きみのすべてを引き出す - 朗読劇『チルモラトリアム』感想

 

作・演出 西田大輔

 

ディスグーニー朗読劇『チルモラトリアム』

9月21日(土)夜の部 

岩田陽葵三浦涼介回(クラウン役 西田大輔/田中良子

 

あらすじ

 開幕と同時に、強制的に観客の五感を試してくる二人のクラウンーー。

【コールドリーダー(心理療法士)のヤコブは、ある女性(ジェルソミーナ)から、『26年前』の殺人事件の犯人の中から、とある人格を引き出すよう依頼される】

 ーークラウンは一対のマウスを使い、壮大な社会実験『ビューティフル・ワン』を開始する。

「ここ」は、一体、どこ? 「私」は、一体、だれ?

 

朗読劇。それは舞台と違って事前の情報少なく、言葉ひとつで即、自在に情景を変換できる為、時に圧巻の未知の体験を観客の頭に放り込んでくれる。

また私が追ってる舞台少女たち(声の芝居とユニットパフォーマンスと舞台の三足の草鞋)の身体性と声の演技の幅がもっとも有利に働くという点でもお気に入りの媒体。

「Reading mind fulness」と銘打つだけあって、本作もその真価を活かしてくる作品でした。

 

話変わって、お行儀のよくない報告ですが7月の舞台『トワツガイⅡ』観劇の際に、客席でプライベート(半プライベート、という方が近いと思います)のはるちゃんを目撃しました。

舞台の幕間。

周囲に人のいない段差席でマスクもせず、スマホを弄りながら一人佇む姿。普段見せる天真爛漫な姿と違うのは当たり前として、髪を下ろし、メイクから雰囲気からオフに切り替えた、「はるちゃん」ではなく「陽葵さん」としての存在感があまりに衝撃的でーー本当にそこだけスポットライトが当たっているようーー普段あれだけパワフルに動き回り筋肉も逞しく、実際の背丈の何倍も大きく見える彼女が、実際の小柄な体躯そのままに、儚げにさえ見える窃視の時間。いや最低、ジロジロ見るな。

 

はるちゃんの中に、まだ人前で引き出されていない要素が遥かにある。

その時感じたそれを引き出せる機会がどこかにないものかと願っていたのですが。

思えばオン/オフを切り返せば人は誰しも表に出してない側面が遥かにあるもので、極論、人が人に見せる「自分」は本人が持ってるポテンシャルの「半分」でしかない。

それを偶然の窃視でさも「発見」したかのようにはしゃぐ私の愚考はともかくとして、一人で沢山の役を反射的に演じることによってそこに住まう、まだ隠れた「無数の私」を引き出してくれる朗読劇の特性が、そのまま本作のストーリーの特殊設定と噛み合い、そこで自分が望んでいた「あの半プライベートの大人の陽葵さん」を舞台上に引き上げてくれた事に感動する2時間半でした。

 

開演前、先に昼の部を見ていたフォロワーが口々に教えてくれた感想。

「ネタバレ要素は多くあるが、ネタバレしようもない(説明できない)」

 

多重人格の話と箱庭の話を並置するとどうしてもある映画のタイトルが思い浮かびますが(2003年公開アメリカ映画)、本作何かそういうワンアイデアのイシューに閉じまいとする意志が強靭。

その為にクラウンは客降り、客イジリ(目の前の空席に西田さんが割り込み、その隣りの席のフォロワーを弄っていた)や時事ネタに興じ、事前に観客に小道具が配られ、積極的に参加したくなる場面も設けられ、ストーリー上は複雑な事象を一つの哀しい歴史に収束させていくのに、収束した先の「ビューティフル・ワン」がステージ上だけでなく、客席の私達の心にも伝播して情報が完結しない。

 

(。。。女性人格を演じる男性のステレオタイプな笑いはややノイズでしたが、

 日替わりキャストは必ずしも男女に限定されていないので、

 作り手の価値観が偏狭という訳ではないと、一応信じておきます)

 

単純に多重人格を演じ分けるという話ではなく、『インセプション』の夢の層を多重人格に当てはめたような複雑な「多層多重人格」を、主にシリアスに演じ分けた岩田陽葵さんの魅力がとにかく全開でした。

始まりの不安げな女性。

白衣とメガネを装着した(メガネかけた瞬間のドキドキ)依頼者は大人の色香。

多重人格の主人格と思われる殺人犯ではがに股で目が据わり、

幼女はもうお手のもののか弱さ。

幸い座席の視界がよく、ずっと目の前で見ているのに、「ジジイ」と「幼女」に切り替えた瞬間に体格さえ変わって見えるのが鳥肌モノでした。

まだこんなに引き出しあったんだ! 終盤チラッとコベニが覗くのは御愛嬌。

 

ペルソナの物語という内面性に集中していると、次第に広がる「物語の背景」にハッとさせられる。ややもすると独りよがりに終わりそうな観念の世界に、観客の生きる日常への架け橋を掛ける為にその圧倒的な「現実」は確かに必要で、そして文字情報ではなくプロジェクション・マッピングによる視覚で「その巨大さ」を見上げることになる体験も貴重でした。

 

観客がついてこれる、これないのギリギリを責め続ける終盤怒涛のドンデン返し、頭が痛くなるほどの混乱が、そのまま封じられた記憶に戻っていく登場人物の混乱と同期していく興奮。

2.5次元舞台が持つどこか「知っている」ものを見ている安心感とは程遠い、脳が覚醒していく感覚。

加えて軽々に笑いも取りにいったり(ここもはるちゃん絶妙でしたね)、個人的に理解するのがやっとだった時点でちゃんと話を受け取ってすすり泣く観客がいたり。

観客の五感を使うという冒頭の宣言が見事に達成されていて、良い悪い以前にここまでやりきってくれた物量に感服しました。

このあと、感想会で食事を囲んだ人たちは見事に最後の「味覚」も満たされた事でしょう。

 

お相手の三浦涼介さん。特撮ヒーローに疎い自分にとっては『カルト』のNEO様であり『るろうに剣心』の張でしたが、はるちゃんを見たいのに彫像のような顔立ちに「これ生身の人間?」と疑いながら何度も目を奪われました。

 

そしてカーテンコールで西田さんの口から明かされた衝撃の事実ーー

岩田さんと三浦さん、挨拶したの本番5分前ですから

 

こんな、持てるすべてを引き出しましたみたいな圧巻の芝居していたのに、

見ているだけでも疲弊するような情報量だったのに、

もしかしてこのくらいお手の物なんですか???

 

舞台少女、改めて底が知れず、もっと2.5次元の外側にも興味が湧いてきました。