映画の採点 2022.10

 

しょーもなダジャレで始めた『映画の採点(祭典)』もこれで丸っと二年を経過して第20弾となりました。

一記事20作品、計400本の映画の感想を書き綴ってきた事になります。一言二言とはいえ、積み重ねてきた充実感は、、、映画400本くらいじゃ流石に無いですね。知ってました。TLに鑑賞本数オバケが多すぎて麻痺してる。

 

カテゴリー「映画の採点」から過去のエントリーも覗いて頂ければ欣喜雀躍。

 

では。

 

子供はわかってあげない

【評価】B

【監督】沖田修一(滝を見にいく)

【制作国/年】日本/2021年

【概要】田島列島の人気漫画を実写化した作品。魔法少女アニメをきっかけに男子モジくんと仲良くなれた水泳部の美波。しかしその出会いは美波の運命を流転させ、実の父を探す旅に出ることに。走り出したら止まらないがそこまで深くは考えない、魔法少女アニメに夢中になれる程度には幼さを残すが立派に女子高生。危うい美波の運命は……?

【感想】

 話自体がひたすらスライドして、文字に起こせばいくらでもスリルが発生しそうだし女子高生の一夏の冒険としてはあまりに危なっかしいにも関わらず、いつも笑いが堪えられない美波の日焼けした笑顔と共に健康的に可愛く進んでいく。

 それが画面にも作用していて、序盤とラストで〆る長回しは青春邦画ジャンルそのものへのオマージュでありつつ、「何か起こりそうで何も起こらない」展開に反してひたすら観客の意表を突くシーン繋ぎが続く。

 何気ないようで、開いた障子の手前に視線を誘導させられていると奥の部屋に何かある/切り替わって真逆の視点で庭に立つ人を捉える、といったカット毎の予測不可能性が途切れない。工夫の無いシーンがひとつも無い。

 そうした個々のシーンの巧さ強さが不思議と映画全体に大きなうねりを与えられないのは沖田監督の明白な欠点だと、個人的には思っているのだけれど。

 アミューズ制作なので、冒頭とエンディング主題歌を飾るTVアニメ『魔法左官少女バッファローKOTEKO』の声優が富田美優。美波役上白石萌歌の丸っこいお顔が大分とみゅたんと重なって見えて、つまりKOTEKO=美波になっていくのも勝手に面白かったです。

 

『サタンタンゴ』

【評価】A

【監督】タル・ベーラニーチェの馬

【制作国/年】ハンガリー・ドイツ・スイス/1994年

【概要】7時間19分に及ぶ長尺と、全編僅か150カットしかない1シーン1カットの長回しからなる伝説的作品。

 とは言え話は簡単。雨が降り続け、退廃で満ちたハンガリーの田舎町に美形の男イリアミーシュが帰ってくる。地獄のような行き詰まり生活を抜け出す為、ある者はイリアミーシュを疑い、ある者はイリアミーシュの甘言に乗って理想の世界を目指そうとする。……以上。

 ただそれだけの話を、村人達を観察しているアル中の医者、村人達から疎外されて猫を虐待する少女、そして茫漠とした世界をひたすら歩くか酒屋で飲んで食べて歌う村人たちの光景で綴る。残念ながらオチは無い。私達がこの地獄の日々を抜け出せないように、そして私達がまだ未来を知らないように。

【感想】

 ストーリー面での解説は意外にもねとらぼがわかりやすく紹介してくれているので、先にこうしてあらすじ知ってから見た方が楽しめるような気がします。

 上記したように8行で済む話を7時間使って描く。では何が起こっているかというと。冒頭、家畜たちがあてどなく廃墟のような町を彷徨う様を、しかしまるで統制されたかのようにカメラワークと呼応するその動きを長々と捉え、家畜たちの向こうにこの町の風景と、さらにはこの町の向こうの何も無さとを伝えてくる。

 これが既にして全てで、家畜のようにあてどなく、しかし確実にカメラの外の権威の統制のままに愚かな方向へ流されてしまう私達がそこにいる。それだけの事をシーン毎に繰り返し繰り返し語り続けている。

