李琴峰『彼岸花が咲く島』

 

 

「リー、ニライカナイより来したに非ずマー?」

 

 海岸に彼岸花が咲き乱れるその島に、かすかな記憶だけを残して少女が漂着する。

 やがて宇実(ウミ)と名付けられる彼女を見つけたのは、褐色の元気娘・游娜(ユナ)。

 宇実は「ひのもとことば」を、游娜をはじめとするこの〈島〉の人たちは「二ホン語」を話す。ひらがなで成立するようないくつかの言葉は共通して会話できるが、それ以外の言葉の法則性を宇実は一から覚える必要があった。

 ところで、この〈島〉は代々女性が継承する「ノロ」と呼ばれる祈祷師たちが仕切っており、ノロに選出されるために少女たちは「女語(じょご)」と呼ばれる言語の勉強をして習得する必要がった。

 この「女語」こそは、地の文で用いられる、そして私たち読者がよく知る、「日本語」そのものである。

 果たして、宇実と游娜は「ノロ」を目指すのか。男でありながら密かに「女語」を習得、ノロになりたいと願う男友達・拓慈(タツ)の想いに応えられるのか。

 そしてこの〈島〉の秘密とはーー?

 

 明らかに琉球の文化を持つ島国で存在する奇怪なルール、何より自明のものとしていた「日本語」が解体されて登場する混乱が好奇心をそそり、芥川賞に抱いていた闇雲に言葉をセンスで混ぜっ返すイメージとは異なる、より俯瞰的な視野から言葉を捉え直す感覚が大いに脳を刺激してくれる。最近エスペラントの本を読んだせいもあると思う。

 

 沖縄風情の宿るSF(ケン・リュウの短編集にありそうな)という涼風に、咲き乱れる彼岸花のイメージが不吉な陰を鋭く大きく差し続ける塩梅も独特。

 なにより、「〇〇ラ!」を繰り返す褐色美少女との百合という、非常に現代的な「萌え」の側面の純度が高い。ランジュかな? ナターリアかな?

 百合小説として宙ぶらりんに終わってる気もするけど、前提となるそのカテゴライズが何か既存の常識に縛られてるんじゃないか?とも穏やかに突き付けられる。

 

 読み終えて、ではこの小説は誰がいつ書いているんだろうと想像する余韻が悪くない。