話をどう実写に落とし込むか、そのアダプテーションの方向性が趣味では無かった。それでも終盤の台詞のいくつかは思わずホロリときたし、このマンガ的キャラに次第に血肉を与えていく若手役者は皆見事。

 でもその終盤にしても構成うまくないよ……エピローグがエンドレス。この監督で大好きな『恋は光』が映画化されるの正直心配です。皆さん先に原作マンガ読んでください。

 

『EXIT』

【評価】B

【監督】イ・サングン

【制作国/年】韓国/2019年

【概要】就活に失敗し早や数年、ニートのままやさぐれているヨンナムは、母の古希のお祝いの為、親戚一同が集う高層ビルの祝宴会場に訪れていた。そこで働いているのは、大学時代山岳部で後輩だった想い人ウィジュ。「あの頃はこんな未来になる筈じゃなかった…」「先輩どうして無職なの…」後悔に満ちた再会の最中、都市を有毒ガスが覆うテロが発生。真っ白な毒の海の上で、元山岳部の二人の決死行が始まる!

【感想】

 ここ数年の韓国映画の傾向として、良くも悪くも社会性が薄れ以前ならシリアス一辺倒だった筈のアクションエンタテイメントをコメディタッチで描く方向性があるという印象を持っているのだけど、その極端な例。普通にテロ映画として映画史の中でも新機軸のような発明的絵面を生み出しながら、その上で泣いて喚いてヨンナムは煩い。その様を観客は笑うが、「ヒーローの身になってみれば、泣きわめくしかないくらい辛いこと」がずっと続くのがアクション映画なのだ、という『ダイ・ハード』の正当な継承作品になってる。

 

『バクラウ 地図から消された村』

【評価】B

【監督】クレベール・メンドンサ・フィリオ(アクエリアス

【制作国/年】ブラジル・フランス/2019年

【概要】ブラジルの架空の村バクラウ。独自の風習やコミュニティ、都市との距離感などを伺わせつつも、なんとか共同体としてやっているその村を、少しずつ奇妙な現象が包囲し始める。やがて派手なライダースーツのバイカカップルが通りすがり、一部の村人は警戒するが、「それ」は既に始まっていた…

【感想】

 前作の大傑作『アクエリアス』の「フレームが内側から枠を破り映画を侵食していく」手法そのもののスリルで「まだこんな新しい映画が生まれるのか」と感嘆したクレベール・メンドンサ・フィリオ。今回もなるほど奇抜なストーリーテリングだが、最終的にS・クレイグ・ザラー的な感触に落ち着くというか、ジャンル内に収斂していくところがあって、前作で上がった期待値は超えてくれなかった。余計なキャラ取っ払ってソフィア・ブラガとウド・キアのタイマン見せてくれ。

 

『幻の女』

【評価】A

【監督】ロバート・シオドマク(らせん階段)

【制作国/年】アメリカ/1944年

【概要】ある晩、奇抜な帽子の女とバーで酒を呑み、演奏会を楽しんだエンジニアのスコット。家に帰ると妻が殺害されていた。アリバイはあの女のみ。しかし、あの晩出会った誰の元へ訊ねても、スコットの姿は見たが、女は見ないという。『幻の女』か…バージェス警部はこんな弱い証言を求めるのは余程のバカか、無実なのだろうと踏むが、スコットは無罪の立証を諦めてしまう。それでも単独捜査を始める者が一人……

【感想】

 プロットは無駄なくスコットの無罪を証明する為に駆けずり回り、一つ利を得ると一つ不利が生じ…のイタチごっこで飽きさせないが、その無駄のない演出の隙間に見せる、『らせん階段』では全開だったシオドマクのビジュアルセンスが光る。もっと引きの画見せてくれ~ってなったけど、本家ノワールは意外と雰囲気よりもテンポ良い展開に振れている。唐突に始まる密室ジャズ演奏の悪夢的祝祭感も明らかに「余技」なんだけど、本筋以上にゾクゾクする。

 

クレアのカメラ

【評価】B

【監督】ホン・サンス(三人のアンヌ)

【制作国/年】韓国・フランス/2017年

【概要】映画祭開催中のカンヌ。韓国の映画会社のセールス担当マニは社長から突然解雇を言い渡される。「あなたは正直な良い子だったのに、正直じゃなくなってしまった」。理由は教えてくれない。一体マニが何をしたというのか…ところでマニを演じるキム・ミニはホン・サンスの実の愛人でありながら「映画監督の愛人役」でホン・サンスの映画に出たりしているが、今回は一体何をしたと(ry…そこへ映画監督の中年男性が現れ(ry…

 一方、そんな人間模様にカメラを持ったフランス人女性クレアが紛れ込む。

【感想】

 それぞれ別作品でカンヌに訪れ顔を合わせた旧知のホン・サンス、キム・ミニ(旧知っていうか)、イザベル・ユペールがそのまま映画祭期間中に撮ってしまったスナップ代わりの映画。スナップ代わりで映画を撮るな。いや撮っていいのか? 

 でも普通にいつものホン・サンス。むしろ「写真を撮ると全てが変わるの」という台詞がある分だけ、いつもより構造が判りやすいかも知れない。回想シーンとは編集の嘘であり実際は前のシーンの未来だ。カメラが切り取れば世界は変わる。失ったものも、失ったかに思えて取り戻せるものもある。空は綺麗だし、酒は美味いし。

 

闇金ドッグス8』

【評価】B

【監督】元木隆史(劇場版 カードファイト!! ヴァンガード 3つのゲーム)

【制作国/年】日本/2018年

【概要】ヤクザから足を洗った安藤忠臣は闇金稼業を営み、今日もクズの債務者相手の取り立てに精を出していた。生活保護に味をしめ、国から金を引き出す湯澤とその妻、娘の放蕩は留まるところを知らないが、一家の良心である長男・章太郎だけはクズ家族を叱咤し、シルバー派遣会社を立ち上げ理想の実現に躍起になっている。しかし悲劇が続き…

【感想】

 『少女☆歌劇レヴュースタァライト』の星見純那役佐藤日向さんがクズ役で色々大変な事を言ったりやったりやられたりするVシネ。如何にも量産タイトルだけど、脚本はがっちり作り込まれて面白い。本家闇金漫画に比べると同情の余地の無い湯澤の清々しいクズっぷりが濃厚で(生活保護受給者への風評被害に繋がる点だけは心配)、主役の山田裕貴は省エネで活躍出来るのも経済的。低予算はモロにわかるけど、キャストは意外と豪華。

 で、吃驚したんですけど、本作『8』どころか、あの誰が見てるのかわからないけど無限にレンタル店にシリーズが置かれてるでお馴染み『ガチバン!』シリーズのスピンオフなんですね、なので実際はもうシリーズ何十作目というレベル。