 1シーン毎その長回しが何を主目的にしているのか判りやすく、例えばガス・ヴァン・サントの『ジェリー』がそうしたように「人がただ歩く様」の長回しが風や足音を伴うだけで意外と気持ち良かったり、例えばカメラが長回しでじっくり「そちら」へ向かったと思いきや今度は一気に引いて「こちら」の空間へ飛び込んでくるといった意表を突く気持ちよさだったり、例えばカメラが屋内の医者の危なっかしい千鳥足を追い続けているかに思えて窓枠がフレーム内フレームの役割を果たし、その向こうに医者が観客然として見ている村人が絶妙な配置で収まっていたり。発見には事欠かない。

 非常にアトラクション的なのだ。

 これは『ニーチェの馬』に深い感銘を受けつつも思ったことでもあって、言い換えれば1シーン毎に成立しているので、切り返しの効果が弱い長回しの諸刃の剣を体現してもいる。

 タルコフスキーであればそこまで1カット毎の起承転結に意味はなく、観客は映画を見つづける中で朧気にその効果を獲得していくしかない、つまりその映画は映画という「塊」であるしかないのだが、タル・ベーラにあっては1シーン毎に寸断されてもちゃんと得る快楽はある。つまり映画として持続される必然性は弱い。それ故に断ち切れ得る全体像をパズルのピースのような散りばめ方をしているので、タル・ベーラ自身自明のことだとは思うのだけれど。

 映画色々見ていく中で、「もはや長回しでは何が起こってもおかしくない」事は学んでいるので、個人的には「1994年にすでに完成していた長回しカタログ」を改めて参照している気分だったが、映画見始めでこれに出会ったら強烈に印象を植え付けられただろうなと思う。

 7時間19分付き合うという作業が苦なのであって、1シーン毎切り分けてみると普通に原初の映像のアトラクション的な魅力、面白さは担保されている。だから見るハードルは意外と低い映画。その中では私達の人生の/社会の停滞が、構造としてわかりやすく具象化してあって、そこに凹みながらも「ちゃんと形になっているのか」と救いを感じてしまう。

 モノローグ、ダイアローグが非常に情緒的かつ訴えてくるものがあるのもキャッチーかも知れないですね。

 

 本作ではないけれど、『ニーチェの馬』でついメモを取ってしまった一節を。

 

   すべて駄目になった 何もかも堕落した
   人間が一切を駄目にし堕落させたのだ

   この激変をもたらしたのは無自覚な行いではない
   無自覚どころか 人間自らが審判を下した
   人間が自分自身を裁いたのだ

   神も無関係ではない あえて言えば加担している
   神が関わったとなれば 生み出されるものはこの上なくおぞましい
   そうして世界は堕落した

 

   俺が騒いでも仕方がない 人間がそうしてしまった
   陰で汚い手を使って闘い すべてを手に入れ 堕落させてしまった
   ありとあらゆるものに触れ 触れたものを全部堕落させた
   最後の勝利を収めるまでそれは続いた

 

   手に入れては堕落させ 堕落させ手に入れる
   こんな言い方もできる 触れ 堕落させ 獲得する
   または―― 触れ 獲得し 堕落させる それがずっと続いてきた
   何世紀もの間 延々と
   時には人知れず 時には乱暴に 時には優しく 時には残忍に
   それは行われてきた だがいつも不意討ちだ ずるいネズミのように

 

   完全な勝利を収めるには闘う相手が必要だった
   つまり優れたものすべて 何か気高いもの・・・分かるだろう?
   相手をすべきではなかった
   闘いを生まぬよう それらは消え去るべきだった
   優秀で立派で気高い人間は 姿を消すべきだったのだ

 

   不意討ちで勝利した者が世界を支配している
   彼らから何かを隠しておく―― ちっぽけな穴すらない
   彼らはすべてを奪い尽くす 

   手が届くはずがないものでも 奪われてしまう
   大空も我々の夢も奪われた 今この瞬間も 自然界も 無限の静寂も
   不死すら彼らの手の中だ すべてが永遠に奪われた

 

   優秀で立派で気高い人間は それを見ていただけだ
   その時 彼らは 理解せざるをえなかった
   この世に神も神々もいないと
   優秀で立派で気高い人間は 最初からそれを 理解すべきだった
   だがその能力はなかった 信じ 受け入れたが
   理解することまでは できなかった 途方に暮れていただけだ

 

   ところが―― 理性からの嵐では 理解できなかったのに
   その時 一瞬にして悟った 神も神々もいないことを
   この世に善も悪もないことを
   そして気づいた もしそうなら 彼ら自身も存在しないと

   つまり言ってみれば その瞬間―― 彼らは燃え尽き 消えたのだ
   くすぶった末に―― 消え失せる火のように

 

