銀座・博品館劇場 3月20日(日)~27日(日)
配信:シアターコンプレックス
スタッフ
【演出・脚本】児玉明子 【原作】柚木麻子
【音楽】はるきねる 【メインテーマ・音楽監修】和田俊輔
【振付】井出恵理子 【美術】松生紘子 【照明】阿部将之 【映像】荒川ヒロキ
【制作】アプル
キャスト
【前原範子a.k.a.ノリスケ】岩田陽葵 【滝沢美姫a.k.a.王妃】上西恵
【鈴木玲子a.k.a.スーさん】小嶋紗里
【リンダ・ハルストレムa.k.a.リンダさん】長谷川里桃
【安藤晶子(ギャルグループ)】清水らら
【黒崎沙織(ゴスグループ)】後藤早紀
【伊集院詩子(お嬢様グループ)】倉持聖菜
【クラスメイト】石田彩夏 梅沢鮎実 大久保胡桃 新橋和
【村上恵理菜】佐藤日向
【ストーリー】
それはとある女子校の中等部二年を舞台に、グループ分けされたスクールカーストの中で繰り返される断罪と下克上の物語。
中世フランス史に憧れる、カースト下位:地味グループのノリスケは、密かにマリー・アントワネットに重ねて「王妃」と見做していたクラスのボス滝沢さんが、盗難事件をきっかけに没落する様を目撃。そして滝沢さんは地味グループの中に転がり落ちてくる。
あなたはもう貴族ではないのよ。それでも高慢な振る舞い方しか知らない滝沢さんは地味グループの他の仲間:親友のチヨジ、スーさん、リンダさんとの輪を乱し、目立たぬよう生きてきたノリスケの日常を激動に晒す。
それでもノリスケはこのワガママで頭のおかしな王妃の美しさ、気高さに魅せられてもいた。
地味グループはなんとかして王妃を元通りクラスの玉座に戻し、ヒエラルキーの修復を試みるが、すべては「クラスのナンバー2」である村上恵理菜の陰謀の上にあり……
学園イジメものでありがちなプロットを変革の嵐に見舞われた中世フランス史と重ね、狭い箱の中でめまぐるしく権力構造が変わり続ける激動の時代としてエネルギッシュに描く視点が新鮮な原作。
ネガティブで陰湿になりかねない全ての関係性が一瞬先には交換可能となる。立ちはだかる壁はイジメでも階層でもなく、めまぐるしさ。このアンチに基するテーゼ/主人公たち地味グループの目標が「イジメ撲滅」や「カースト撤廃」ではなく「元のヒエラルキーに戻すこと」であるのも納得。
原作の本質は「めまぐるしさ」にあり、これを舞台では段差状の美術の中を生徒たちが休みなく昇り降りし、台詞や葛藤の大部分もミュージカルで表現することで忙しなく体現する。いや「忙しなさ」をこそ主軸として再現する。
大人のキャラは声だけになったことで、いよいよ文字通りの「箱庭」がそこに顕現し、その混乱の中を駆け巡る中心、小柄な体躯にして見事な体幹と歌唱力で移動し続けるポテンシャルの岩田陽葵という存在そのものが、固定されたかに見えたカーストを縦横無尽に縦断する、カオスの中の「点」として引き立つ。
クライマックス、九九組対決でもあるノリスケと恵理菜のキャットファイトがステージ前面ではなく階段最上階で行われたのが象徴的で、この時、ノリスケ自身がクラスの命運を決する「王妃」となっている。
ここで滝沢さんが二人の仲裁に階段を駆け上がることで「王妃(へ)の帰還」第一幕を果たす。
そして後日談で地味グループとして、ノリスケは今度は階段中段に横並びになり、再びひとり階段トップに立った滝沢さんに呼びかける。
ここではノリスケが元の位置に戻る=第二の「王妃(から)の帰還」が果たされる。
そして王妃はノリスケに呼びかけられ、その頂きから姿を消して終幕。
本作で大事なのは「ヒエラルキーなどくだらない」というお題目ではなく、「その狭い箱の中で乗り越えるべき激動の日々」は確かにそこにあり、戦い方次第では誰もが王妃になれるのだという点。
その激動を繰り返し続け、絶えず問題点をあぶりだし、断罪し、贖罪し、時に舞い戻り、常態である混沌の中で民主主義を続けていくこと。
それこそがかつての歴史の延長上に勝ち取った、正常な社会なのだ。
と同時に、それは激しくも眩しい「女子校」という時代への見果てぬ憧憬なのだろう。
あの時、たしかにそこに王妃はいたのだと。
配信で見るとプロジェクション・マッピングの映像を改めて前面に出してくる加工がしてあり、せっかく作った映像なのだからという気持ちもわかるのだけれど、やはり狭い箱の中をめまぐるしく行き交う役者の身体をもっと見せて欲しいと思いました。それこどが何より本作の主題、舞台で演じる意味なのだから。
舞台創造科的にはおもむろにロッカーを開けて武器(モップ)を手に取り剣戟を始める佐藤さんが面白い。たぶん恵理菜はそこまでしないだろと思うので、完全に過剰演出なのですが。九九組には得物持って欲しいもんなあ?