 ユニバース化してたのかガチバン… Vシネホラーがユニバース化した『心霊マスターテープ』シリーズと並んで、いずれ消えていくかも知れない「Vシネ界」の徒花がこうして群れになって咲いているのだなという妙な感慨を覚えました。

 ついでに佐藤さんがその背中を追ってスタァライトするに到った三森すずこさん出演の実写映画(ヴァンガード)と監督同じという、もう一つ謎の因果が。

 

『EVA〈エヴァ〉』

【評価】C

【監督】キケ・マイーリュ(ザ・レイジ 果てしなき怒り)

【制作国/年】スペイン/2011年

【概要】2041年スペイン、サンタ・イレーネ。ロボット学者アレックスは、一度は逃げ出した故郷に帰り、10年前中途で投げ出した子供型ロボットを完成させる工程に取りかかる。ロボットのモデルとなる少年の選定中、アレックスが惹かれたのはかつての恋人ラナと兄ダヴィッドの間の子、少女エヴァであった。だがエヴァは奔放で。。。

【感想】

  雪深い田舎町を舞台に、動物型のロボットが当たり前に存在する世界で、欲張らずにSFを画面に定着させるその落ち着きは好ましいし、執事型ロボット・マックスを演じるルイス・オマールの芝居も楽しい。一種の寓話として評価することも可能な映画だと思うけれども、20分の短編で描く内容を90分かけて描かれ、ファーストシーンから「絶対そうだと思った」としか言えない一切驚きのないオチを勿体ぶってラストに見せられても反応に困っちゃったなという話があります。

 

エクソシスト3』

【評価】

【監督】ウィリアム・ピーター・ブラッディ(トゥインクル・トゥインクル・キラー・カーン

【制作国/年】アメリカ/1990年

【概要】かつて少女リーガンの悪魔払いで命を落としたダミアン・カラス神父。あの事件を忘れられぬキンダーマン警部と、カラスの親友であったというダイアー神父は、再び悪魔のものとしか思えぬ残虐な事件に遭遇する。同時に、その手口は過去起こった『双子座殺人事件』の犯人のものとも合致する。果たして何が起こっているのか……

「わが名はレギオン。我々は、大勢であるが故に」

【感想】

 何かが来る予兆を孕みつつ、カメラとアクションの合わせ技で1シーン毎に生起していく今そこにある超常現象。カーペンター、フーパー、デ・パルマ、一時期の監督たちしか保持しえぬ「持続する映画」という系譜があると思っていて、例えばポン・ジュノもそれを意識的に継承しようとしている(『殺人の追憶』は完璧に上手くいった)と思うのだけど、それを『トゥインクル・トゥインクル・キラー・カーン』で完成させたブラッディがその更にもう一個上のところで、より安定感をもって統御しているような、「落ち着いた異常」の完成形を見た。

 技巧の極みのような病院のロビィの長回しを経てからの、単純な照明の配置によってそこに悪魔がいるとしか言いよう無い効果を生み出す対面シーンの鬼気迫る禍々しさ。ブラッディ、本当に悪魔見たことあるんじゃないか。

 

 ところで自分の好きな映画の種類に「持続する映画」という形容詞を与え「それ!」と腑に落としてくれたのが、雑誌invitationの(たしか黒沢清の特典DVD『ココロ、オドル』目当てに買った号)対談で語っていた青山真治で、その時ブラッディの名前も知った事を覚えています。ありがとうございました。

 

放課後戦記

【評価】D

【監督】土田準平(便利屋エレジー

【制作国/年】日本/2018年

【概要】校舎の屋上で目を覚ました門脇瀬名。突如降りかかる他の女生徒からの暴力の連鎖と、不条理なアナウンス「残り14名」。瀬名は記憶を失ったまま生存者達のコミュニティに混ざる。そこでは瀬名を庇護してくれる守護天使のような少女がいた。他方、お面を被り少女達を殺害する、悪魔のような少女がいた……

【感想】

 スタァライト以前の小泉萌香さんの出演作を追い求めてアマプラで舞台版とセットでレンタル。収録されてた舞台版は2017年再演版で小泉さん出演の2016年初演版は未見のまま。舞台版は様々な部活動が入り乱れるより戯画化された世界で、部長を殺せば部員全員死ぬという判りやすいギミックにより前半狭い舞台で死ぬほど入り乱れる無数の少女達が後半怒濤の勢いで死んでいく。比べて映画版は出演者を絞っているので丁寧にサスペンスを描きやすい、、、のだけど、アクションに割ける時間が無かったのかその選択をしていない。

 結果、「前フリ」から本番をすっ飛ばしていきなり「オチ」に至るという、ジャンル映画期待して見た身にはあまりな空振り。色彩調整が良くて撮影もロケーションも意外とリッチなだけに勿体ない。少女達の苦悩を長回しで呻かせるだけなのも演出が機能してないと思う。アクションしてアクション。

 小泉さんの役柄的には「やがて『やがて君になる』になる君」でした。

 『ラブライブ!』繋がりで、Aqours小宮有紗さんも出演。この人は低予算ホラー『映画 としまえん』にも出てましたね、結構ノリ気なのかな。

 

COSMIC RESCUE:The Moonlight Generations』

【評価】B

【監督】佐藤信介(GANTZ

【制作国/年】日本/2003年

【概要】宇宙進出後の人類。人命救助を行うコスミックレスキュー、第89師団に三人の男が乗り込んでいた。かつての活躍で英雄視されるもやる気のない南條、ルールにうるさく事務的なメカニックの江口、そして南條に憧れてコスミックレスキューを志した、ガッツだけありあまる澤田。もっぱらデブリの回収に明け暮れる任務に嫌気がさしていた澤田だが、ある日、宇宙船の存在しないエリアから少女の救難信号をキャッチする。

【感想】

 デブリやフレアといった部分的なSF要素だけ教わり後は普通の日本のドラマ感覚で作りましたみたいな考証も何も無い雑設定、ミニチュアもろばれで済ます画面のチープさ、まだ演技慣れしていない主演V6カミセンの拙さなどを差し引いても、勢いと効率の良さで漫画チックな話を推進していく、ここ十数年の佐藤信介が引っ張る邦画大作には無いB級エンタメの魅力が詰まっている。

やっぱり佐藤信介作品の鈍重さって盟友であるカメラマン河津太郎がネックなんじゃ。。。」という疑念が確信に近いものに(本作のカメラは藤石修、笠告誠一郎)。エピローグさえカット出来れば「数十年遅れの『ダーク・スター』」くらいには評価されたのではないか。

 

『バスタブとブロードウェイ:もうひとつのミュージカル世界』

【評価】

【監督】デイヴァ・ホイゼナント

【制作国/年】アメリカ/2018年

【概要】長年続いた人気TV番組デイヴィッド・レターマン・ショー。その放送作家であり、アメリカの深夜番組の生き字引であるスティーヴ・ヤングには、奇妙な趣味があった。それはかつてアメリカに好景気が続いた時代、大企業がこぞって大金で作り上げた「企業ミュージカル」のコレクション。ヤングはそのレコード収集目的で当時の出演者達に会いにいくが…?

