夜を使いはたして ー 『映画オッドタクシー イン・ザ・ウッズ』感想

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スタッフ

【監督】木下麦

【脚本】此元和津也

【副監督】新田典生

総作画監督】中山裕美

【美術】加藤賢司

【撮影】天田雅

【編集】後田良樹

【音楽】PUNPEE VaVa OMSB

 

キャスト

【小戸川】花江夏樹【白川】飯田里穂【剛力】木村良平【柿花】山口勝平【二階堂ルイ】三森すずこ【市村しほ】小泉萌香【三矢ユキ】村上まなつ【大門兄】昴生(ミキ)【大門弟】亜生(ミキ)【柴垣(ホモサピエンス)】ユースケ(ダイアン)【馬場(ホモサピエンス)】津田篤宏(ダイアン)【樺沢】たかし(トレンディエンジェル)【タエ子】村上知子森三中)【ドブ】浜中賢二【今井】酒井広大【田中】斎藤壮馬【山本】古川慎【関口】堀井茶渡【佐藤】虎島貴明【???】鬼頭明里【ヤノ】METEOR

 

昨年放送されて話題を博した、擬人化した動物達がリアルな東京を行き交う犯罪群像劇『オッドタクシー』の劇場用再生産総集編。

練馬区で女子高生が失踪し、バズったインフルエンサーは犯罪者ドブを捕まえて晒し者にしようとSNS上で祭りを始め、売り出し時の三人組のアイドルユニット『ミステリーキッス』のスタッフやファンがそれぞれの思惑に奔走し、パッとしないお笑いコンビが芸人人生をコンテストに賭け、イカれた覆面男が拳銃と殺意を振り回している。

全ての中心には、しがないセイウチの中年タクシードライバー、小戸川がいた。

 

アニメの総集編劇場版はどうしてもザッピング的な内容にならざるを得ず、そこでどのような工夫を凝らしていくかで作品毎に特色が出て行く。一切の説明を放棄してただただ素材のサンプリングだけを見せた前衛的な『中二病でも恋がしたい!』があれば、冒頭にだけ爽快な新規アクションシーンをつける『スタードライバー』、語り部の時系列の怪しさや音楽素材の一新により不安を高め次のステップへ繋ぐ『スタァライト』、素材はTVシリーズの物なのに別の話を語り直している『エウレカセブン ハイエボリューション』等々。

本作は無数にいる登場人物の中からピックアップされたキャラ達が、取材形式でカメラに向かって喋るスタイルを選んだ。これは本作と同じくアスミックエースで配給された大林宣彦監督の映画『理由』が念頭に置かれたのではないかと思う。ある殺人事件を巡る無数の証言者(キャストのバラエティ的な多彩さもまた似ている)が取材カメラに向かって証言する様を繋げて事件の全容を明らかにしていくが、どうも最後の1ピースがハマっていないような違和感を残すというもの。

こうした形式が面白いのは結局全てのピースが完全に合致しない限り、一見噛み合うかに思えたパズルはそれぞれの人物がまったく違う景色を見ている可能性を示唆し、観客がそれを一枚の絵として見ようとしているだけに過ぎないという、「編集」というマジックが与える錯覚を自明のものにしていくところ。そもそも『オッドタクシー』は大ネタのところでその点が何より強調されるTVアニメだった。ネタバレなので説明は出来ないのだけど、群像劇でありながら、画面上は実は群像劇ではないのではないかという嘘。

ただ今回の映画版においては「当てはまらないピース」が結局なんなのかはエンドロールの後で匂わせるに留まっているので、ファンアイテムとしても一本の映画としても正直煮え切らなくはあるのだけど、逆に一見さんには情報量が多すぎるくらいがちょうど楽しいかも知れない。

ちなみにパンフレット所収のミニシナリオであったり入場特典のシールを剥がした裏にある文面だったり、ファンにとってはむしろ映画の周辺のアイテムの方が、リアルタイムの放映時に毎週YouTubeのオーディオドラマと照らし合わせてアニメを見ていた興奮の再現に近かったりするんじゃないだろうか。

