境界と箱庭、沙弥香の黄色いカーディガン ー 『舞台 やがて君になる』感想

 

スタッフ

【脚本・演出】鈴木智晴(劇団東京都鈴木区)

【原作】仲谷鳰

【美術】中村友美

【音楽】MARINA NEO

【映像】川崎真司(T.K.C)

【照明】田中徹(テイク・ワン)

【衣装】木村春子花桃ワードロープ)

【ヘアメイク】茂木美緒/杉浦なおこ/嘉山花子

【プロデューサー】辻圭介(トライフルエンターテイメント)

【主催・制作】トライフルエンターテイメント

 

キャスト

【小糸侑】河内美里

【七海燈子】小泉萌香

【佐伯沙弥香】礒部花凜

【槙聖司】石渡真修

【堂島卓】小田川瑠依

【叶こよみ】春咲暖

【日向朱里】五十嵐晴香

【市ヶ谷知雪】佐藤和斗

箱崎理子】田上真里奈

【児玉都】立道梨緒奈

 

 初めて見たのは劇スにハマった時、dアニで。それから一年後、Encore公演を知った頃に再見。そしてEncore公演直前に三度目の視聴。

 初見時はまだ2.5次元への戸惑いがあり、再見時は2.5次元に慣れていたので素直に原作との比較をしつつ、舞台の世界に没入する回路が出来上がっていた。そして三度目、それでも観劇のリアルは追体験出来ないものだとわかっているので、改めて引いた目で見ることが出来ました。

 

 それでも冒頭から広がるプラネタリウムの宇宙は舞台で味わうことが出来たらどれだけ臨場感溢れるものかと思います。

 それは燈子が侑にくれた、心の中の宇宙。

 同じように燈子の心の中にも宇宙があって、しかしその内側に踏み入らせてはくれない。いかにその鍵をこじ開けるか、踏み入るかという試みが『やがて君になる』最大の障壁。

 踏み入るというからには心には境界があって、領域があって。

 

  例えば沙弥香は自分がレズビアンであることを孤独に抱え込んでいるが、理子と都のカップルに触れて自分を認める。

 一方、理子はバイセクシャルであり、都はそれが少し心配だが、理子は「今、恋しているのは都」なのだからと笑う。

  例えば侑は自身が恋を知らないことに迷うが、いつしか同性の燈子に心を開き、恋心を開いていく。

 一方、侑と同じに思えた槙くんはそちらへはいけない。恐らくアセクシャルなのだろう。みんなを「こちら」から眺めている。

 世界は人の数だけ心があり、同時にそこには定義されうる「領域」が、境界がある。その境界内に留まるものも、その境界を出て自分自身の領域を定義していくものもいるが、「境界なんてない」訳では決してない。

 この境界という概念が、俯瞰した時にどこまでも視覚的に見えてくるのが舞台だ。映像ではフレーム内フレーム、漫画ではコマ割りや構図を通して伝えてくるものが、特に本作の舞台美術のように細かく足下を仕切られた世界ではより明瞭に「世界の区切り」が、それこそ観客の数だけ様々に視覚的作用を与えて見えてくる。

 

 主題歌も同じくし本作が参考にしているアニメ版『やがて君になる*1においては本番を迎えることなく終わった生徒会演劇。舞台準備中も連載と並行した為に終わり方はギリギリまで作者とすり合わせたという話でしたが*2、舞台で演じるにはクライマックスは舞台しかない。ここに十分ひとつの結末が描き得ていたと思います。

 

 こよみが書いた戯曲『君しか知らない』。

 侑のアドバイスから「劇の中で起こったことで主人公は変化しなくてはいけない」とこよみは最後の整稿を終える。

 そこでは記憶喪失の少女を演じる燈子の前に友人、家族、恋人が現れ、少女はかつての自分がそれぞれに合わせていたこと、区切られた境界のどこかを選んで生きていくしかない自己のアイデンティティーに苦しむ。

 そして燈子はこの少女に自身の悩みを重ねていた。

 そこへ入ってこれる看護師役を務めるのが、侑だ。

 世界には厳として境界がある。燈子が「死んだ姉のように」とロールを求められたように。

 ベッドに横たわる燈子の向こう。暗い照明の下、別々の足場から、友人、家族、恋人が少女を見ている。その区切られた境界の中からどの領域のあなたを選ぶ? 