   片方は常に敗者で もう片方は常に勝者だ

   敗北か勝利か どちらかしかない
   だが ある日 この近くにいた時 俺は気づいた 

   それは間違いだったと


   俺はこう思っていたのだ

   “この世は決して変わらない これまでも これからも”と

   だが大間違いだった 

 

   変化はすでに起きていたのだ

 

 

『DTC ー湯けむり純情篇ーfrom HiGH&LOW』

【評価】D

【監督】平沼紀久

【制作国/年】日本/2018年

【概要】ハイローシリーズ、劇場版第5作にしてスピンオフ。ハイローシリーズで脚本を担当してきた平沼の監督デビュー作。ケンカの日々も終わり、政府の隠蔽も暴いた山王連合会。ダン、テッツ、チハルは将来の不安から目を背け、刺激の無い日々を過ごしていた。やがて3人は温泉旅館で働くことになり、未亡人の女将と彼女に想いを寄せる男、そして父を亡くした少女の関係性に気を揉むことに……。

【感想】

 ハイローが基本的に「金の力と役者の身体表現の魅力で誤魔化してるだけで、古くさい題材を古くさいセンスでこすってるだけのシリーズ」である事を白日の下に晒してしまっていて、かなりダメなんじゃないかと思う。基本ギャグセンが無いことをピンポイントに再確認させられるのも辛い。せめて『シャ乱Qの演歌の花道』くらいは面白い「映画」してて欲しかった。

 という文句とは別に、すっかり世界の広がったメディアミックス作品が、他愛のない日常系歌謡ショー(もっと歌えばいいのに)だけで映画を一本作ってしまう、という点はとても羨ましかった。

 

『許された子どもたち』

【評価】B

【監督】内藤瑛亮(パズル)

【制作国/年】日本/2020年

【概要】中学生・絆星(キラ)と仲間達は、河原で同級生・樹をイジメて遊んでいた所、不意に抵抗の意志を示される。キラはその瞳を圧し返そうとするかのように樹を殺す。半ば脅しのような形で捜査に来た刑事に樹殺しを白状するが、母・真理はキラを無実にする為証言を覆し、かくしてあっさりキラは無罪となる。そして日本社会は総出でキラ一家へのリンチを開始する。

【感想】

 内藤作品の持ち味たる「痛覚(今回もイジメが殺人に到る冒頭から全開)」同様、映像そのものも狙いを尖らせているので独りよがりや情緒を避け、『ミスミソウ』に続きイジメ系バイオレンス映画の様式美が確立されてる。

 ルッキズム剥き出しの意見ながら、ヒロインが絶妙に可愛くないのも凄く重要で、ここのバランスを意識せずどうでもよくなってしまう作品が多い(加害者のくせに可愛い子がそばにいるとか……という嫉妬)中で、意地悪くやるなぁと。

 この危うい題材でエンタメを作れてしまう技量がもっと報われて欲しいと願いつつ、エンタメになってるからこそ危うい部分を十分に表現しきれたかどうかも誤魔化されたかも知れない。後半はただのよくある不良の青春譚になってしまっているような。

 

少女邂逅

【評価】C

【監督】桂優花(21世紀の女の子)

【制作国/年】日本/2017年

【概要】イジメに遭い孤立している女子高生・ミユリは、リストカットしようとした手首に乗ってきた蚕に「つむぎ」と名付けて可愛がる。しかしそのつむぎさえ、イジメっこに捨てられてしまう。そんなミユリの前に、「紬(つむぎ)」という転校生の少女が現れる。紬との出会いはミユリの人生を明るく変化させていくが、糸を紡ぐ蚕がどこへも行けないように、少女たちを見えない糸が絡め取っていた。

【感想】

 今さら「岩井俊二フォロワー」とか言い出しても仕方なく、恐らくフォロワーのフォロワーくらい敷衍しているメソッドなのだとは思うが、しかし「知ってる感じ」がずっと続く。又は桜庭一樹『砂糖菓子の弾丸は撃ち抜けない』。そこで終わりでいいのかな、と、その諦観に物足りなさを覚えた。

 『許された子どもたち』だって岩井俊二ではあるのだけど(主に転校先での演出)、でもそこに至る方法論は恐らく異なるのでそこに閉塞感は無かった。

 蚕というモチーフを徹底して全体に張り巡らせていること、その背後には当然少女の身体性を徹底して搾取・消費する社会への憤りが込められていること、何より他の作品と違って、「モトーラ世理奈を単なる被写体でなく役者として捉えきっている」など良い点も。