 

以下、余談。

昨年PUNPEE及びSUMMIT勢からオッドタクシーに、劇場版スタァライトから小泉萌香さんにハマった身としては、今回初めて「もえぴの声を意識して市村しほを見る」という体験をしている事を実感して、つまり、オッドタクシーにハマっていた当時の自分は別にまだ小泉さんのファンではなかったらしい、自分にとって2つの作品は地続きではなく『オッドタクシー』→『劇場版スタァライト』と偶々「小泉萌香出演作に二連続でハマっていた」のだなと再確認してほへ~となっておりました。不可抗力じゃん落ちるに決まってるじゃん。。。

 

『オッドタクシー』の原作はこの曲と言われても驚かない。


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アイドルマスターソング マイベスト100選 

 まだまだサイドMもKR.も他にもあるかも知れないあれやこれやも掘れていないし、スタマスやサイスタのMVも『セブンカウント』のPVも凄いし、声の付いた推し・つかさ社長やマキノさんは応援したいし、シャニマスのシナリオは本当に目が離せないところですが、

 ここらでアイマスを一先ず卒業しようと決めて、思い出に好きな曲を100曲選びました。

 いずれアイマス楽曲がサブスク解禁された際にでも、入門編の目安となれば幸い。

 

1.ダンス・ダンス・ダンス

2.I'm so free!

3.Brand New!

4.ハピリリ

5.ソナー

6.fly and fly

7.リトル・リドル

8.よりみちサンセット

9.秘密のトワレ

10.不埒なCANVAS

 

11.ミラーボール・ラブ

12.ブルウ・スタア

13.Give me some more…

14.Pon de Beach

15.とんでいっちゃいたいの

16.ロイヤル・ストレート・フラッシュ

17.さよならアンドロメダ

18.躍るFLAGSHIP

19.ラスト・アクトレス

20.O-Ku-Ri-Mo-No Sunday!

 

21.Reflective illumination night

22.kosmos,cosmos

23.99nights

24.OH MY GOD

25.産声とクラブ

26.オウムアムアに幸運を

27.サニードロップ

28.Flip Flop

29.レッド・ソール

30.VOY@GER

 

31.Lemonade

32.ストリート・ランウェイ

33.Funny Losic

34.Love Adiction

35.花咲かりWeakend

36.HOTEL MOONSIDE

37.プラスチック・アンブレラ

38.スペードのQ

39.Kawaii ウォーズ

40.Joker

 

41.ダブル・イフェクト

42.イリュージョニスタ!

43.Radio Happy

44.Dear…

45.SOS

46.Proust Efect

47.ソウソウ

48.VERY BERRY LOVE

49.夢をのぞいたら

50.Light Year Song

 

51.クレイジー・クレイジー

52.THE VILLAIN'S NIGHT

53.だってあなたはプリンセス

54.Dye the sky.

55.オレンジタイム

56.フェスタ・イルミネーション

57.Private Sign

58.ラビット・ファー

59.アルストロメリア

60.夏恋 Natsu Koi

 

61.MUSIC♪

62.Secret utopiA

63.相合学舎

64.M@STER PIECE

65.Never End

66.Go Just Go!

67.14平米にスーベニア

68.あおぞらサイダー

69.2nd side

70.君のステージ衣装、本当は…

 

71.パンとフィルム

72.また明日

73.お散歩カメラ

74.スキップ&ステップ

75.ローリング△さんかく

76.Angelic Parade♪

77.SNOW FLAKES MEMORIES

78.Stage bye Stage

79.Yes! Party Time!!

80.アフタースクールパーリータイム

 

81.アンデッド・ダンスロック

82.Athanasia

83.咲くは浮世の君花火

84.ススメ☆オトメ

85.Bloomy

86.Orange Sapphire

87.HOME,SWEET FRIENDSHIP

88.shabon song

89.ショコラ・ティアラ

90.ハルマチ女子

 

91.Palette

92.Dreamy Dream

93.マイ・スイート・ハネムー

94.Arrive You ~それが運命でも~

95.Nocturne

96.たくさん!

