いや、それは廃墟の興を削いでいるのではないだろうか?
何一つ整備されず、ただ古びていったような場所で日常を過ごすのも一興であるはずなのにーー。
【 プレオープン中に起きた銃乱射事件のため閉園に追い込まれたテーマパーク・イリュジオンランド。廃墟コレクターの資産家・十嶋庵はかつての夢の国を二十年ぶりに解き放つ。狭き門をくぐり抜け、廃遊園地へと招かれた廃墟マニアのコンビニ店員・眞上永太郎を待っていたのは、『このイリュジオンランドは、宝を見つけたものに譲る』という十嶋からの伝言だった。
それぞれに因縁を抱えた招待客たちは宝探しをはじめるが、翌朝串刺しになった血まみれの着ぐるみが見つかる。止まらない殺人、見つからない犯人、最後に真実を見つけ出すのは……。 】(単行本帯より)
とにもかくにも舞台立てがいい。
廃墟についての定義や憧憬が全編に散りばめられていて、細部をそことなくつまみつまみしながら能動的に楽しんでいく小説かも知れない。
単純にお話を追おうとすると「コンビニ探偵」とでも呼びたい主人公がともかく凡人過ぎて牽引力に欠け、相方になりそうなキャラも出てくるのだが犯人候補でもあるのでワトソンくんになってくれないもどかしさがある。
他の人物も作中での役職がほぼそのまま苗字になってるような記号っぷりで、あくまで様式美としての殺人事件。
『楽園とは探偵の不在なり』もそうだったけどこの作者の作品は舞台立ての雰囲気をこそ楽しめばいいのであって、ミステリ自体はそこまで力を入れてないのかも知れない。あちらも犯人の超人ぶりが度を超していたけど、本作の真相部分に関しては「ミスリードになる過去編」が錯綜し続けていて、誰が「その人」でももはや驚けなくなっていた。
それでも一番の大仕掛けの部分には、廃墟を見ては妄想巡らしている人ならではの発想だなとニヤニヤする。
舞台立てはいいけど話が物足りない、もっと殺せばいいのにと思っていると、最後の最後に畳みかけられる真相の数々は結構面白く、ただそこで判明する面白いピースは半分くらい活かされずに終わる。
廃墟探偵として主人公が活躍するシリーズを作りたいんだろうなぁ。
そう思うと、劇中の小説家キャラの台詞が本作の狙いも問題点も、最初から全部語ってくれているので、結局掌の上なのかも知れない。
でもやっぱりもっと遊園地全体を使ってアトラクションでいっぱい殺してほしかったなー。
という訳で安里麻里監督の『トワイライト・シンドローム デッドゴーランド』を見返したくなりました。