 

『undo』

【評価】C

【監督】岩井俊二スワロウテイル

【制作国/年】日本/1994年

【概要】歯列矯正を終えた萌実だったが、夫の由起夫は仕事に忙しく手が空かない。萌実は最初は手慰みにと編み物を始めるが、次第に「縛る」行為に耽り始め、ペットの亀を、しまいには自分自身を縛り始める。胡散臭い精神科医は心の問題だと語るが、夫婦の部屋はまで蜘蛛の巣のように糸が張り巡らされ……。

【感想】

 イメージの中にある「岩井俊二の画面」のフワフワ感と違って、実際の、篠田昇カメラマンの捉える夫婦の部屋はフィルムの空気、美術の汚し、全て想像以上に強い。香港、台湾勢の影響は否めないけれど、こびりつく90年代の空気。若い山口智子とトヨエツの魅力も相まって、すべてのカットが単純に絵画として鑑賞に堪えうる。

 お話自体は抽象にしても空っぽ過ぎ。

 

『親密さ』

【評価】B

【監督】濱口竜介(ドライブ・マイ・カー)

【制作国/年】日本/2012年

【概要】新作舞台『親密さ』の上演に向けて、脚本・演出を務めるカップルと、役者たちは稽古を続ける。お隣りの朝鮮半島で有事が勃発し世界は変わり始めるが、若者たちのミニマルな世界では、偏狭な自意識が些細なすれ違いや衝突を続ける。やがて本番の日を迎え、舞台『親密さ』の上演が始まる。

【感想】

 4時間16分の長編。前半は舞台の準備、後半は舞台の本番、そしてあるエピローグが付く。率直に言ってスター性とは程遠い役者たちの半虚構的な振る舞い、それも決して人間的に魅力があるとは言いがたい人物を演じる様、おまけに別に面白くない舞台を後半二時間見せられるのは苦痛に近く(スターの必要性がよくわかる)、正直7時間越えの『サタンタンゴ』よりその半分の本作の方が遙かに体感時間は長かったのだが、これは自宅で配信で見た面も大きいと思うので置いておく。

 面白いなと思ったのが、映画的であり、ワークショップ的であり、演劇そのものであり、という三つの側面がそれぞれの磁場で画面を引き寄せ合って固定されないこと。

 例えば印象的に繰り返される、ポエムを読む際の長回し。それはとても美しいが正直他の場面との対比の効果であって、アイデアとしては凡庸。だけど実際にディスカッションしてるかに見える稽古場面の後でその長回しがインサートされると、主演カップルは一気に映画の虚構性をその身に宿すことになる。

 一方で演劇シーンはひたすら演劇を映しているだけに見えて、長回しの目立つ本作にあってむしろカット割りが目立つ。舞台ならありえない正面からの切り返し。あれ? これはもう演劇シーン終わってるのか? でも後ろに照明あるぞ? と思わせてカメラが戻るとバッチリまだ客席はこちらを見てるので「演劇」は続いてましたー、なんてシーンは「映画」でしかありえない。何よりあの男のボソボソした台詞回しはあの舞台の客にちゃんと聞こえているのだろうか。観客と映画との間の交流にしかなってないのではないか。舞台のその中心で。

 こうした、「映画の中にある映画と映画外のジャンルの横断」を思うと、自分が『ドライブ・マイ・カー』を見て「映画としての死に時間がある」と感じたのも当然だった気がする。映画の磁場と、「映画以外」の磁場が駆け引きしている、という濱口竜介のジャンルが確立されているのだ。

 その果てにちゃんと(まさかの新海誠を先取りした)鮮烈な、「親密さ」としか言い様のないラストシーンが訪れて、それは虚構性からもっとも離れた、人生という長い時間の積み重ねの一瞬の邂逅の中にしか訪れ得ない幸福な時間が、しかしフィルムの中にしっかりと紡がれている。

 それでも自分は全編これ「映画」そのものだった『寝ても覚めても』や『偶然と想像』の方が好きなのですが。前半パートのノリを発展させて濱口監督でデプレシャン『そして僕は恋をする』のような映画撮ってくれないかなぁと無いものねだり。

 しかし濃密な視聴体験でした。オールナイトだろうと映画館でかかってたら観に行った方が良い。きっと配信で見るその何倍も良い。

 

