シャニマスのストーリーを振り返りました。Part2

 シャニマスの魅力が少しでも伝わればいいなと前回このような記事に。

 半年経て再び溜め込んだイベントストーリーを消化し始めたところ、即座に最高傑作と出会ってボロボロ泣いてしまった為、一気に残りも読み込んだ次第。

 そして結果としてこの半年のリアルイベントでの経験の数々が、シャニマスのシナリオの解像度の高さを教えてくれることに。

pikusuzuki.hatenablog.com

 その傑作とはーー。

 

アルストロメリア

YOUR/MY Love Letter

 

 プロローグ。

 そこに映るのはーーいや、まだ誰も映らない。この世界のモブに「立ち絵」はなく、名前はなく、ただ「ピアスの女性」という話者のクレジットがあるだけだから。

 職場でのポジションを俄にステップアップさせた筈だったピアスの女性は、新人男性社員の面倒をみる損な役を受け持ち、「しばし脇役に回ろう」と覚悟を決める。

 その後景から聞こえてくるのは、メディアを通して流れてくるアルストロメリアの華やかな声。世界の脚光を浴びる、名前のある「主役」たち。

 そういえばそんなアイドルもいたな。

 そう思いながら、社会人として自分の立場を全うしようとするピアスの女性の心身共に、次第に限界が忍び寄ってくるーー。

 

 

 巷では揶揄も込めて「シャニマス文学」などと呼ばれたりしていますが、同時にこれはゲームであり、実際の文学では不可能なユーザーの感覚操作とテキストが一体化している。

 「一枚絵の背景」「クレジット」「台詞が繋げる場面転換」「BGM」「SE」

 一見シンプルに見えるノベルゲームのデザイン全てがこのストーリーの仕掛け。

 オートモードに設定して映画鑑賞する如くシナリオを「浴びる」しか本作の仕掛けを堪能する術は無い一方、話者の有名無名の境目も、時間も場所も越えて、多くの言葉や感情が反射し合うテキストに翻弄されていると、気が付けば受動的であったプレイヤー自身も世界の一部に取り込まれていく。

 同時に、そうして感情移入を繰り返しながら群像劇を俯瞰するプレイヤーの視点を通した、全体を通底する一つのシンパシーの表出が肝となっていきます。

 

日常って、どうしてこんなに追い立てて来るんだろう

 

 そのシンパシーを象る感覚は、モブにもアイドルにも等しく降りかかる、意識がドロドロに混濁するほどの、「疲弊」。疲弊によって世界が一つになるかの如く、終盤では特定の個人のような/集合無意識のような、明らかに抑鬱状態にある一つの存在がシナリオ上に吐き出される。その流れの自然さによって、自らのストレスまでゲーム上に吸い上げられたようなカタルシスがそこに。

 また明確に「ネタバレ」としか呼びようのない一度きりの仕掛けを用いており、それを描いてしまったら次から世界の解像度がワンステージ上がるぞ、というスリルも味わえます。

 そして事実、本シナリオをきっかけに解放された要素が(私見では二つ)あり、シャニマス世界の解像度が上がっていく訳ですがーー。

 

 個人的には、ある人物が何度も「モノローグ」で繰り返していたささやかな季節柄の雑感が、最後にほんの一瞬邂逅するだけの人物に対してついに世間話、「ダイアローグ」として持ち出される、というくだりに感銘を受けました。

 たったひとり孤独に繰り返し思い続けていた言葉が、声に出して空気に乗り、誰かとの会話のキャッチボールの一コマに使われる。

 このゲームはアイドルを描いているというより、「アイドルビジネスを筆頭に、現代社会に横溢する数々のツールを介在させたコミュニケーションの、限界と問題と可能性」を描いているんだと想うと、一気に見通しがよくなります。

 

 また、テキスト上の台詞では「ーー」表記でしかないのに、実際には異なる台詞が発せられている場面がどんどん増えていたり、SEによる場面転換が様々な「編集の妙」を成してきているので、本当にもうオートモードで読むしかない。

 

 こちら異様に解像度の高い天城てんの実況動画。

(涙で前が見えないと混乱しながら最大の「仕掛け」の瞬間を飛ばしてるのが笑えるので、初見さんには向かない)

www.youtube.com

 本シナリオを「アイドルマスターの最終回」と呼んでいて、わかるます。

 

 

シーズ回

モノラル・ダイアローグス

 

