沈め栄華 ー 『ハウス・オブ・グッチ』感想

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スタッフ

【監督】リドリー・スコット

【脚本】ベッキー・ジョンストン/ロベルト・ヴェンティベーニャ

【原作】サラ・ゲイ・フォーデン『ザ・ハウス・オブ・グッチ』

【撮影】ダリウス・ウォルスキー

【音楽】ハリー・グレッグソン=ウィリアムズ

 

キャスト

【パトリツィア・レッジアーニ】レディー・ガガ【マウリツィオ・グッチ】アダム・ドライバー【パオロ・グッチ】ジャレッド・レト【ロドルフォ・グッチ】ジェレミー・アイアンズ【ジュゼッピーナ・アウリエンマ】サルマ・ハエック【ドメニコ・デ・ソーレ】ジャック・ヒューストン【パオラ・フランキ】カミーユ・コッタン【アルド・グッチ】アル・パチーノ

 

老舗ファッションブランド:グッチ家の末裔マウリツィオに近づき結婚、やがてグッチ家を滅ぼすことになる運送会社の娘パトリツィアの野心を起点として、一族の駆け引きと命運を冷徹なタッチで綴る。

いよいよリドリー・スコットも老境監督独特の銀のフィルターをかけて世界を観るようになったかという撮影が印象的。ただ『ゲティ家の身代金』に比べても輪をかけて愚鈍で煮え切らないように見える話運びの不完全燃焼は老いよりも作家性の本質で、本来は衝突し合い駆け引きすべき登場人物たちの間でさして熱い火花は上がらない。それを演出が求めていない。ともかくジャレッド・レトアル・パチーノの役作りが酷すぎてアダム・ドライバーと渡り合えていないのもあるのだが、駆け引きなど意味はなくみな悪の法則に呑まれゆくのみなのだ。

ガガ様は良い女優になっていて、周囲が戯画化に勤しむ中でせっせと戯画化された悪女に人間的な野暮ったさを与え、結果として映画から華を消し去っていくが、それさえ含めてパトリツィア的な存在感がある。

ドラマがあるのではなく、ただ映画が運命に流されていく。パトリツィアがマウリツィオを恋に落とすのは霧の湖の小舟の上。もう最初からどこにも行き着かない。グルグルと周回して、いずれみんな沈んでいく。ご丁寧にバスタブに沈むパトリツィアのカットバックで何をかいわん。

その運命の過程をいかに愛でるか。実在の場所や人ーグッチ、スタジオ54、トム・フォード、アナ・ウィンター、ソフィア・ローレン、そして時代を彩るポップスの数々(やや浮いて感じる『黒いオルフェ』のカバーも実際ヒットした曲?)といった華やかなアイコンやディティールさえ全ては軽佻浮薄にしか感じられず、(当然「金持ってる日本人」も)全ては消えて沈みゆく諸行無常のアイテムとしかならない。

その沈み征く滅びのアイコンを眺めるだけで愉しい空疎な虚無の見世物、そんな映画になって欲しかったしなりえた筈なのに、特にジャレッド・レトのイタリアなまりの英語の誇張されたばお馬鹿演技がずっと辛くってどうも茶番めいてしまったところが勿体ない。

期待し過ぎたかなーという印象でした。

 

と、思っていたけれど、最後の字幕の一文が面白すぎて全部OKになってしまうところもある。

その身も蓋も無さがあまりにリドリー・スコットの無常観とマッチしていて、笑いました。