『8日間で死んだ怪獣の12日間の物語 ー劇場版ー』

【評価】C

【監督】岩井俊二リリィ・シュシュのすべて)

【制作国/年】日本/2020年

【概要】2020年、新型コロナウィルス感染防止の為の自粛要請を受け、日本の特撮界を代表する樋口真嗣尾上克郎、田口清隆、辻本貴則、中川和博が自宅で撮影した動画をリレー形式で繋ぎ合わせた「カプセル怪獣計画」。この案を受け、番外編として岩井俊二が撮影した連作動画を『劇場版』として2020年の夏に公開したものである。

 俳優のサトウタクミ(斎藤工)は自粛生活を持てあまし、不安からカプセル怪獣を買って飼育することになる。一緒に仕事した樋口真嗣監督(樋口真嗣)に怪獣知識を教わりながら、かつてウルトラセブンと共に怪獣と戦ってくれた、けれど非常に弱かったというカプセル怪獣がちゃんと育つのか不安になるタクミだが、その姿は変形していき……。

【感想】

 粘土を怪獣と言い張って遊ぶ内輪向けの動画作品。リモート画面を映す固定カメラと、閑散としたコロナ禍の日本を映すドローン映像が交互に流れる。つまり岩井俊二のカメラから「ブレ」を奪っているので、篠田昇不在以降の岩井作品では『花とアリス殺人事件』に次いでハッキリと見やすい。

 大したところへ帰着しないので出オチ以上のものは特に無いのだが、それでも2020年の夏、やはり閑散とした街の中、意外と閑散としてなかったミニシアターで、この作品の予告編を見たなぁなどと思い出していた。たしかに、あの頃、あの時にしかなかった空気感はここにある。

 

『チコとリタ』

【評価】A

【監督】フェルナンド・トルエバ(ベルエポック)

【制作国/年】スペイン・イギリス/2010年

【概要】スペインのフェルナンド・トルエパが劇場版アニメに挑戦した意欲作。1940年代、まだアメリカの庇護下にあったキューバハバナ。軽薄なジャズピアニストのチコは歌手のリタに惚れ込むが、女遊びの酷さに呆れられる。チコのマネージャーのマリオはしかしチコとリタのコンビは完璧だとテレビのコンテストに売り込むが、リタにニューヨークのプロデューサーが目を付け……。

【感想】

 キューバ、ニューヨーク、パリ、ハリウッドと「あの頃」の都市を音楽と共に軽やかに駆け抜け、終盤の痛烈な皮肉が今まで見えていた華やかな光景に苦みを与える。ロトスコープにありがちな感触の、手前にシンプルな塊としての人物が蠢き、奥に絵画的な背景美術が広がっている類いの作りなのだけど、この背景美術の奥行きが素晴らしく、音楽シーンのたびに世界に音が伝播していくような解放感がある。そして音楽はどこまでも軽薄で、決して世界を変えられはしないのだ。だからこそのロマンチックな美しさがある。

 音楽アニメとして個人的なベスト更新されたかも知れません。

 

『ハロウィンKILLS』

【評価】A

【監督】デヴィッド・ゴードン・グリーン(スモーキング・ハイ)

【制作国/年】アメリカ/2021年

【概要】『ハロウィン』12作目。シリーズとしては『1』の続編かつパラレル、前作『ハロウィン(2018)』から地続きの物語なので三作目とも言える。そして新三部作の二作目にもあたる。遂にマイケル・マイヤーズを倒した! 筈だったのに、奴は再び虐殺を開始する。今回マイケルを迎え打つのは、この街ハドンフィールドそのものだ!

【感想】

 過去シリーズのモブや遺族が殺人鬼に立ち向かう群像劇、というだけでも面白いのに、「その復讐心こそが殺人鬼の正体なのだ」という観念的なテーマを打ち出していき、ひたすら殺人シーンが続くも観客の思考は哲学に囚われていく。

 『俺はお前だ』概念の視覚化として痺れる。

 どうして有名な殺人鬼はいつまでも倒れないのか。それは恐怖、憎悪、偏見、露悪性いやなんでもいい。とにかくお前のその心の闇が、いつまでも晴れないからだ……。

 