 脚を見つけた者が言う 「これは台車に違いない」

 弦を見つけた者が言う 「これは罠に違いない」

 蓋を見つけた者が言う 「これは棺に違いない」

 やがて彼らは鍵盤を見つける ーー 音が鳴る

 

まずは、このシチュエーションの当事者になっていただく。

ーー傍観者になることを、禁止します。

はい。それじゃ、始めましょうね。

 

 二人組ユニットなのに心がすれ違う。互いを真っ直ぐに見つめることが出来ない。シャニマス最後の追加アイドル・SHHis(シーズ)のドラマは未だ最初のピリオドすら迎えることなく、各種シナリオを跨いで持続している。

 にちかの心は病み続け、美琴は空咳が止まらない。

 やがてプロデューサーは、二人をメンタルクリニックのペアカウンセリングに通わせる事にする。

 一方、美琴の元相方・ルカは、仕事を放ってとある海辺の町へと訪れていた。

 その町には、「彼女」がいる。

 

 『YOUR/MY Love Letter』で「抑鬱」の心理に踏み込んだ次の段階として、心理的ストレスの膠着状態から脱却の手がかりとして心療内科を用いる。選択肢としてユーザーに「心のプロのケアに頼る」ことを浸透させる意義は決して小さくなく。

 クリニックを「解決策」そのものとして描くことは避けている懸命さもあり、本シナリオでは話が動いたのかどうかも怪しい。一つ、シャニマス全体を貫く大きな謎は明かされるのだが……?

 『アイムベリーベリーソーリー』が描いていた事がここに繋がってくる。

 「アイドルが終わった後」も彼女たちの人生は続く。

 当然、「アイドルになる以前」にも彼女たちの人生はあった。

 それぞれの流れの上にある人生と人生が出会って互いを向き合う。そのなんと困難なことか。

 3つの人生。或いはその周辺に在るもういくつかの人生が、緩やかに混ざり合い、互いに影響を及ぼし合っていく。これはその過程のスケッチ。

 「何かを理解する」その手前の段階。「何を理解していないのかを理解する」話。

 

 

 異星人たちは、箱の正体を探ろうと鍵盤を叩き続けた

 しかし そこに旋律を見出す者も

 美しい和声を聞き取る者もいなかった

 黒い箱は、月明かりの下で依然 ただの黒い箱だった

 

 

ノクチル回

天檻

 

来る時ってね、来るんですよ 勝ってるやつの匂いがするから

 これは、「やつらのゲーム」から抜け出した、「やつら」のゲーム。

 よければ、まずこちらの予告動画をーー。

ここで印象的な、メルヴィル『白鯨』を想起させるような文言は、本編には使用されていません。

 

 かつてファンもいない段階で炎上した幼なじみ四人組アイドル・ノクチル。

 ただ四人で「海」へ出たかっただけで、アイドルにさえ実は興味のない四人の、午睡のような時間も変わろうとしている。

 メディアでは扱い辛いと恐れられる一方、モノ好きな業界人たちはノクチルを夜のいかがわしいパーティーに連れ出す。プロデューサーは彼女たちを繋ぎ留めたくて、その危険性も把握しきらないままに安請け合いをする。彼はそろそろ気づいている。彼女たちはアイドルに積極的ではないが、同時にアイドルではなかったら、今でもこんな風に仲良し幼なじみだったかどうかわからないと。

 少女たちは一部の大人に目をつけられた危うい夜も、特別な存在になった筈だったのにもはや周囲の生徒達から気にも留められない学校生活の退屈な昼も、地続きのものとして微睡むようにたゆたっている。

 その日常は、どちらも非常に不安定で、当たり前なんて実はどこにもない事がささやかに示唆されていく。足場が揺れている。だから地に足は着けず、少女たちは空を泳ぐクジラの腹の中で遊ぶ。

 「海」というモチーフを繰り返してきたことを「ナイトプール」「高校の屋上」といった舞台に繋げ、巨大なクジラを想起させる手つき。

 そして「では、クジラが自由に泳ぎ回れるような海が、この世界にあるのか?」という問いかけが、繊細に紡ぐ倦怠と茫洋の日常描写のリアルを、ゲームの外側へと拡張させていく。

 

 「アイマスだからそうは描かないが、そう見える」ハラハラするパーティー描写と、その果てで「ある部屋」を出る透が発する一言。「今、この時」の話をし続けていたのに、そこで不意に飛躍する視点に痺れる。