 そのどこでもない内側、少女の領域に潜り込むことが出来た看護師の、ピンク色のナース服が、白いパジャマを着た少女のベッドに寄り添った刹那、照明を浴びた二人が白で同化する。

 瞬間、少女と看護師が燈子と侑に重なる。

 本当の自分を規定できない、という、同一の悩みを持つ二人が出会った事で生まれた共感、同じ領域の共有。

 まるで劇中劇の舞台は心理療法の箱庭と化し(そこまでのこの舞台そのものをメタ的に俯瞰させる)、ここに二人が出会えた奇跡を祝福する。だから少女自身を発見してあげるのは看護師の役目。

 ところでこの劇中劇に於いては最後に少女はもう一度恋人と恋を始めることを選び、沙弥香演じる恋人が彼女と寄り添う。

 この時、恋人は白い服に黄色いカーディガンを羽織っており、少女と同化しそうで境界を保持している。だからこそ他者=恋人として向き合えるのだが、同時に燈子の領域との同化は果たせなかった沙弥香の悲恋をそこに投影してしまう。

 

 そして燈子と恋人としてやり直すため、再び侑は境界の外側へ出る。

 「劇の中で起こったことで主人公は変化しなくてはならない」。

 燈子がそうして心を開いたように、侑も次のステップへと踏み出す。

 舞台を終えた侑が、ステージ手前、最下段から真後ろの上段に振り返り、一直線にステップを越え、燈子の唇を奪う場面。改めて他者として、それまでの「同化の確認」ではなく、境界を跨ぐ覚悟をして(=恋人になる為に)燈子とキスをする。

 それは、実際には舞台の箱庭のようにわかりやすく入れはしない人の領域に、舞台ならではの役者の身体性を伴って人が飛び込んだ瞬間で、公演機会中計90回もキスをしたと笑う二人だが、カメラからは死角となるこの瞬間のキスこそが一番美しく感動的な交感の瞬間だと、何度見てもそう感じる。

 

 最初は完璧なロールを演じている燈子先輩、実際あの至近距離で小泉さんとお話出来た幸せを思い出しつつ、「そうそう、圧が強いんだよなー」と、そのとりつくしまのなさもありありと実感できました。そこから次第に心がほぐれ、終盤で侑に見せる少し甘えた表情が幼くてかわいい。

 一方、ずっと「人間」であり続ける河内さんの圧倒的な中心力がともすると暗くなりそうな舞台を明るく照らし、そして礒部さんの執念のこもったまなざしと声音が舞台に湿っけを与えて、彼女たちの視線が行き交った時、この沙弥香の羨望がより侑と燈子を引き立てる。

 見れば見るほど好きになる、圧倒的に原作ではなく演者本人に寄せた堂島くんのお芝居がクセになり、そして生徒会劇を終えた瞬間に出てきた市ヶ谷先輩が誰に見られるでもなく涙を拭う瞬間!!! これは今のところ『やがて君になる』全媒体でも、もっとも亡き七海澪に捧げられた追悼として胸に刺さる。

 この芝居をちゃんと引きの画として入れてくれたソフト版にも感謝しかなく、たった一つのやや大仰な芝居がこんなに胸に残るのかと、舞台芝居の魅力を教わった次第(もしかすると演じる佐藤さんご本人が考案したのではないでしょうか)。

 

 話と媒体が密接に結びついた、幸福な舞台でした。

 明日から二年の時を経ていよいよ上演される『Encore』に思いを馳せて。

 

*1:2期切望2期切望2期切望

*2:結果、沙弥香のシーンが大幅にオミットされたそう