トゥームレイダー ファースト・ミッション』

【評価】C

【監督】ローアル・ユートハウグ

【制作国/年】アメリカ/2018年

【概要】人気ゲーム実写版のリブート作。大企業クロフト社の経営者リチャードの訃報が入り、経営権は娘のララに委ねられようとしていた。だが父の死を認めたくないララは自転車配達業で生計を立て、現実から目を背ける。やがてララは真相を確かめる為、父が研究していた古代日本の女王「卑弥呼」の伝説を追って香港から謎の島へ出立するが……。

【感想】

 自転車便を使った冒頭の市街パルクールが一番フレッシュで、後はどこかで見たような話とアドベンチャーを少しずつスポイルして展開するだけ。卑弥呼もただのファラオの代替物でしかなく寂しい。インディ・ジョーンズよりも『クレヨンしんちゃん ブリブリ王国の秘宝』を見習ってください。

 ウォルトン・ゴギンズの野心しかない顔面力だけが輝いている。

 

緑の光線

【評価】A

【監督】エリック・ロメール海辺のポーリーヌ

【制作国/年】フランス/1986年

【概要】秘書をしているデルフィーヌは慎重に新しい恋を見定めようとした結果、独り身状態が続いている。ともかく恋をしろ出会いを探せと周囲にたきつけられるままヴァカンス行きを決めるが、友人のドタキャンが入りシェルブールにひとり旅立つことになってしまう。果たして良い出会いはあるかな?

【感想】

 ほぼアドリブだという恋愛至上主義に染まったフランスの市井の人々の会話キッモ!!! という拒否反応は起こりつつ、独り身である不安と寂寥感が「ただその場の空気を切り取る」熟成された素っ気なさのカメラによって世界の普遍として生々しく感じられ、海辺の散歩にいたっては「これ俺の記憶じゃないかな」くらい身に迫った。どんな台詞でもドラマでもショットでもない、ただの映像が。ただの映像だからこそ。

 どんなに実験的な内容でもラストシーンのカタルシスは大事にするロメールへの信頼感。これはジャンル映画への愛を裏返しに抱いているヌーヴェルバーグ全体に通底していた良心でもあるんじゃないかなと、有名どころしか押さえてないけどそう思う。

 

『ベイビーわるきゅーれ』

【評価】B

【監督】阪元裕吾(ある用務員)

【制作国/年】日本/2021年

【概要】殺し屋業を営む女子高生ちさととまひろ。しかし組織の掟で高校卒業したら副業を持たなくてはいけない。社会不適合者のまひろはバイトの面接をまともにこなせず、信頼しているちさとの器用さに対して心の距離が開いていく。一方、ヤクザの浜岡一家が暴れ続け、次第に二人の存在に近づき始める。

【感想】

 主演二人の身体的魅力が、実写でゆるふわアニメなやりとりをしようという試みを後押し。アクション時と同じくらいふにゃふにゃする高石あかりが目を惹く。比喩表現を理解出来ない浜岡も怖くて面白い。主役二人の会話がツイッターネタで終始するのは現代的、と言いたいが監督の知見の限界も感じた。敵であるひまりのヒャッハー感もやや恥ずかしい。でも『メランコリック』のチーム同様、ビッグバジェットの新作撮って欲しい人たち。

 

ゼイラム

【評価】C

【監督】雨宮慶太(人造人間ハカイダー

【制作国/年】日本/1991年

【概要】宇宙のバウンティハンター・イリヤと彼女のパートナーである人工頭脳ボブは、狂暴な宇宙生物ゼイラムを仕留める為、地球にリミット付きで無人の街『ゾーン』を作り上げ、ゼイラムをおびき寄せる。だが女好きの電気工・神谷とその後輩・鉄平がゾーンに迷い込んでしまう。ゼイラムが姿を現し、二人はパニックに……。

【感想】

 非常に特撮ヒーロー物っぽい(偏見)神谷と鉄平のドタバタ、愛嬌はあるが一定なので飽きてくる。この二人相手に苦戦してしまうゼイラムさん、「中身はキモいがシルエットは格好良い」デザインは『ミミック』的。スーツアクターの吉田瑞穂氏含め、完全に『学校の怪談』のクマヒゲ・インフェルノはこのゼイラムの応用で作られたのだと判る。比べると、世界観から浮いてるにもかかわらずクマヒゲさんが如何に効果的に使われていたかもよくわかります。

 ここから20年以上後(!)のアニメ『牙狼』シリーズにも声優やキャラデとして一緒に仕事する雨宮監督の同級生・漫画家の桂正和がここでもカメオ出演

 ところで自分が見たかった映画のタイトルはどうも『ガンヘッド』と言うらしく、本作では無いと途中で気がつきました。

 