【感想】

 映画としては終盤ほろ苦い空気になっていくのだけど、それ以前に最初からそもそもコマーシャルのみを目的として作られた、しかし秀逸な楽曲や芝居を眺めていると、エンタメの刹那性、何か意味があるつもりで接している全ての虚構がハリボテの看板であることを突きつけられて、かつ、かつては一大ショーだったものが今ではごくごく一部のオタク愛好家の奇特な嗜みに収まっている(それでも「忘れられてなかった」と作り手は喜ぶ)ことで、侘しさと微かな温かさと、言いようのない気持ちになってしまった。

 最近、もっぱら一過性のステージの儚い魅力に触れていることも影響してるかも知れない。

 

『アリス・スウィート・アリス』

【評価】A

【監督】アルフレッド・ソウル(秘宮のタニア)

【制作国/年】アメリカ/1976年

【概要】美少女カレンはいつも姉アリスの奇行に振り回されていた。黄色いレインコートを羽織り、不気味なお面をかぶり、無軌道なイタズラを繰り返すアリス。母キャサリンやご近所さん達も彼女の心は読めず、手を焼かされる。そんなある日、カレンも参加する聖餐式が教会で執り行われ、近所の人々が皆列席する。その賑わいの中、案の定アリスはフラフラとどこかへいなくなり、そして、、、カレンの惨殺体が発見される。

【感想】

 前半ひたすらアリスのサイコパスな振る舞いを追わされてそもそもどういう映画なのかもわからないが、見終わって振り返ればものの見事にジャーロしているアメリカ映画という奇妙な感想に。ショット毎の工夫の仕方が尋常じゃないのに、捌き方が速く、気づけば完全に映画の掌中。グロより鋭い残忍性がこのスピード感の中に畳まれていく。女性性へのある種の思い込みを利用したショッカーにもなっており、ラストの瞳が鋭い。

 何者なんだアルフレッド・ソウル。

 

『恐怖人形』

【評価】D

【監督】宮岡太郎(成れの果て)

【制作国/年】日本/2019年

【概要】女子大生・由梨と幼なじみ・真人の元に奇妙なパーティーの招待状が届く。金欠の真人はそこで配布される金につられ参加を決意し、由梨もついていく。パーティー会場のキャンプ場に集まったのは他に6人の男女と管理人。彼らはそこで、不気味な人形を目にする。追って現れた教授は、「呪いの人形が実在した」と歓喜するが、、、

【感想】

 演技が拙いのは準備期間の少なさゆえ、巨大人形があまり動かせないのは予算の少なさゆえ、過激なシーンを撮れないのはアイドル映画ゆえ…と無限に忖度していった結果、どこが面白いのかわからなくなってしまった。同行者が次々死んでても主人公気づくの遅いから特に盛り上がらない。巨大人形も意外と使い勝手が悪くて演出の手数が限られてしまう。

 定番である「ベッドシーン後に惨殺される最初のカップル」をレズビアンに設定しているところがピークだったかも知れない。目も当てられないほど雑なシーンがある訳ではなく、むしろ狙いはしっかりしてると思う。怖くも面白くもないだけで、、、でも、こういう企画は応援してます。

 ジャンル映画の練習として、思い切って『13日の金曜日 Part2』のジャンプスケアの運びをそのままパクってみるところから始めてもいいんじゃないだろうか。

 

『リトル・モンスターズ』

【評価】C

【監督】エイブ・フォーサイズ

【制作国/年】アメリカ・イギリス・オーストラリア/2019年

【概要】売れないミュージシャン・デイヴは恋人に浮気され、姉の家に泣きついて居座る。さして精神年齢の変わらない甥っこの面倒をみながら、甥の通う幼稚園のキャロライン先生に惹かれるデイヴ。幼稚園の遠足に付き添いでついていく事になるが、子供向けテレビ番組の収録で賑わう農場では、ゾンビが大量発生していた。。。

【感想】

 「子供×ゾンビ」で思いつきそうな面白い場面がほぼほぼ終盤に集約されて、かったるい籠城シーンが続くので、短いのに体感長い。『ゾンビスクール!』もだいぶ緩かったけど、子供とゾンビは撮影の制約上取り合わせが悪いのかも。その割りに下ネタは子供に言わせるんだよなぁ。

 大人になったって精神的には幼児であったデイヴの成長譚、というテーマは悪くない。

 

『生活の設計』

【評価】A

【監督】エルンスト・ルビッチニノチカ

【制作国/年】アメリカ/1933年

【概要】売れない戯曲家トムと売れない画家ジョージは親友同士。二人は列車の同室に乗り合わせたデザイナーのジルダに惚れてしまう。「紳士協定」を結び奇妙な三角関係を築いたのも束の間、ジルダの的確な助言は二人を成功者に押し上げ、結果的に三角関係は崩れる。ニューヨーク、パリ、ロンドンを股に掛けたこの恋の行方は…?

【感想】

 いや早い早い!ってなる出会いの冒頭の効率の良さから、列車降りたかな、と思いきやもうだいぶ時間が経過して 三角関係はスタート済みであり、最終的にワンカットのままカメラのパンと照明だけであっさり時間が過ぎるとこまでやる。お話も映画も経済的で、結果人をくったようなラストへ。その軽さに人生が愉しくなる。やはりスクリューボールコメディは90分じゃなきゃ。

 現代映画でこういう作品が見たいんですよね。

『「劇場版 少女☆歌劇レヴュースタァライト」オーケストラコンサート』という映画体験

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2022年2月6日(日)幕張メッセ幕張イベントホールにて開催された『劇場版少女☆歌劇レヴュースタァライト』オーケストラコンサートに参加しました。

その時の感動を一度は箇条書きにしたのですが、興奮し過ぎたこと、昼の部/夜の部の記憶が混在していること、さらに目を通しまくった参加者皆様のレポと印象が融合していることから、自身の体験として総括すること困難になっておりました。

それでも明日『スタァライト』プロジェクト5周年当日4月30日(土)に開始するオケコンディレイ配信を視聴して、あの忘れがたい日の記憶が記録に上書きされてしまう前に、自分の中に残っている漠とした印象を書き留めておきたいと思います。

