なる前に ー 『はなればなれに』感想

スタッフ

【監督・脚本】ジャン=リュック・ゴダール

【助監督】ジャン=ポール・サヴィニャック、エレーヌ・カルーギン

【原作】ドロレス・ヒッチェンズ

【音楽】ミシェル・ルグラン 【撮影】ラウール・クタール

【編集】アニエス・ギュモ 【スクリプター】シュザンヌ・シフマン

【録音】ルネ・ルヴェール、アントワーヌ・ボンファンティ

【製作主任】フィリップ・デュサール

【製作】アヌーシュカ・フィルム、オルセー・フィルム

 

キャスト

【オディール】アンナ・カリーナ 【フランツ】サミ・フレ 【アルチュール】クロード・ブラッスール 【ヴィクトリア夫人】ルイザ・コルペン 【アルチュールのおじ】エルネスト・メンツェル 【アルチュールのおば】シャンタル・ダルジェ 【英語教師】ダニエル・ジラール 【軍人】ジョルジュ・スタケ 【飲酒する生徒】ジャン=クロード・モレルー

 

『あらすじ』

 ある冬のパリ。2人の青年、フランツとアルチュールは推理小説マニアの友人同士で、性格は正反対だが、英語学校に現れた美しい生徒オディールに2人とも一目惚れしてしまう。オディールは北欧の國からおばの住むパリにやって来たのだが、どうもおばの家には大金が隠されていることを知る。(ここまでWikipedia通り)

 3人はその金を強奪する事に決め、決行に向けて奔放で怠惰で突発的な日々を過ごしていく――。

 

ヒューマントラストシネマ渋谷『追悼 ジャン=リュック・ゴダール映画祭』にて鑑賞

 

 シネフィル達が当たり前に見ているものと名前に挙げるが見たことなくて悔しい映画TOP3の一角をとうとう崩しました*1。映画館で観てやりましたとも。

 当然ゴダール作品の映画館体験も初めて。

 

 一応原作はあるが導入からゴダールのナレーションがメタ視線で案内し、真面目に見る気を削がれる。そこからはアンナ・カリーナの美しさ……に見惚れているゴダールの視線を介在しながら、銃撃戦パロディ、危なっかしい長回しのスタント、そして映画史に数多の影響を与えた急に長々と踊るマディソン・ダンスと、映画で遊ぶ。映画が遊ぶ。

 メインスタッフのほとんどがこの時点でかその先の映画監督・脚本家達であり、キャストはパリの花たち、そしてゴダールが惚れ込んだ女。

 実際ゴダールもヌーヴェルバーグ的なことは日本映画の方が先にしていると認めていた発言があったと思うが、その上でパリのヌーヴェルバーグがいつまでも世界のファンを惹きつける理由は、パリの街を巨大な遊び場として時代の寵児たちが集まり、大人たちから制作費をかすめ取りつつあちらでこちらで映画という遊戯に興じていたそのムーヴメント自体への憧れなのではないか。

 その街角のどこかに混じりたい。エコール・ド・パリに憧れタイムスリップしたウディ・アレンのかの映画のように

 改めてスクリーンで見ると街角でこんな撮影が日々繰り広げられていたらパリの生活も活気づくだろうなと、フィルム越しに伝わってくる時代の空気感に浸ってしまった。

 最初のクレジット何?ってなるけどルグランの音楽も軽快で良い。

 遊んでばかりかと言えば一応本筋があり、「夫人の洗面所に隠された大金」「その屋敷に向かう為に渡るべき川」「何やら不穏なアルチュールのおじ」というお膳立てが意外とキッチリなされているので、犯罪映画としての決着に向けて映画自体がとっ散らかることはない。

 「なんだかんだ終わった時には一本の映画としてのカタルシスがあり、それもやけにキレ味は鮮やかである」というのが、いくら本編中はよくわからなくて眠たくても妙に癖になるゴダールの持つ映画的記憶の成せる業。

 だから確かに映画は遊んでいるのだが、それがマディソンダンスで被さる身も蓋もないゴダール自身の「彼らは今こう思っている」という心情解説(『鬼滅の刃』も裸足で逃げ出すほどのザ・説明!)とフランツが彷徨する夜のパリの闇の侘しさで、ヌーヴェルバーグの抱えるあの時代のパリの青春そのものがここにオディール、フランツ、アルチュールの三角関係としてギュッと凝縮される。憧憬と嫉妬と真似事と、陳腐な犯罪。映画未満の代物にして、ありのままの映画でしかないフィルム。

 

 その儚さと躍動のピークとしてのルーヴル美術館ダッシュ*2

 

 やがてヌーヴェルバーグは政治的信条の齟齬からはなればなれになる。その儚い青春の終わりの予兆として、邦題が良すぎませんか

 

 余韻もクソもないフィナーレのメタナレーションは照れ隠しなのかとさえ思った。そこで予告される続編が(ゴダールの中では)『気狂いピエロ』で、本作は『勝手にしやがれ』の続編と(ゴダールの中でだけの)繋がりがあるらしい。

 青春期三部作として見るとなるほど感あり。

 

 ところで三十年間無限に沸き続けるポスト・タランティーノが即ポスト・タランティーノとわかってしまうのに比べれば、本作のマディソン・ダンスが『パルプ・フィクション』のトラボルタとユマ・サーマンのダンスに繋がっているなんて言われないとわからなくて、そこら辺タランティーノは一枚上手なのだなと妙な感心をしました。

 

*1:残りは『ハズバンズ』と『ラルジャン』。どれもタイトルの響きのせいか

*2:先にベルトルッチ『ドリーマーズ』でパロディは見てましたが、あっちは映画のトーン自体がねちゃっとしてるので似ても似つかない。