ダウンサイズ

【評価】B

【監督】アレクサンダー・ペインアバウト・シュミット

【制作国/年】アメリカ/2017年

【概要】人類は増え過ぎた。真綿で首を絞められるように悪化していく社会状況の中、ある学舎の提唱を機に「体を13cmに縮小して生活する」ダウンサイズというライフスタイルがスタートする。生活にかかる費用は通常サイズより遙かに安いのだ。医療従事者のポールと妻オードリーは思い切ってこの新生活にトライするが……。

【感想】

 何せアレクサンダー・ペインなので(と、いうことにエンドロールで気づいたが)、劇場版ドラえもんチックな「ミニサイズの生活」という発想からくるドタバタにはほぼ興味がなく、奇妙なリアリティと共に不思議な生活に文字通り「流れていく」手つきの地味さがジワジワ効いてくる(終盤は本当に水上を緩やかに航行して流れていく)。

 緩やかに人類の終焉を見つめ、優しく物悲しい。

 この自由度が許される映画文化圏やはり羨ましい。『脳内ニューヨーク』が近いかも知れない。

 

『下女』

【評価】A

【監督】キム・ギヨン(火女)

【制作国/年】韓国/1960年

【概要】韓国映画史の金字塔とされる古典的作品。紡績工場で音楽の先生を務めるトンシクは、妻たっての願いで家を購入し、女工員に告白されるや即密告し追放するほど、今の生活を揺るがしていい余裕がない。しかし巡り巡って家で働き始めた美しい下女ミョンジャとの出会いが家庭を破壊し始め……。

【感想】

 『パラサイト 半地下の家族』の元ネタとも言われる作品。話はさして似ていないが、とにかく「階段」のモチーフが強烈。それも単なる階級差の比喩に留まらず、ただ画面に階段のセットを置くだけで右と左、上と下、手前と奥という3つの「圧」を生じさせ、また「松葉杖で階段を移動する長女」「妊娠している妻」「ヤンチャな長男」という要素がスリルを煽り続ける。このヤンチャなクソガキが子役時代のベテラン名優アン・ソンギということでビックリ。

 

京城学校:消えた少女たち』

【評価】B

【監督】イ・へヨン(毒戦 BELIEVER)

【制作国/年】韓国/2015年

【概要】1938年、日本統治下の朝鮮、京城。病弱な少女の集まるサナトリウム風の全寮制学校に入れられたジュランは日本名「静子」を与えられ、日本語で学校生活を送る。周囲の女生徒、分けても「和恵」は「静子」という名前に過剰に反応し、初めは静子と反撥するが、次第に二人は距離を縮め、優秀な成績を収めた者が行ける「東京」を目指し始める。

【感想】

 サナトリウム百合モノで、この設定からして観客にとってこの世界に未来が無いことは明白。その上でこのホラータッチはどう調理しようとしてるのか(ギレルモ・デル・トロのようなそれか)と思っていると、大方予想通りの終盤に、予想外の要素を入れ込んでいる、そのカムフラージュだったと判明。結果ジャンルが断定できない。

 たぶん『箪笥』のような余韻を狙ったのだとは思うが、「予想外の要素」のせいで儚さがもう一つ足りない。

 

『ゴースト・イン・ザ・シェル』

【評価】C

【監督】ルパート・サンダーススノーホワイト

【制作国/年】アメリカ/2017年

【概要】『攻殻機動隊』ハリウッド版リメイク。神山健治版『S.A.C 2nd G.I.G』で描かれた草薙素子とクゼの過去をベースにしながら政治性はオミットし、押井守版『攻殻機動隊Ghost In The Shell』のビジュアルイメージを再現していく。荒巻役北野武は日本語で喋るが、電脳で交信しているので問題はないよね。

【感想】

  『アンダー・ザ・スキン』『Her』『LUCY』と年々人間離れしていったスカーレット・ヨハンソンの一つのゴールとして「作品の数だけ存在する草薙素子」とリンクし、最後に無数に並ぶ墓の中で草薙素子に餞を送り、しかし桃井かおりから「素子」として認識される、という瞬間が本作最大のEMOTION。素子はどこにでもいるが、しかし実在としては一人なのだ。だからここに於いてはスカーレットが素子でいいのだ。

