非・ミュージカル。泡沫のフェス。 ー 『犬王』感想


スタッフ

【監督】湯浅政明

【脚本】野木亜紀子

【キャラクター原案】松本大洋

【音楽】大友良英

総作画監督亀田祥倫、中野悟史

【キャラクター設計】伊東伸高

【メインアニメーター】松本憲生

【監督補佐】山代風我

美術監督中村豪希

【撮影監督】関谷能弘

【音響監督】木村絵理子

【編集】廣瀬清志

【制作】サイエンスSARU

 

キャスト

【犬王】アヴちゃん(女王蜂)【友魚、友一、友良】森山未來足利義満柄本佑【比叡座の頭領】津田健次郎【友魚の父】松重豊【谷一】後藤幸浩【覚一】本多力【定一】山本健翔【藤若】吉成翔太郎【業子】松岡美里

 

北村紗衣先生がTwitterでこのような事を仰っていて、

ボヘミアン・ラプソディ』(これは露骨に引用されてた)や『ベルベット・ゴールドマイン』の名前を挙げていることを知った上で見たので、イギリスの田舎のはみ出し者がのし上がっていく系映画として見てしまって、これが不思議と違和感がない。

 さしたる説明もなく犬王と友魚のジェンダーレスメイクが進行していく流れ、男性の裸体が強調される様も、足利義満が惹かれる美少年である藤若がしかし妖艶さをほぼ強調されないこととの対比で、ロックの反逆、反体制のイメージとして映画史にべっとり乗っかっている。

 室町時代の話なのに! このギャップだけで、ここ数年の湯浅映画の中では一番ムズムズせず入っていけました。「半分知ってて半分知らない」世界という塩梅。

 今ここで刹那のパーティーを繰り広げるが、帆を広げた未来はあまりに暗澹としているという点では『シング・ストリート』のその先まで描いてしまったとも取れる。

 大好きな『シング・ストリート』の唯一にして大きく残念に思っている部分として、バンドメンバーが端役扱いでほぼ空気、という瑕疵があるのですが、『犬王』この瑕疵もより強化してしまっていて、あの狂騒が結局、犬王と友魚の二人の世界で完結してしまって、実はミュージカルシーンの賑わいほどは「ひと時なりとも狂騒で世界を照らした」そんな実感が湧かないんですよね。客観視する視点、「集まってくる仲間」のシーンがあるかないかでまったく違った気がする(それでいったら『シング・ストリート』は「一番盛り上がるライブシーンは妄想」なんですけど、もう『シング・ストリート』の話はいい)。

 バンドメンバーを説明しだすと現代楽器の音が鳴っている理由付けが必要になるので省略するのも合理的なのですが、ただ一瞬賑やかして消えていく、それだけの為に仲間が集まる様を見せるのも音楽映画の面白さだと思うので。

 だから、キチンと名のある歴史上のキャラ:日野業子(CV松岡美里は『映像研』の水崎ツバメ役)が一ファンとしてバンドに興奮している、という客観描写がなにげに一番重要だったかも知れない。

 

 同原作者、山田尚子監督『平家物語』が「語り継ぐこと」をテーマにして、湯浅政明監督『犬王』が「消し去られたこと」をテーマとしているのは、歴史ものを扱う手つきとしてめちゃくちゃバランス取れていると思う。

 

 音楽シーンは、アニメなのにまるで即興演出のようにどんどん続行されて永遠に終わらず、そこにいつのもの湯浅アニメ的なキャラの動きが乗っかって歯止めが効かなくなっていくのだけど、変にミュージカルとしてストーリーを駆動させる効果を与えず、ただただ「単純なパフォーマンス」としてそこに置かれているので、これは当然フェスで知らないアーティストのステージに出くわす、あの感覚の追体験を狙っているのだろう。

 単純に「え、まだ続くの? 終わらないの?」というヒヤヒヤが、退屈さのギリ手前でずっとスリリングだった。『夜は短し~』のミュージカルシーンはすぐに飽きてしまったのに。

 大友良英の音楽に併せたアヴちゃん(本当に良かった。映画の良さの7割くらいアヴちゃん)と森山未來の歌声を延々聴いてられるかどうかで楽しさが大きく上下してしまう映画で、自分は「あれ? 俺、J-ROCK不得手だと思ってたけど改めて聴いてみると意外とこのバンド嫌いじゃないな」的な、フェス感覚で楽しめた。

 

 作画は繰り返しが多く、苦しさも感じる。湯浅アニメの直球でモーションを捉える演出はこういう時誤魔化しがきかないのだなと弱点を見つけた気分。その代わり今回湯浅監督が身につけた新しい武器、カメラが縦横無尽に空間の中を飛びまくる移動撮影は(乱暴だが)先日YouTubeで見たHIPHOPフェス「PopYours」のドローン映像を思い出して、やはりフェス感覚で楽しめました。

 

 ピーキーな映画あることはたしかだけど、シンプルで明白なコンセプトが力強いので、成立「しちゃった」という印象です。

 さて真に湯浅政明を舵取りできるスタッフは現れるのか。