brilliant cut.  like a ー 『宝石の国』感想

 

スタッフ

【監督】京極尚彦

【原作】市川春子

【シリーズ構成】大野敏哉

【脚本】大野敏哉・ふでやすかずゆき・井上美緒

【キャラクターデザイン】西田亜沙子

【CGチーフディレクター】井野元英二

【コンセプトアート】西川洋一

美術監督・美術設計】赤木寿子

美術監督(第六・十話)】金子雄司 【美術監督(第十一話)】安藤愛莉

色彩設計】三笠修

【撮影監督】藤田賢治

【編集】今井大介

【音響監督】長崎行男

【音楽】藤澤慶昌

【音楽プロデューサー】三上政高

【プロデュース】武井克弘

【制作プロデューサー】和氣澄賢

【制作】オレンジ

 

キャスト

【フォスフォフィライト】黒沢ともよ

 

【シンシャ】小松未可子

【ダイヤモンド】茅野愛衣 【ボルツ】佐倉綾音

 

【ルチル】内山夕実

【ジェード】高垣彩陽 【ユークレース】能登麻美子

【イエローダイヤモンド】皆川純子 【ジルコン】茜屋日海夏

【モルガナイト】田村睦心 【ゴーシェナイト】早見沙織

【レッドベリル】内田真礼 【アメシスト84・アメシスト33】伊藤かな恵

【オプシディアン】広橋涼 【ベニトアイト】小澤亜季 【ネプチュナイト】種崎敦美

【アレキサンドライト】釘宮理恵

 

【スフェン】生天目仁美 【ベリドット】桑島法子 【ウォーターメロン・トルマリン原田彩楓 【ヘモミルファイト】上田麗奈 【ヘリオドール】M・A・O

 

【ウェントリコスス】斎藤千和 【アクレアツス】三瓶由布子

 

【アンタークチサイト】伊瀬茉莉也

【パパラチア】朴璐美

 

【金剛先生】中田譲治

 

OP YURiKA『鏡面の波』

ED 大原ゆい子煌めく浜辺

  フォスフォフィライト(黒沢ともよ)『liquescimus』

  YURiKA『鏡面の波〔Orchestra Ver.〕』

 

O.A 2017.10~12.全12話.

 

 人のように動いて喋る宝石たちと、宝石たちの体を狙いたびたび空から飛来する月人たちとの闘い*1を描く市川春子のSF漫画を原作としたTVアニメーション

 

 一巻発売時のアニメーションPVは通常の2Dアニメで、制作はスタジオ雲雀、監督は後に映画『海辺のエトランゼ』を監督する大橋明代。

 この時点で市川春子のクールな筆致でデザイン性に特化した、ややもすると立体的な展開がイメージし辛い原作絵をアニメーションとして再構築する方向性は完成していると思われる。キャラクターの躍動性や、明確なカラーリングの、特にキラキラした光沢が鮮やか。


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 一方、本作をTVアニメにしたのは今までアニメのCGを担当してきたオレンジで、本作が元請けデビュー。監督は3DCGによるMVパートを数々含む『ラブライブ!』シリーズや、『KING OF PRISM』シリーズのプリズムショー演出を手がけてきた京極尚彦

 元々市川春子短編集のタッチに惚れ込みCM版も好きだった事もあって「えー? CGアニメ?」と思ったような気がしないでもないけれど、CM版の方向性を引き継ぐ形、かつプレスコ方式を採用した「生」の芝居を取り入れ、結果、他に類を見ない塩梅の美しいアニメーションが誕生した。

 

 オレンジのアニメーションは2Dアニメでも成立する、逆にCGで表現すると99%キャラが「不気味なポリゴン」を思わせて失敗に終わる*2、謂わば「普通のアニメ」の『モンスターストライク THE MOVIE ソラノカナタ』でも空間やキャラの立体感が不自然ではなく、そこにそういう「塊」が生きていると感じさせる独自の強みを開拓していた。カラーリングの鮮やかさも特筆に値する*3

 『宝石の国』のアニメ化にあたっては正にその強みが最適解で、人ではない宝石たちがそういう「塊」としてそこに躍動し、輝き、砕けて割れることそのものが眼前で起こっていると感じられる。

 加えて『響け!ユーフォニアム』に続く黒沢ともよの生っぽい芝居がプレスコ主導に符号し、「実在性ある動く宝石」という意味不明な存在に親しい人間味を与えてその世界に視聴者の感情をリードして、やがてその人間味に揺らぎの予兆を感じさせ、キャラクターが肉体にも記憶にも思考にも幾重の変質を始めたところで一期は一先ずの区切りを迎える。

 


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 OP冒頭、一枚絵というよりまるでフラスコの中に閉じ込められた実験体(個)を眺めるように「こっち見てる」フォスの存在が本作の全てで、市川春子が得意とするものが「レイアウト上にキャラが列ぶ美しさ」だとすればCGアニメ版は「個々の存在が飛びだしてそれぞれに暴れている」という真逆の方向性を獲得しており、そのことが結果、キャラの実在性と同時に物語がインクルーシブする「存在が損なわれる脆さ、どこまでも個であるうら寂しさ」も、モノ言わず視覚的に目に沁み込んでくる。

 

 あまりに弱い為にするべき仕事を見つけられずにいたが無邪気でワガママな甘えっ子でもあるフォスが、次第に強くなりたいと願い少年マンガの主人公のように成長するーーが、人間のようにわかりやすく筋力がつくわけではなく、宝石たちそれぞれの硬度は変わらない。「筋力がつかない」たぶんそれこそが『宝石の国』のミソで、マッチョイズムによる強さという幻想がハナから削ぎ落とされて個体の変遷そのものを見ており、そこにはあるのはひたすら忘却と変質の繰り返しである。

「新しい強い手だ。無理をする勇気だってあるよ。なのにどうして遠のくの!」

 自身を削り取って、壊れた部分を捨て去って、新しく手に入れた部品で自身を拡張して、あの頃の自分を失い続けながら尚、手を伸ばしたいものには届かない。

 確かに強くなった気がしたのに。

「勇気。また勇気か。          どれだけいるんだ」

 

 「存在」の在り様を残酷なまでに見つめた原作と、その残酷なポイントをこの上なく澄み渡ったアニメ世界で端的に浮き彫りにした傑作アニメ。

 


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 原作に於いてはキャラの台詞は男性寄り、女性寄りと若干バラけており、一人称はほぼ「僕」で、ギウナジウム物少女マンガの系譜がありながら、アニメで宝石たちを演じる声優は皆な女性である。

 その錯雑としたジェンダー感がいやむしろジェンダーを削ぎ落とし、根源的な普遍性を獲得して万人に等しく拓けた透明な世界となっている事も、逃れないようのない剥き出しの孤独をそこに映し出すことに効果を表す。逃げ場はない。

 五年ぶりに見返しても改めてその美しさにひたすらあてられていた。

 

 二期を。。。二期を、早く見せてください。

 


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 こうして見るとタルコフスキーかと思った。

 

 『特別展「宝石 地球がうみだすキセキ」』2022.03.15.

 

 

 

*1:作者の出自から仏教モチーフがしばしば指摘されるが、押井守天使のたまご』の意匠も少し感じる

*2:ポリゴン・ピクチュアズが越えられない壁

*3:ポリゴン・ピクチュアズが越えられない壁