 それ以外はただの良く出来たパッチワークで、今さらそれを見たところで新味はなく、押井版神山版に負けないくらいオリジナルな「ルパート版」を作って欲しかった。

 その点「アダム・ヴィンガード版」と呼びうるネトフリ版デスノートは頑張った。

 

『リトル・マーメイド』

【評価】B

【監督】ジョン・マスカー&ロン・クレメンツ(モアナと伝説の海)

【制作国/年】アメリカ/1989年

【概要】海底世界アトランティカで暮らすトリトン王の末娘アリエルは、地上の世界を夢見ていた。ある日、人間の王子・エリックの乗った船が沈没。アリエルはエリックを助け二人は惹かれ合うが、トリトンの猛反対を受ける。そんなアリエルに近づく海の魔女は、アリエルを3日間だけ人間の姿にしてやろうと持ちかける。その美声と引き替えに人間になれたアリエルは、3日以内にエリックとキス出来なければお菓子にされて魔女に食べられてしまうのだ。そう、魔女の正体は偉大なる航路グランドラインの後半に立ちはだかる四人の大海賊、『四皇』が一人ビッグ・マムその人である。

【感想】

 見た気になってて見たことなかったディズニークラシックの一本。でもほぼ全部のミュージカルシーンも楽曲も知ってるというねじれ。

 ・30年ぶりに追加されたディズニープリンセス

 ・アラン・メンケンとディズニーの最初の仕事

 ・この後どんどん進化して今に到る監督コンビの出発点

 あらゆる歴史の重要なピースで、今までなんで見てなかったんだろうと不思議なくらいだし見る機会をくれたharmoeに感謝。逆に言うと、今の視点で見るとあまりに話がシンプル過ぎて呆気ない。

 海の世界みんな賑やかに歌うのでアリエルの美声を特別引き立てる序盤にはなってないし、アトランティカの家父長制の呪縛を逃れる為に人間となるクライマックスはわかるけれど結果人間側の家父長制に取り込まれるの釈然としないし、想像以上にアリエルがおしとやかで受動的で、エリックもトリトンも魔女アースラも記号的で、なんだろう……映画の全てが曲を届けるための道具以上のものに見えなかった。

 逆にここを起点とした時、ここから先ジョン・マスカーとロン・クレメンツがどのように物語を、キャラクター像を進化させていったのか考えると、その歩みに学ぶところ大きい。

 

『牛首村』

【評価】B

【監督】清水崇(輪廻)

【制作国/年】日本/2022年

【概要】『犬鳴村』『樹海村』に続く「村」シリーズ三作目。女子高生ユーチューバーが動画の中でイタズラした少女が、牛のかぶり物をしたまま消えた。場所は実在する心霊スポット坪野鉱泉。この動画を目にした東京の女子高生・奏音は「そこに映る人物」に衝撃を受け、自分に好意を寄せる男子・蓮と共に坪野鉱泉に向かう。

【感想】

 ほぼ21世紀以降のアルジェントやトビー・フーパーが見せるような「ただ低予算で人が死んだり怪異が起こるだけでなんとなく面白い」あの領域へと踏み入れた「村」シリーズ。怪異や時空のねじれをちゃんとカメラで捉えてやろうという謎の意気込みで、例えば鏡のシーン、例えば大量の雨に打たれる駅のホームのような、「そのシーン単体で映画的な魅力を湛えた」サービスを絶えず与えられる。これをメジャーでやってくれる邦画今どれだけあるんだろ。

 目立ったモチーフである「双子」と「上昇/下降」があまり合致してない気はしたが、言葉で説明すると世界の映画でゴマンと描かれてきたような場面も、なぜか「村」シリーズに於いては「そこまで見せるんだ」と、それが画面上に展開しきったことに奇妙な感動を覚えてしまう愉しさがある。

 前二作は劇場で観た為か自宅で見た今回は正直怖さや緊迫感に欠けて(序盤の「部屋の中に……」の一瞬が一番ビビった)、今のとこ『樹海村』がベストという気持ちは変わりませんが、あたかももはや崩壊した「日本映画界」というものが現存するかのようにふるまう「村」シリーズや「シン」シリーズの図太さは大切なものかも知れない。

 KoKiは演技プランが完全にお父さんキムタクのそれで、勉強熱心だと捉えるべきか、これほどの二世スターにさえちゃんと機能してる演技教室が無いと捉えるべきか。

 

 

なんだかんだ続いてきたなー このシリーズはまだ続けようかなと思います

 

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