 シーズのシナリオは「停滞」はしているが個々の欲求は強烈でドラマチックなのに対して、ノクチルのシナリオは「売れてない」状態が持続する上にーー

(実は4つのシナリオを経てジワ…ジワ…と売れてきているが、わかりやすくブレイクしない生殺し状態)

 ーー本人たちの向上心もあやふやなので、白昼夢を見ているような微睡みがずっと繊細に保たれていて、アイドルという題材でしか摂取しえない、しかし今まで描かれてはこなかった何か。

 

 

ストレイライト回

if(!Straylight)

 

『ーー〈IF〉のセカイへようこそ

 ココはアナタのモシモが叶うバーチャルセカイです』

 

 今からかなり複雑な話とシンプルな話をします。

 

 まず複雑な話ーーこのストーリーの設定。

 大ヒットアイドルアニメ『IF』の2.5次元舞台化が決定した。

 『IF』それは自分が願う可能性「モシモ」がバーチャル世界で具現化する世界を舞台に、アニメで描かれる3人の少女と、CGで描かれる3人が願ったもう一つの理想の姿・バーチャルアイドル「デフォルトネーム」の活躍を描くアニメ。

 舞台化するにあたってバーチャル世界を表現する為、現実の少女3名と「デフォルトネーム」3名を別々のキャストが演じる事になる。

 このデフォルトネーム役のオファーがストレイライトに舞い込んだ。何故ならそもそも主人公3人のモデルは、表の顔と裏の顔を持つストレイライト自身。制作者がたまたま素顔の愛依を目撃した事に着想を得ていたからだ。

 初めての2.5次元。「クールなモデルではなく、緊張しいのギャル」という、世間に隠し続けていた愛依の素顔が密かに話に盛り込まれている舞台。

 リスクは多いが、ストレイライトはこの勝負に挑む事になる。

 

 次にシンプルな話ーーこのストーリーのテーマ。

 『 勝ってるやつらが、勝ち続ける話。 』

 

 「IF」というコンセプトを教条的に機能させるならば、「モシモ」を願う登場人物は現実がうまくいかず、一度は空想に逃げることで、やがて唯一の絶対である現実に帰着するのが定番。

 一方、ストレイライトはシャニマス最初の追加アイドルでもあった事から、そのスタート地点から今日に到る歩みが丁寧に描かれてきたユニットである。

 今ではすべての歯車が綺麗に噛み合い、欠点すら武器に変えてもはや無敵だ。

 彼女達は「モシモ」を願う必要性がない。

 しいて言えば「もしも素顔の自分を隠していなかったら」という引け目が愛依にはあったが、それでも今の三人だからこその絶妙なバランスが、彼女達に実力派アイドルとしてのプライドとスキルと、そしてそれを支える根性の原動力をもたらしている(この「好循環が起こっている現況」を、具体的な各人の行動心理の連鎖とその成果で的確に納得させてくれる)。

 そして勝ってる奴らが勝ち続けると何が起こるかと言えば、「周囲は置いていかれる」のである。世界みんなが勝ち続ける訳ではないから。

 『あの時一歩を踏み出さなければ 奈落に落ちたりしなかったのに』という、「勝てなかった」とあるモブの嘆きが意味させる不条理が、世界は本来決してスマートには出来ていないこと、そこでスマートに勝ち続ける「やつら」の怪物性を引き立たせる。

 ストレイライトだってかつてはこの「バカバカしい世界」で負けた側だ。

 でも今の彼女達は勝ち続けているから、置いていかれた者たちへの目配せまで忘れない。ひとり自分しか眼中にない天才もいるが、彼女が取りこぼした宿題をフォローするのはあなた(プロデューサー)の仕事。

 

 初読時はストレイライトの圧倒的強者っぷりに「これ何の話なんだ?」と戸惑って読み返してみると、なんの事はない、「現実の勝者はどのようなバランスの許に成り立っているのか」というリアルを、解体し再構築しているのだと気づく。

 勝っている人は、今この現実こそが「モシモ」の真っ最中にいる。

 そして今も夢が叶わず「モシモ」を願い続けるあなたとの違いは、

 「今、叶っているかいないか」。大きいようで、たったそれだけだと。

 詐術にあった如く腑に落ちてくる。

 次なるあなたの「モシモ」は、今ここから既に始まっている。

 

 優れた文学の条件の一つが「未だ言語化されてないが、確かに在る感覚を文字に落とし込んでくれるもの」だとすれば、「何もかも上手く回っていることをスマートに描く」本シナリオの初めての感触はまさしくシャニマス文学と揶揄されるに相応しい。