混乱を混乱のまま綴ろうとしているので、演者の表記ブレが酷いことになっております点ご容赦願います。

 

 

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0.入場

 

昼の部/

一般席、会場後方、ステージ真向かいの二階スタンド。段差で視界は良好。不安になる隣席との密度ではありましたが、幸い席の後ろの段に上がればスムーズに出入り可能な列。近くに所謂「UOグルグル」オタクがいてハッキリと周囲の人たちの邪魔になっていたので(邪魔にならない範囲であれば別に良いと思っていますが)、持参していたペンライトは昼の部では使わず、オーケストラを聴きに来ましたよというフォーマルな態度で通しました。

 

夜の部/

スタァライトシート。アリーナ席、前方Aグループ。

昼の部で知っていたのです。ここは推しの小泉萌香さんを直視できるエリアだと。

左隣り二席と背後斜め席は最後まで空席のまま。マナーに配慮して詳細省きますが、つまり、色々気遣わずにあれこれ出来る、非常に快適な席となりました。それは同時に、当時の厳しい諸事情からこの良席を諦めた人がいるという事実がずっと脳裏を過ぎり続けることでもあり、「この席の人達の分も今この時を噛みしめよう」とアドレナリン放出に一役買う効果はあったと思います。

昼の部の際、スタンド席からホール全体にペンライトがもたらす演出効果を確認していたので、「あの一部になるぞ」と、昼の部我慢した分も早々にペンライトを準備。物販で引き取っていたリングライトも装着。

 

1.『再生讃美曲』

 

選ばなかった過去たちへ 静かに捧ぐ賛美歌を

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ロンドはいつか終わる だから眩しいーー

 

昼の部/

まずオケのチューニングってなんであんなにときめくんでしょうね、なんて油断していたら、いきなりレヴュー服でも制服でもない、オケコン用に新しく誂えられたシックな衣装で九九組が溜めもなく登壇し、『再生讃美曲』を披露。

ストリングスで華々しく始まったかと思いきやすぐ不気味な転調を見せるイントロがそもそもオーケストラに合い過ぎ、その相性に浸る間もなく初めて見る生の九九組の並び姿、「でも9人ではない」という動揺、大好き過ぎるみもりんの冒頭フレーズ、初めて生で聴く推しぴの歌声、輝ちゃんのパートを歌う彩沙ちゃん、と、ほぼ5秒毎に訪れるハイライトの乱れ打ち。

そして九九組の後ろ、オーケストラなめに見煽ぐ位置に掲げられたスクリーンに流れる『ロンド・ロンド・ロンド』のダイジェスト。顔の見える距離ではありませんでしたが(オペラグラス持参すべきだった)、左右スクリーンの中継カメラワークも完璧。

小さくても生の九九組を見るべきか、中継映像を追うべきか、オーケストラの演奏に着目するべきか、推し達とスクリーンの映像のマッチングを噛みしめるべきか、既に大混乱しています。この混乱はこの日、夜の部の最後まで消えることはありませんでした。

『再生讃美曲』はばななが主役といっても過言ではない一曲。初めて聞く推しの生の歌声がこんな贅沢なものだったことは生涯忘れたくありませんが、初手インパクトが強すぎて真っ先に消し飛んでしまったことが悔やまれます。

 

夜の部/

九九組が間近に! もえぴの顔がストレートに見える席!(両隣のひーちゃん、彩沙ちゃんも。斜め前のおじさんの後頭部が邪魔で、センターの華恋が隠れがちなのが残念)

昼の部の時点で覚悟は出来てた筈なのに、いざ至近距離で「九九組 ー オケ ースクリーン ー ムービングライト」の連携を浴びると思考回路が麻痺しました。

また当日終始そうでしたが、オーケストラの生音が迫力を増せば増すほど舞台少女たちの歌唱力が(まほ姉曰く「音に引っ張られる」ように)再現なくそのボリュームのレンジを拡げていく様が圧巻でした。

 

○挨拶

 

昼の部/

観客はまだこの日何が起こるか察しきれた訳ではないので若干の緊張感が漂いつつも、九九組、及び東京管弦楽団の皆様の挨拶。

そしてこの日、新型コロナウィルス感染の為、参加出来なかった生田輝さんの分も一同メンバーカラーである紫を九九組それぞれが身につけている事を紹介。

会場全体が、ここまで漂っていた不在の喪失感を「輝ちゃんもいると思って燃焼しよう」という前向きな一体感に変換したような心地。ここら辺は彩沙ちゃんの巧さというか、空気をコントロールしていたように感じます。

昼の部は全体的にペンラ控えめだったのですが、輝ちゃんの話が出る時は紫のペンラが目立って暖かかったです。

ちなみに舞台裏ではずっと生田さんと九九組はSNSで画面越しに繋がっていたそうで、「喉痛いのに笑い過ぎて大変だった」by輝ちゃん。

 

2.color temperature

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『劇場版 少女☆歌劇レヴュースタァライト』は上映時間の半分近くでレヴュー曲が流れており、更に通常劇伴もあるので、それらの曲に該当する映像をスクリーンでかけるとなると、ほぼ「フルサイズに近い映画をサイレントで上映し、そこに生演奏・生歌・生照明演出を併せている」状態で、「こういう映画体験」をしているようなコンサートでした。

映画の新しいスタイルとも言えるし、映画の原体験に回帰したようでもある。

 

3.蝶の舞う庭

4.child stars

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「color temperatur」が絵も音もどちらも主役となって攻め立てるものだったとするなら、ここからが本当の「劇伴」の世界。スクリーンに映される日常シーンの空気感を柔軟にほぐし、こちらに届けてくれます。

 

昼の部/

オーケストラの効果は実はスタンド席でホール全体を見回している時の方が大きくて、事前に懸念されていたメッセの音響も(自分の耳には)問題なく、スクリーン中の音が会場全体に波及して体に伝わってくる。

象徴的な描写の多い映画だからこそ、画面で展開するシーンの一つ一つの背景に包括された、そこに映された絵以上の意味合いの広がりが、生音の迫力で顕在化し、ホールに漂っている感覚。

 

夜の部/

アリーナ席だと音がダイレクトに飛び込んで来て、ホールを包む感慨に浸るというよりかは、オケの演奏を目に焼き付けて音圧を受け止める、といった純粋な演奏会の楽しさが勝ちます。左右の中継モニターを見上げると指揮者の顔の仰角視点カメラで、どういう気持ちで見ればいいのかわからないけれどちょっと面白かったので、こちらもチラチラ見ていました。

 

5.ki-ringtrain

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昼の部/

キリンの着信音に合わせ、ステージ上部が巨大な赤ランプのように点滅。もはや着信音を越えて緊急非常警報のような圧迫感。

会場が赤に染まります。客席に浸透していく照明効果もここから本領発揮開始。

「こ、これは。。。?」と緊張する客席。期待していいのか。しかし、期待しているとは言え空気が怖いんだけど!