97.Last Kiss

98.おねがいShall We~?

99.fluity love

100.G・F

 

ワイのオスカーはこれや ー 『ベルファスト』感想

 

スタッフ

【監督/脚本】ケネス・ブラナー

【撮影】ハリス・ザンバーラウコス

【音楽】ヴァン・モリソン

【編集】ウナ・二・ドンカイル

 

キャスト

【バディ】ジュード・ヒル【マー(お母さん)】カトリーナ・バルフ【パー(お父さん)】ジェイミー・ドーナン【グラニー(おばあちゃん)】ジュディ・デンチ【ポップ(おじいちゃん)】キアラン・ハインズ【ウィル(お兄ちゃん)】ルイス・マカスキー【ビリー・クラントン】コリン・モーガン【モイラ】ララ・マクドネル【キャサリン】オリーヴ・テナント

 

1969年イギリス、北アイルランド首府・ベルファストで暮らすバディの日常。そこにはお兄ちゃんと両親がいて、おじいちゃんとおばあちゃんがいて、初恋の女の子がいて、そしてカトリックプロテスタントの抗争が激化していた。やがて時代は北アイルランド紛争へと突入していく。

ロンドンまで働きに出る羽目になったお父さんは次第にベルファストを出る選択肢を念頭に置き始めるが、バディにとってもお母さんにとってもベルファストこそが全てだった。ベルファストを出るのか。出ないのか。難しい事はわからないが、ともかくバディの毎日はめまぐるしく廻っていく。

 

自分には「監督:ケネス・ブラナー」の響きそのものを敬遠してる向きがあって、そもそも映画畑でも大活躍のシェイクスピア俳優が余技として有名戯曲をフィルムに定着させたくて監督業にも手を出してるだけ、くらいの解釈だったので、『マイティ・ソー』などを撮り始めた時に「監督業も本気なんだ?」と少々吃驚して、そしてその実力は決して褒められた出来ではないと判断していた。

どうにも鈍重なイメージで、最近のポアロ物もいかにもな企画だなぁと思いつつスルー。ところがここにきていきなりオスカー候補で、半信半疑での鑑賞。

 

結果、吃驚するくらい好みの映画だった。

実は入り口として「ベルファスト」の日常を伝える冒頭シーンはほぼ「歌の無いミュージカル」というか、台詞の掛け合いが非常に演劇の導入的な状況説明を行ってはいるのだけど、それでも本作は映画になっていたと思う。

あらすじを読むと「平和だった僕の日常は戦場に変わってしまった」パターンかと思いきや、開巻早々に暴動は起こり、途中から壊されるのではなく最初から四方ぐるりと平和が壊れた状態で改めて「懐かしい僕の子供時代」が綴られる。紛争にしたって北アイルランドの長い血の歴史の流れの一部に過ぎず、急に始まった訳ではないから暴力によって突然何もかも変わったとするドラマチックな嘘を拒んでいるのはきっと、イギリス人なら皮膚感覚で得心いくところなんだろう。

 

「子供時代を終えた悲劇」と「それでも楽しい子供時代」が共存する矛盾。だけどみんなとてもよく知っている矛盾。

映画はそれ以上ほぼあらすじを必要としない。もしかすると「何故この町で血が流れているのか」の理解もあまり必要としないかも知れない。それを巡る重要な会話も多数交わされているのだが、シェイクスピア俳優がまさか、ここでは台詞に頓着せず空間の豊かさやアクションの魅力にフォーカスをあてている。ジッとして情感を溜める場面がとにかく少ない。

