異世界で死者とダンスを ー 『乙女ゲームの破滅フラグしかない悪役令嬢に転生してしまった… THE STAGE』感想

 

スタッフ

【原作】山口悟

【キャラクター原案】ひだかなみ

【演出】山本タク

【脚本】錦織伊代

【振付】森川次朗

【殺陣】キノシタケイタ

【美術】角田知穂

【音響】遠藤宏志

【照明】鈴木雅貴

【映像】川崎貴司

 

キャスト

【カタリナ・クラエス太田夢莉 【ジオルド・スティアート】TAKA(CUBERS) 【キース・クラエス】三浦海里 【アラン・スティアート】安里勇哉(TOKYO流星群) 【ニコラ・アスカルト】市川慶一郎 【メアリ・ハント】小泉萌香 【ソフィア・アスカルト】高橋果鈴 【マリア・キャンベル】本西紗希帆 【シリウス・ディーク】椎名鯛造 【アン・シェリー】中西彩加 【佐々木敦子春咲暖

 

池袋サンシャイン劇場

6/30(木)マチネ(初回)ジオルドルート

7/5(火)ソワレ(大千秋楽)シリウスルート観劇

 

事前情報がとにかく少なく、不安と期待半ばで観劇した『はめステ』。朗読劇ではない小泉さんの舞台を生で観劇する初めての体験。

初演、開巻早々、カタリナが物を投げる「シュッ」の一言だけで作品の軽さがわかると同時にいきなり笑いが巻き起こって、その空気の良さが最後まで途切れない二時間半でした。

 

朗読劇での「フルサイズの人物が並び立つシルエットが格好良い」と感じたことは先日述べましたが、本作は「華麗な衣装を纏った人物が慌ただしく舞台を行き来する様は愉しい」という、ストレートプレイの魅力の一つを感じ取れた気がします。

あくまで映画脳が感じる視覚的快楽という気もしますが、パッと見シンプルなステージ、シンプルかつ最低限の美術なのに、舞台機構がめまぐるしく動き回り、色とりどりの花々のように鮮やかな異世界の人物になりきった役者の群れが出入りを繰り返す中で、いつしかステージに奥行きが生まれて視界が運ばれていくそのライド感は、舞台ならではとしか言いようがなかったと思います。

例えばアニメ見てもカットすると思っていたアドベンチャー・パート。ダンジョンの仕掛け、アイテム、みんなの使う魔法の数々を、プロジェクション・マッピングと舞台機構の推移、そしてバカらしいようなポーズを全力で行うキャストの不思議な説得力で成立させていく流れ。

もちろん、ここは十分バカらしく見えて良いシークエンスではあるのですが、「プロジェクション・マッピング時代に生み出せた効能とその限界」+「この異世界のリアリティラインに気持ちをチューニングさせる観客の意識」の共犯関係によって成り立つような場面で、例えば配信で見ていたらバカらしさのみが勝ってしまったんじゃないかと思うと、2.5次元舞台が今の舞台の主流とさえ化していることにも不思議な納得感がありました。

 

その肉体的リアリティと設定的な曖昧さが両立する不思議な舞台空間だからこそ、アニメ以上に強調される「カタリナとあっちゃん」の物語が主軸にあることが見えてくる後半が効いてきます。

 

『はめフラ』は異世界転生モノ定番のあっさり交通事故死でカタリナが転生した事から始まる物語ですが、同時に「現世に遺された友人あっちゃん」の心情も描かれることが特徴的なお話。

実は「悪役令嬢に転生してしまった」ことより、「あっちゃんとの思い出のゲームの中に転生した」ことが重要で、いつかカタリナにまた会いたいと願った結果、あっちゃんがソフィアになって追って転生してきているという倒錯が起こっているのですが、さらにあっちゃんがソフィアに呼びかけてカタリナの危機を救おうとする場面に至っては、アニメで見ても「どういうこと???」という混乱は若干否めませんでした。