 

6.wi(l)d-screen baroque

 

歌って 踊って 奪い合いましょう

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昼の部/

疾走感溢れる演奏。オケのパフォーマンスも激しくなっていきます。

しかしまだ小泉さんは出てこない。ばなな歌うのか? 歌わないのか?

もえぴ出てくるのか? 出ないのか? 出たー!

ここら辺の観客の気持ちはトークコーナーで小山さんが代弁してくださいました。

あらゆる意味で、始まる「ワイルドスクリーンバロック」。

演奏の最中、スタスタと、無言の圧と共にブラックドレスの大場なな登場。

「あなたわかりますか? ルールがわかりますか?」

 

歌ったああああああ

 

初見時の感覚としては、手裏剣こそ投げコブラしないものの大場なながスクリーンを飛びだして殺しに来たみたい。

会場全体が「あぁレヴュー曲、歌うんだ」とこの時初めて理解して、にしても改めて生で聴いて本当に衝撃的な曲と背後のスクリーンに映される『皆殺しのレヴュー』とのマッチングに痺れる空気。もえぴのみならず、この日総じて九九組の歌い始めの「会場の空気の掴み方」がスムーズで、ほぼ生理レベルで舞台経験から会得したものなのだろう、自然な緊張感を醸成していました。

 

夜の部/

夜の部は至近距離で小泉萌香さんの歌唱を堪能。起こる出来事とは裏腹に「無邪気な子供のように」というレコーディング時の指示のままに、無邪気に楽しそうに歌うばなな。それも時に横揺れで。かなり難易度高いと思うのですが、その無邪気さが不意に冷徹さに切り替わり、からの「生きる 生きない 生きない 生きる 生きない 生きたい」の六段階変化。完璧でした。僕の推しは格好良いんだ。

 

7.station zero

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8.砂とアラベスク

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9.約束タワー~echo~

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昼の部/

やがて映画は決起集会の場面へ。

劇中では、近視眼的だったストーリーが不意に引きの絵になり、レヴューの外にいる九九組以外の舞台少女たちを、映画の一部として捉えるシーン。

映画鑑賞時にこの場面で「映画の観客」もその一部として感じられるかというと、決してそういう場面では無かったと思うのですが(まだスクリーンの奥と手前で隔てられている為)、スクリーンの手前にオケも照明も設置されているコンサート会場に於いては、スクリーンから拡張したフロアとして客席が機能していて、「オケコンの観客」も映画の一部として巻き込まれていました。

同様の効果は他のシーンでも多々生じて、映画ではクライマックスの衝撃シーンの一つである「例の瞬間」がむしろずっと続いているような変形が会場に生起していたと思います。

『約束タワー』の歌詞を覚えておくと、もう既にうるうるきます。

 

10.舞台少女心得 幕間(世界は私たちの…)

 

世界は私たちの 大きな舞台だから

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映画では『約束タワー』に続きインスト(曲名も変わって『世界は私たちの…』)で表現されたこの曲を、ここでは再び登壇した九九組がフルで歌唱し、スクリーンの映像が劇場版を越えてTV版の記憶をミックスしていく。

スタァライト的に言うのであれば「再生産総集編」。

「私たちは舞台少女」という歌詞が、星翔の歴代女学長たち、卒業していった上級生たちの集合写真の映像に合わさる時の、時間的スケール感の飛躍。エンパワメントと言うべきか大局的なシスターフッドというべきか、その遠大さと力強さに昼夜二部とも目頭が熱くなりました。

 

トークコーナー

 

昼の部/

話を小泉さんに振り、この状況下で歌の口火を切ったことの緊張が語られます。

お馴染み「ボスとのイヤモニ漫談」を生で見れて感動。

夜の部へのフリともなるバラエティコーナーや告知コーナー、スタリラに実装されたSSR劇場版ばなな「狩りのレヴュー」(帰宅後10連で引けちゃった…)の映像紹介などがあり、「まだまだ私たちの歌がございますので」と、主役かつ圧倒的仕切り名人の小山さんの不意に漏らした言葉で場内がそわそわし、演奏は後半へ突入。

終日、もよちゃんの流石の仕切り(自分の話だけ早口で片付け、一切溜めない)は安定の信頼感。

 

夜の部/

昼の部に続きバラエティはやや巻き気味に片付けようという意思を感じたのですが、明らかにここで全員の回答が揃って終了だろうという場面で、客席のペンライトが指す「キリン」を「バナナ(自分)」と勘違いしたもえぴが一人外して盛大にやらかし、微妙に尺が伸びるというハプニング。so kawaii

 

11.luminance

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12.わがままハイウェイ

 

二人は時速100km(one hundred) すれ違っていく

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昼の部/

輝ちゃんの声は音源音声のまま、これにオケ、映像、彩沙ちゃんのパフォーマンスが合わさるという、ちょっとその複雑さは想像さえ出来ないレベルなのに、違和感なくこなす各セクションのプロの技術を堪能。

かねてより本楽曲のシティポップ的な箇所が大好きとずっと公言していた彩沙ちゃんが(セクシー本堂パートでの吐息と緩急つけつつ)ノリノリで歌って踊る。香子のイメージとも少し異なるその軽快な身のこなしに意表を突かれて体が疼きました。一緒に踊りだしたい。

照明とデコトラ映像とのマッチングで会場のお祭りテンションが一気にMAXへ。

 

夜の部/

前述したおじさんの後頭部に視界が一部遮られる事で面白い作用が起こり、

 

『        スクリーンの双葉

             ↓

  彩沙ちゃん→ おじさんの後頭部   

         ↖

           自分の視界  』

 

となって、完全にそこに「おじさまの頭で見えないけど輝ちゃんがいる」という幻視が起こる現象に遭遇したのです。

「見えない相手と歌って踊ってアイコンタクトまで送る」という伊藤彩沙さんの高度な表現力の賜ではあるのですが、初の現場で九人揃った姿が見れなかったという悔しさから、ここで不意に解放されていました。

 

13.MEDAL SUZDAL PANIC◎○●

 

そうです皆様お待ちかねの エンターテイメント 命がけの

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昼の部/

明るい曲調が一転してホラーに変わる静寂。

真っ赤なライトを浴びたはるちゃんが、その表情ひとつで会場を支配する「間」の緊張感。

オーケストラの迫力を伴いながら、やはりどうしたって会場を演劇空間に変えてしまう九九組の本領が一曲毎に溢れていました。

 

