摩天楼の足場 ー 『雄獅少年/ライオン少年』感想

 スタッフ
【監督】ソン・ハイポン 【製作/製作総指揮】チャン・ミャオ 【アニメ美術指導】ズー・ムーユィ 【脚本】リー・ゼェーリン

 キャスト(吹替え版)

【チュン】花江夏樹 【少女チュン】桜田ひより 【マオ】山口勝平 【ワン公】落合福嗣 【チアン】山寺宏一 【アジェン】甲斐田裕子

 

【あらすじ】

 僕らには、たった一度のチャンスもないのか?

 片田舎で出稼ぎをしている父母の帰りを待つ貧しい少年チュンは、ある日、華麗な獅子舞バトルで屈強な男を倒した同じ名前の少女チュンから、獅子舞を譲り受けた。チュンはちょっぴり情けない仲間のマオやワン公と獅子舞バトル全国大会を目指すことを決意する。飲んだくれの元獅子舞選手チアンを口説き落として師匠に迎え--

                            (公式サイトより)

 

 まず記憶違いだったら申し訳ないのですが、たしか『雄獅少年』の話題を最初に見た時って、監督が中国では近年批判の対象になっている「外国人が描く中国人の身体的特徴」を敢えて主人公に与えて、謂わば「(反ではなく)逆ルッキズム」的に個性を個性として受け入れようみたいなインタビューだった気がします。でも結局向こうでもキャラデが叩かれてしまったらしく、そのとても現代のCGアニメ映画で商業的に打ちだすに的確とは思えないキャラ達の出てくる予告編、正直惹かれるものではありませんでした。

 なのでTLの評判のお陰で、自宅断水中に家を空けておきたくて暇つぶしに選んで鑑賞できた本作。

 始まって早々に、小さな目、ブサイク(「猿」的デザイン)、デブの貧乏少年トリオと匂ってくるような塩漬け魚屋店主の酔っ払い師匠という、華からどこまでも遠ざかるデザインの意味がめっちゃ明確に伝わってきて、「だったら言ってよ!」と、欠点を極度に戯画化してイジリ倒した末にカタルシスを喚起する、そうチャウ・シンチーの技法を引用しているって事だったのかと気づいて一気に心を許してしまう。

 『少林サッカー』劇中の台詞『夢を持たない人生なんて、塩漬け魚と同じじゃないか』をそのまま舞台設定にしてしまう事、劇中流れるスポ根定番的な挿入歌がやはりチャウ・シンチー『人魚姫』劇中で使用されたものと同じらしい事から、本作チャウ・シンチーの極端さ、引いては香港映画のベタさにオマージュを捧げ、ついでにこれとなく観客に目配せする事で、作劇の省略を可能にしてしまうというかなり大胆なサンプリングを行ってるんですね。

 ストレートに本作のみを見ると展開の飛躍や説明不足を感じるかも知れないけれど、その大胆な飛躍に身を任せる快感というものがあり、「とても繊細に作り込んだ画面で、一歩間違えれば粗雑な展開のお膳立てをする」という器用な、実験的ですらある話運び。勿論チャウ・シンチー本人ほどピーキーなギャグや飛躍は成されないのだけど。

 

 ではここでその展開のお膳立てをしているものが何かと言えば風光を映し出す背景美術の圧倒的な美しさで、そこでは光と埃と、そして田舎には田舎の、都会には都会の、地面から沸き立つような「匂い」を映し出す。

 

 熱血スポ根モノがクライマックスに向けてのピンチに陥る--かに思えた「ある不幸」を経て、展開は突如飛躍して、舞台は都会に移行する。

 段取りとしての不幸かと思わせて、不幸そのものの不幸として扱われる事でかなりギョッとしてしまう。そこにこそ現実があり、本作の飛躍やギャグの数々もその現実との距離で測られる。

 田舎が汗と塩漬け魚の匂いに満ちていたと思えば、都会は工事現場と、曇天の下の雨の気配のするアスファルトの匂いで満ちている。

 今まで戯画化され劇的に思えたストーリーが、貧困層の少年の地続きの人生として急に生々しい実感をこめてせり上がってくる。そして初恋の女性が今では--という苦さ。

 急速な経済成長に取りこぼされる人たちというのはいつだって中国映画の主要なテーマだったけれど、ここまで直球のエンタメ作品の主題として扱いきるーー片隅に追いやられ消えていく『香港映画』の記憶を存分に借りてーーしかもそれがハッキリと「画」として立ち上がる終盤の映像美に、本来なら哀しいパートなのに感動するという二律背反の気持ちで打ち震えていた。

 新海誠作品の映像美にいつも何か誤魔化されているような気がするのは--特に『天気の子』でこの齟齬を感じたのですがーー今ひとつ展開と背景美術の美麗さが噛み合ってないと感じるからだったんだなとふと思い返していた。風景もやはり「芝居」をするのだろうと。本作終盤の背景美術は、清冽にして苦々しい青春の匂いを引き立たせる圧倒的な現実という遠景を、「表情」として確かに持っているのだ。

 それは本当にスクリーンで観れて良かった。

 

 クライマックスは普通に獅子舞たちの動きが面白く、次第に蠢く獅子舞達が生きてるように感じところは劇場版ガルパンも想起したりした。また「獅子舞は知ってるけど獅子舞の競技大会って何???」という日本人の自分にとって、ちょうど気持ち良いウソの塩梅だったのも良かったと思う。

 本作、続編が決まってしまったらしく、「しまった」というのは本作のエンディング後の、諦観と希望とがどちらも等しく詰まった宙づりの記憶こそが愛おしいものであり、その後の話を知りたくないという気持ちも大きくて、その点でも今すぐ劇場に駆けつけて、空を舞ったままの少年の記憶を脳裏に焼き付けて欲しい。

 

 吹替え版については「鉄板でいくぞ」という意気込みが嬉しい一方、あまりにタイプキャストが過ぎるのではないかとも思った。キャラというより、声優本人や他のキャラが浮かびすぎるような。