恐ろしい投石をゴミ箱の蓋の「盾」ではじき返す場違いな昂揚。誰かが家の外の便所に座ってお話をする空間の、汚いわとなる、けど抗えない魅惑。

そもそもバディは状況をよくわかってないだろう。時折感じる「怖かった瞬間」のことだけは強く記憶に留めている、程度にしかバディの心の揺れは描写されていない。ベルファストを離れることを言い聞かされた時の駄々っ子ぶりが良くて、世界の複雑さなど吹き飛んでしまう。

このバディはケネス・ブラナーの少年期で、あれだけ古典的戯曲の語り部として務めてきたブラナーが自分の子供時代を語るにあたって急に『トリュフォーの思春期』のような自由度を獲得するのが面白く、面白いと同時になかなか信じられない状態で見ていた。きっと今回は撮影や編集が若いスタッフに変わって、彼らが作風を刷新してくれたに違いない。そう思って検索してみると、みんなちゃんと最近のブラナー組なのだ。これは『オリエント急行』も『ナイル殺人事件』も見なくちゃってなる。

 

この映画に必要な葛藤、「ベルファストを出るか/出ないか」は時折お父さんとお母さんが口論してまかなってくれて、後はひたすらベルファストの街中で、生き生きとした人々の生活(時折、暴力)がザッピング的に綴られる。

お父さんが外の世界の何に触れたのかは映されないが、バディが箱庭の中で見る外の世界は、演劇であり、映画(『リバティ・バランスを射った男』などのジョン・フォードや、ディズニー『チキチキ・バンバン』)であり、そして漫画『マイティ・ソー』だ。観客は当然、これからケネス・ブラナーが外の世界で生み出していくものがそこにあると知る。そもそも非常にわかりやすいベルファストという箱庭の構図が、まるでジョン・フォードの映画に出てくる西部の町の配置のようでもあって、ご丁寧にお父さんは最高に格好良いガンマンにもなる。このベルファストそのものがバディの作り上げた箱庭なのか。。。?

懐かしいだけの過去ではなくて、ここには過去と「今」が混在している。過去から見れば、「今」と未来が混在している。冒頭で現在から始まる構造としては回想形式ではあるが、回想している「主」は不在という奇妙さ。しいて言えば「主」は「カラー」であり、モノクロのベルファストで色づいていたものは何か、と考えると奇怪な構図が見えてくる。

ちょうど『フレンチ・ディスパッチ』で映画を雑誌に変えたウェス・アンダーソンがそうしたように、或いはもしかしたらひょっとして万が一の可能性ではあるけど『三丁目の夕日』シリーズで山崎貴がそうしたかったように、時間芸術である映画から時間の流れを奪い去り、誰にも奪われないアルバムがここにある。

ただ「こう感じるよね」という以上の意味のない走り幅跳びのスローモーション、必ず暴力の気配を帯びてやってくる二人組の逆に楽しい漫画的存在感、バディを万引きに誘う近所のヤンチャなお姉さんの悪びれ無さ、初恋の女の子キャサリンが振り返る窓辺の位置の絶妙さ、しんみりするかと思いきや急に歌って踊る大人たちのいい加減さ。

映画的な重力を保てるかギリギリの軽さで、ずっと楽しい映画だった。

記憶の中では暴力だって時に無効化、或いは他の何もかもと並列化されうるのだという救いでもある。

 

ところで近年の映画界の大物がアメコミ映画をバカにする一連の発言(それはそれで彼らに持ってて欲しい矜持ですが)に対するサミュエル・L・ジャクソンのコメントで、「彼らにはMCUのような映画はいきなり現れたものかも知れないが、(オタクである)私にとっては子供の頃からずっと周囲にあったものだ」という、意訳するとそうした発言があって、それ自体がミスター・ガラスを想起させてグッとくるのもさることながら、本作で幼少期のブラナーの記憶に『マイティ・ソー』が映ることで、たしかにアメコミ映画だって別に最近現れたものではなく、昔からずっと存在していたものが顕現しただけなのだなと、その歴史の線が急に長く伸びたのを感じて目から鱗でした。