夜の部/

それにしても近くで見るはるちゃんの静寂の表情が本当に怖くて。「ホラー映画」は見慣れたけれど、「ホラーステージ」ってあるとしたら本当にこういうものなんだと。巨大なホールの中で、物音一つ立ててはいけない「間」が永遠にも感じられました。同時にそれは大迫力のオケコンならではの引き立つ「静寂」という音楽表現。

エレベーター内のサイケなホラー演出の照明による再現。高まった演奏の中断。

その緊張感を経た上での、はけていくひかりを見送る後ろ姿。これをまさに背中側から見ていたので、完全にそこに「まひる」が立っていました。

低音からハイトーンに持っていかなくてはいけない、地味に歌唱難度の高いまひるでさえ凄まじい「喉からCD音源、CD音源以上」を聞かせてくれることで、九九組のパフォーマンスのクオリティの高さを実感する一曲でもありました。

 

14.ペン:刀:力

 

煙る景色 果てる夢 夢に縋り霞を喰え

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昼の部/

 

歌の再現のみで台詞は発さなかった今回のコンサートですが、この曲の冒頭で唯一、台詞としてななの「ガァオ!」がスクリーンに合わせて聞こえます。

それだけで卒倒しそうなのですが、小泉さん佐藤さんが立ち位置を細かく変えて映画を演劇的に再現。この立ち位置変化による舞台演出は『MEDAL』『ペチカ』『美しき人』と効果的に続いていくのですが、今回スタァライトの振付師:らくだちゃん(Yurika Rakuda先生)が不在であった為、前日しかないゲネリハ時にキャストが自ら提案していったものだそうです(ボスのアドバイスもあり)。

観客への事前通達の不備の数々が問題視されているコンサートではありましたが、送り手側にとっても事態が不鮮明なまま推移し、極々限られたリハーサルでこれだけのステージにまで高めてくれたことを、あくまで当日参加適った者としては感謝したいところです。

当然、参加を諦めていた場合はやはり不平不満の気持ちは抱いたでしょうし、そこにもまた正当性はあったと思いますが。

 

劇場版のレヴューにおいて、恐らくもっともシンプルで地味である『狩りのレヴュー』が、本公演そのスクリーン内の絵作りのシンプルさ故に一番「今そこで再演されている舞台」としての臨場感がありました。黄色いスモークによって「煙る景色」の再現。

立ち位置変化による舞台演出と言っても、単純にスクリーンの中のキャラに合わせてキャストが静かに出たり入ったり、上手/下手を進んだり戻ったり、振り向いたり去ったり、そうした簡単なアクションが起こるだけではあるのですが、それ故に非常に儀式めいた緊張感がありました。黒沢清長回しシーンでキャストの出入りに異様に気を取られてしまうあの感覚。

後の話ですが『美しき人 或いはそれは』に於いてあいあいさんが出トチって変なタイミングでステージ袖に立ち、何もせず引き返したそうなのですが、自分にはその記憶が、というか誰かがトチったという印象がなくて、おそらくその動きにさえ「意味」を感じ取れるくらい、「人がただ舞台上に現れて/はける」という行為そのものが本来持つ、人の目を惹きつけるアクション性が、効果的に感じられる空気感がこの日あったのだと思います。

その時あいあいさんはマイクを反対側のバックステージに忘れていて、「あいあい出ちゃった」「マイクこっちに忘れてる」と二重に裏側が慌てふためいていた話を知ると流石に笑いますが。

 

夜の部/

冒頭の「大場映画株式会社」のロゴからこっち、実は当日若干目障りではあった収録用のクレーンカメラの動きが、アリーナの至近距離から見ていると正に「撮影所」の舞台装置として機能してアトラクションを眺めているようでもありました。

ポラロイドの撮影シーンでもフラッシュライトの同期演出があったと思います。

また、客席から見るとスクリーンの中のななと小泉さんの動きが完全にシンクロした瞬間があって、この日もうずっとそうですけど「あぁ…ぁ…ワ…」と語彙がちいかわ状態。

 

スクリーンで見慣れた『劇ス』を自宅で鑑賞した際、もっとも物足りなく感じたのは、あの純那とななが横長のシネマスコープサイズをギリギリめいっぱい使って左右にはけていき、言葉は交わしてもとうとう振り返らない圧倒的な「別れの気配」。

あの切なさをまた味わいたいなと思っていたら、その究極たるステージでの実演です。

キャストがしきりにコンサート前に劇スの見直しを推奨していたので二日前に鑑賞した折、初めて感じ入ったキャラクターが純那でした。強者たちが織り成す物語の中で、「届かぬ足りぬはもう飽きた」「伊達に何度も見上げてないわ」と、凡庸な己を鼓舞する、謂わば映画の目線が観客の高さに降りてくるパート。「スタァ」である主人公に対して「星を見上げる」から名付けられた星見純那の決意表明。

正にアリーナ席からも「見上げている」訳で、最もこの日限りの演出効果を越えてキャラクターとして沁みてきたのが純那でした。

途中小泉さんが一旦下手にはけ、スクリーンのばななを背景として純那が歌い上げる様の、佐藤さんの声のはち切れそうな切実さ。スクリーン上で割れるステージ。ホールを引き裂く照明。

 

ところで、こうして順にレヴューの実演を見ることで、改めて映画の構成がスッキリ見えてきました。

 

敗者同士の豊かな世界である『わがままハイウェイ』

敗者が勝者に発破をかける『MEDAL SUZUDAL PANIC◎○●』

敗者が勝者に牙を剥き吠え立てる『ペン:刀:力』

勝者同志の終わらない鎬の削り愛である『美しき人、或いはそれは』

勝者が勝者に引導を渡す『スーパースタァスペクタクル』

 

綺麗。

 

15.focus

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16.キリンのためのレクイエム

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17.美しき人 或いは其れは

 

その執着に満ちた魂 地獄の底を照らすのさ その魂!