 

そして舞台はここに全てのピークを持って行く。

リアリティラインが曖昧となった、しかし肉体的リアルだけは確固としてそこにある舞台表現の中、階段の上でカタリナとあっちゃんが幻の再会を果たす時、そしてあっちゃんがステージの中央でスポットを浴びて叫ぶ時、ありえなかった死者との邂逅が確かに現出するのです。

「何故」ではなく「事実」としてそこに展開する肉体の暴力。

 

初回と大千秋楽、様々な変化を感じましたが、最大のポイントはあっちゃん役春咲暖さんが演出家の意図を汲み、ここで永遠(寿命を果たしてもソフィアになるとわかっている故に、むしろ残酷で長いあっちゃんの孤独)の中にある一瞬を体現しようとする熱演。

初回観劇時はあくまで原作をなぞっている場面としか想わなかったところ、大千秋楽では比べものにならないくらい胸に迫ってきました。どうしても女性比率の多い客席の中、斜め前方のおじさんがここでずっと洟をすすって号泣されていたのですが、それさえまったく不快ではなく、幻の一瞬が肉付いて劇場空間に共有されている、その実感に浸っておりました。

 

2.5次元というジャンルの成熟の成せる業か、誰もが本当にアニメから飛びだしてきたようにキャラそのまま。中でも主演・太田夢莉さんは見た目や芝居のみならず声までもカタリナをコピーしてみせ、脳内カタリナ五声をも一人再現するシーンまである器用ぶりであるにも関わらず、芝居は力まず、周囲を引き立てるようにラフに演じています。

そのフラットな存在感が、一方で大千秋楽での春咲さんの、涙でお顔が真っ赤になっている様がありありと伺える大熱演との対比となって、「生者(あっちゃん)が望む、異世界で幸せでいてほしい死者(カタリナ)の世界」という構図がありありと見えてくるのです。

舞台の演出家は役者自身とはよく言いますが、身を以て実感しました。例えば初演時は常に笑いをリードしたキース役三浦さんが、そして大千秋楽では春咲さんの熱演が、舞台の方向性を明確にする演出家の役割さえ確かに担っていた。

 

いなくなってしまったあの人が、幸せに過ごしていて欲しい世界。

そんな泡沫の願いとして、華やかなお姫様、王子様達の二時間半の舞踏会は、夢幻のような感触と共に幕を降ろしました。

わずかなゲネの映像で振り返ることさえ出来ない宣伝周りの情報量の無さには思うところもあるのですが、だからこそ、本作の見ている間はひたすら賑々しく、終わってしまえば儚い「彼岸の世界」の脆い印象はより引き立ちました。

 

最後に。

王子様お姫様が性差を超えてひとしくカタリナの磁場に惹き寄せられて共にドタバタするその風通しの良さが面白い『はめフラ』の世界で、性差の違いに囚われた笑いが発生したことは、少々、と言いつつなかなか大きなノイズに感じました。

「観客が何も考えず楽しめるエンタメ」ほど、作り手は最大限細やかに考え続けなければいけないのだろうなと思います。

観客の想像力が舞台演出の一部となるなら、共犯者たりうる観客の中にも色んな人がいるという想像力を、舞台の方からもまた向けていただけたなら幸いです。

 

 

 

にしてもです。

大千秋楽、終盤はしゃぎまくり踊りまくる小泉萌香さんの姿、ハッキリ表情の見える席からまざまざと目に焼き付けましたが、可愛いすぎて現実感ないですね。

最後の最後にカタリナ様に猛アピールして顔を合わせてダンスする様、もしかすると「抜けがけしたメアリ」を表現しているということだったのか、にしても楽しそう。

格好が格好なだけに、やはりそれさえも異世界で目にしたどこかのはしゃぎ倒した令嬢の記憶として、朧気な印象だけがこれからも胸に残っていくのでしょう。

――配信や円盤が無かった場合は!