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昼の部/

 

『わがままハイウェイ』は競演叶わず

『MEDAL SUZUDAL PANIC◎○●』はテンションの異なる二人

『ペン:刀:力』は徐々に二人のテンションが高まっていく

と、右肩上がりに歌唱のボルテージを上げてきた流れが、ここで振り切れた歌の殴り合いに。

スクリーンにはスタァライト副監督小出卓史さん渾身の上下左右立体的に飛んで跳ねて戦う真矢クロ。その手前では歌唱力で殴り合うまほあい。絶対的に目が足りない一日でしたが、そもそもこの『魂のレヴュー』に関しては普通に映画館で観ていても油断したら超絶作画を見逃すスピードとボリューム。高速で視線をスクリーンとキャストに行き来させて、目の外眼筋が疲れるくらい動かしました。

真矢クロが様々な額縁の絵画の中でシルエットとして戦い、カットの度に画面の中の色味が変わる瞬間。この日もう何度目か、会場全体を照明の「色」で染め上げて、ワンカット毎に異なる絵の中に閉じ込める演出が圧巻です。

 

アリーナ席ではキャストのご尊顔生で拝見できる喜びがありますが、スタンド席で引いて見ることで成立する照明演出が兎に角多かった一日。

単純にスタンド席の方が安かったので金欠から昼はそちらにしただけだったのですが、両部ともアリーナにしてなくて本当に正解だったなと。

夜の部では上手二階スタンド席に古川知宏監督が観覧に来ており、個人的にも「バージョン違いの劇場版」の様相を呈したこの日の公演を、アリーナでなくスタンド席から監督に目にして貰えてることに納得感がありました。

 

夜の部/

 

アリーナ席から「見上げる」視点になった時、映画本編中に「階段」を使ったステージが多いことによって、「オーケストラの頂きで見栄を切る真矢と、その頭上で輝く鉄の鳥」が目に出来るのですけど、オーケストラの皆様が王宮楽団のように配置されていて、「演奏者がキャストになってる…!」という感動を覚えました。ステージに立ってしまえば、オーケストラも皆な舞台少女。

そして、実際に互いに「かかって来い」という意志で歌声で闘っていたという富田麻帆さん相羽あいなさんの王者対決。この日ここまで上がりに上がったハードルが目に見えて越えられていく様に圧倒されます。実力者しかいねえな本当に。

ダン!  ダン! ダン! の手振りが大好きです。

 

まほ姉がどうもイヤモニの不調?を気にしているような素振りを見せてしばらくしてから、何か吹っ切った(ここで「まほ姉がイヤモニぶっこ抜いた」という証言と、「まほ姉の落とし物をあいあいが拾ってた」という証言もありました)かのようにリミッターが切れて、二人のハイトーンが空中で螺旋状に昇っていくかのように高まり、背景のスクリーンでは真矢クロが宙を飛び跳ねて戦い、本当に「歌でバトル」というアニメ表現が誇張抜きで展開していました。

そのピークを終えた瞬間、夜の部で昼の部には無かった「真矢の吐息」(スクリーンでは真矢が額縁の中のクロディーヌに見惚れている)でfin.

ななの出現、まひるのホラーに続いてこの日三度目、ホール全体が一斉に息を呑んだ瞬間でした。声にならない悲鳴ってちゃんと聞こえるんですね。

 

18.スーパー スタァ スペクタクル

 

綺麗で眩しくて痛くて悔しくて 奪って奪われて切ないよ

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昼の部/

レヴュー曲ラストにして、スタンド席から見る「照明演出」の最大のピーク。

華恋、ひかりの口上シーンに合わせて、ムービングライトがスクリーンから飛びだして会場全体に光の花道を何度も築き上げていく。ソフト化される際には是非とも引きの画を入れて欲しい。

この日ずっと、アリーナから見るそれは「ライブ」でしたが、スタンドから見るそれは「作品」になっていたのです。

そして最後に華恋が目撃するひかりの「キラめき」が、立体的にホール空間の宙に飛びだして漂う。

スクリーンで青空に舞う上掛けを見送るみんなと、ひかりの笑顔。ここら辺ももう涙腺が潤んでいるので、実際には何を見てどこからが幻覚なのか判然としないです。

 

夜の部/

ムービングライトが客席をめっちゃじかに焼いて走る! ここは本当にスタンド席とアリーナ席でまったく効果の代わる場面でした。

 

『劇場版 少女☆歌劇レヴュースタァライト』のよくある感想、そして個人的な実感として、実は初見時ラストのレヴュー『最後のセリフ』に関してよく覚えていない、というものがありました。

華恋とひかりのドラマは回想シーンで積み上げられ、曲そのものは既にクライマックスから始まっている為、他のレヴューにはあった起承転結がいきなり「転結」を始めているからなのですが、やっぱり実際のコンサートを見ても、『スーパースタァスペクタクル』だけ一瞬なのです。

他のキャスト達が演劇的立ち振る舞いで印象を残す一方、三森さん小山さんの印象はひたすらまっすぐ前を向いて、感慨にさえほぼ浸らず、次の舞台を見据えている清廉なエネルギーの塊。

 

下手にはけるひかりを見送り上手に向かうまひる

互いに背を向け下手と上手に戻らない別離を果たす純那となな。

共に下手へはけていく真矢クロ。

という「退場演出」によってそれぞれの未来を見た観客の中で、

ここでは「華恋とひかりはどこにもはけずステージ上に残る」ことそのものが、観客のいるこの世界へと飛びだしてきたかのような、「音」「光」「スクリーン」に続いて最後にとうとう主人公二人が立体的に降りてきて、そのまま「この世界」のどこかへ向かって行くような。

 

そのまま一瞬の暗転をはさみ、間髪入れずにエンディング曲『私たちはもう舞台の上』が、フルバージョンで始まります。

 

19.私たちはもう舞台の上

 

ーー眩しいからきっと見えないんだ 私たちの行き先

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きっと私たち叶えられるはず 何度も何度も

 

スクリーンに流れる「本公演の」エンドロール。

二階スタンドから見た昼の部では、ここが涙腺崩壊ポイントでした。映画の記憶、九九組のドラマ、やっと会えたこと、一つの作品を構築する無数の人々の名前。その延長上に観客を位置づけるタイトルの意味の変化。

私たちはもう舞台の上。華恋とひかりが現れ、どこかへ向かっていった、この同じ世界の上。

何より楽曲そのものクライマックスの、生で聴くとはちゃめちゃに迫力ある、5声からなる複雑高度なハーモニー構成の再現。これもまたショートVer.しか流れない劇場版を再生産した、更に上回ったポイントの一つでしょう。

そしてクラップ! 作・編曲佐藤純一さんの粋な仕掛けで、会場みんなでリズムに合わせて手拍子。最後の最後に限りなく単純で原初的なライブの喜びを観客が共有出来ました。

 

○終わりの挨拶

 

最後の挨拶では、彩沙ちゃん泣くかな? と思わせてからの輝ちゃんブロマイドを背中にはっつけて「一緒にいました」。自分も輝ちゃんブロマイドを持参していたので胸熱です。

これは昼の部での光景だったか、このような情勢下で足を運んだこと、抵抗がなかったと言えば嘘になりますが(だいぶ嘘寄りですが)、絶対に後悔はしまいと誓いました。

昼の部では小山さん三森さんが夜の部のチケットも買うようにと徹底して宣伝に努めていて、「そう、華恋とひかりは余韻に浸ったりせず『次』に向かってる筈なんだよ…」と勝手に解釈一致で盛り上がっていました。

 

20.星のダイアローグ

 

いつか いつか 空に届きますように

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キャストにとっては原点回帰。

劇場版との出会いでスタァライトにハマり、歪な後追いを続けてきた、遅れてきた舞台創造科である自分にとっては、旅の一つのゴールとなりました。

 

 

改めて、『WSB』の血の赤、『わがままハイウェイ』のネオン、『MSP』のサイケデリック、『ペチカ』のスモーク、『美しき人』の絵画、『ススス』の赤と青、最初からこのコンサートを想定してんじゃないかと思えるほどハマっていた拡張演出の数々によって「映画の色彩に溺れる」感覚は唯一無二で、本当に得がたい体験でした。

 

また、昼の部の歌唱は「音源の完璧な再現」を、夜の部の歌唱は「壊れてもいいから演奏と感情のボルテージのままに歌い上げる」ことを志向しているように感じられて、両部とも参加した価値は音楽面でも感じることが出来ました。

 

ここに生田輝さんがいれば完璧過ぎる一日。

ところで『世界は私たちの…』終盤でプログレ風に変調し訪れる「アルチンボルト・キリン」の場面は再現されたのだったか。

『世界は私たちの…』オケ編成からの『舞台少女心得 幕間』歌唱も入れてくれたら、更に完璧。

全編に台詞も取り入れてくれたら更に更に完璧。

オーケストラコンサートの再演を、強く待望しております。

 

と、言う訳で、

 

僅かでも興味を持っていただけましたら、是非ともディレイ配信での鑑賞をお薦めして終わりにしたいと思います。

『劇場版 少女☆歌劇レヴュースタァライト』を楽しめた人なら絶対に堪能出来る筈です。

 

 

これだけのボリュームがしめて2200円のお安いプライス。

4月30日(土)18:30より配信開始。

販売期間は5月7日(土)20:00まで。見逃し配信は5月7日(土)23:59まで。

 

ちなみに自分は、まだこの記憶を記録で上書きするべきかどうか、迷っています。

全然違ってる内容だったらそれはそれで面白いのですが、自分自身の体感としてはこの記事の内容で嘘はないのです。

 

そして、ソフト化して欲しいです………。

 

 

追記.

会えたで~.

 

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モノクロと複雑さ ー 『カモン カモン』感想

 

スタッフ

【監督/脚本】マイク・ミルズ(サム・サッカー、20センチュリー・ウーマン

【撮影】ロビー・ライアン(女王陛下のお気に入り、家族を想うとき)

【編集】ジェニファー・ヴァッキアレロ

【音楽】アーロン・デスナー/ブライス・デスナー

 

キャスト

【ジョニー】ホアキン・フェニックスジェシー】ウディ・ノーマン【ヴィヴ】ギャビー・ホフマン【ポール】スクート・マクネイリーロクサーヌモリー・ウェブスター【フェルナンド】ジャブーキー・ヤング=ホワイト

 

ジョニーがラジオジャーナリストとして都市を転々としながら現在のアメリカを生きる生身の子供達のインタビューをして回るドキュメントと、突如降って湧いた甥っ子ジェシーとの共同生活というドラマが混在する、全編モノクロの一本。

 

ジェシーの父ポールはパラノイアに陥り精神疾患を患っており、その影響か定かではないがジェシーも言葉が止まらず状態としては混乱しており、しかし同時に理知的な論理で己の混乱から大人を煙に巻こうとするのである意味賢いとも言える。つまり大人からすればより複雑な存在だ。

インタビューの向こうの子供達の言葉もまた率直なもの、ひねくれたもの、本音か建前かわからないものと多様で(エンドクレジットで捧げられた弔辞は、あの大事なことは答えなかったニューオーリンズの少年に捧げられたものだろうか、ちょっと記憶が曖昧だけれど)、ジェシーもどこにでもいるありふれた子供なのかも知れない。

ジョニーと妹でジェシーの母であるヴィヴはジェシーの言葉に振り回され続け、またヴィヴはポールの混乱にも振り回され、更にジョニーとヴィヴは一年前まで痴呆症の母にも振り回されていた。

繊細な心理状態をその複雑性から目を逸らさず向き合ってきたマイク・ミルズだけあって、これら限られた登場人物がシンプルなシチュエーションで混乱し続ける描写は我がことのように切なく迫る(露悪的にはならないので、退屈さと紙一重かも知れない)。

そこで光るのが撮影で、本作人物の位置が周辺風景に対して比較的小さく、つい視線が外側にも吸い寄せられてしまう。明白に綺麗な西海岸のビーチもさることながら、なんでもない街角のディティール(多くの人が行き交う時をわざわざ選んでいる)や、静謐な森の無数の樹影から零れる木漏れ日。これら複雑な情報量が、モノクロであることでシンプルな白と黒の絵画に収まり、調和をとるというか、個人個人の精神の混乱を世界に馴染ませてくれる。その複雑さは普遍的なことだと。ヘッドライトや信号さえ眩しく光で満ちるショットもあれば、中央にポツンと街灯が点りホッとさせる瞬間もある。

そして複雑さを強調する構図が不意にシンプルに整うポイントポイントでジョニーとジェシーの関係性は落ち着きを取り戻していく。

空いた扉の向こうのベッドで寝転がる二人もそうだし、何よりジョニーとの別れを惜しんだジェシーが嘘をついてトイレに駆け込むダイナーのシンプルでまっすぐな奥行きの画面。混乱のピークに見えて、扉を隔てて会話するジェシーがここでは素直な心境を吐露し、ほんの少し脇道に逃避しただけで心と世界は調和が取れてしまうことにホッとする。

カメラが扉の中に入り、二人の会話をじかに捉えれば、きっとまた混乱は続いていくのだろう。その混乱の中で言葉を伝え合う困難さをジェシーが、その価値をインタビューの対象となる子供達が訴えかける。

複雑さを抱えて混乱しながら生きていくしかないとしても、カメラがモノクロで我々を俯瞰すれば、そこに映る光景はきっとシンプルだ。小粋なショットにしてやっていきましょう。

 

追記.劇中、部分引用される書物のタイトルが堂々テロップで出されるので最初「おっ?」ってなるけど、あれも情報としては混乱するけど同時にスッキリ整理されてるんですよね 現実を省略するのではなく見通しをよくする映画。

 

唐突にジョニーが立ちくらみするパレードのシーンもそうで、複雑さの中に在りながら、オーバーヒート起こしたらちょっと落ち着こう。そこではジェシーがパッと素早く飛び降りるのも良い。