 その最たる箇所として、プロデューサーの言葉を斜め上に解釈したあさひが、プロデューサーの希望を遙かに上回るレベルでそれを達成する、というくだりがある。

 「思ったように伝わらない」相互理解の困難さがデフォルトな世界で、この「思った以上に伝わっている」という喜びの大きさは、それこそ今年だけでも『はこぶものたち』『YOUR/MY Love Letter』『モノラル・ダイアローグス』の重力を経てきた反動から、跳ね上がるような多幸感を伝える。

 

 ところで、自分がそれなりに熱心にプレイしていた時期(まったりマイペースで触れていたので、薄く浅いのですが)よりも、今だからこそ更に痛感するのが細部の解像度の高さ。

 この一年、推し活(便宜上用いる語彙ですよ)を通して味わった未知の世界、未知の感情、そして未知の現場で出くわした数々の光景を、結果としてシャニマスのシナリオで追体験する/或いはシャニマスのシナリオを追体験する、という事が続いている。

 その極みのような回でした。

 冬優子のシナリオの起点が「秋葉原で擦れ違ったオタク達の会話」。

 終点が「千秋楽を終えて日常に帰り、『さっきまで舞台に立ってたなんて嘘みたい』と思う」というごく親しい感覚である事もこの生々しさを増幅させる。

 観客側/演者側双方のリアルが偏らず同レベルで敷衍しているフィクションは意外と少ない。

 それに関連して。『YOUR/MY Love Letter』に於いて別のコミュに登場したモブキャラのその後の人生が描かれていた事がジワジワ効いていて、その延長上にある本ストーリー、「すべてのモブとの交流」に緊張感が生じるあたりも実在感に一役買う。

 

 上演前後のTwitterの声を冬優子がチェックしてるくだり、実際にやってるだろう役者さんがいっぱい思い浮かんだ。

 なんなら直接非常に不安定なDM送られてきて『DMは構いませんがこの文面のこの箇所、これ表現者が観客に送っちゃいけないものですよ。映画秘宝DM事件知らないんですか?』という意見をグッと飲み込み、その人をなだめるという経験も思い出した 

 

 また『YOUR/MY Love Letter』に登場する「一回り年下の女子高生アイドルに依存してる29歳女教師」なんて、言葉遣い含めて完全に現実に「います」。

 

 

越境回

ロング・ログ・エンドロール

 

 シャニマスのイベントシナリオにはルーティーンがあって、夏とクリスマス(or年末年始)はユニットを越境するシナリオ。そしてハロウィンにはプロデューサーが「向こうの世界」のアイドル達と遭遇する夢うつつのファンタジー回が用意されている。

 夏の越境シナリオで描かれる事と言えば、きゃっきゃうふふの水着回。。。と思いきや、「死」や「終わり」との戯れ。

 ぶっちゃけ毎年、冷夏です。

 そこへきてただでさえアンニュイなイベントストーリーラッシュの2022年の夏、果たしてどんな暗い話が私達の心に涼風を運んでくるのかと言えばーー。

 

 プレオープン中の山奥の豪華ホテルをみんなで利用して、その姿をプロモーションに使うという、この上なく贅沢な至福のひと時!

 そのホテルのキャッチコピーは、「ずっとここにいたくなる」。

 積み上げてきたキャラクター性をフルに、しかしこれみよがしではなくさらりと使って、女のコ同士がホテルを満喫する姿を可愛らしく綴るまさかのご褒美回。

 シャニマスの立体感溢れる背景絵がホテルという空間が持つ少し浮き足立った空気の再現に非常にマッチ。

 確かにずっとここにいたくなる、夏の楽園が描かれていく。

 

 

 ここ(ソシャゲ)は「モシモ」を叶える、本来ずっと居座ることが出来る永遠の世界なのだ(サ終しない限りは)。

 ユーザーは、気付けばその甘美な永遠に片足を踏み入れている。

 だから本ストーリーは、ずっと幸せなゆるふわタイムを描いた後に、ふと異界の者たちが問うてくる。

 いつまでも変わらずにここにいたい? と。

 

 

 かねてより、シャニマスはもう炎上覚悟で、所謂「コンテンツ」業界の常識をブチ壊すような大変動を起こしたっていいタイトルになった、アイドル達がアイドルですらなくなってドラマを演じるような展開に突入したっていいくらいに思っているのですが。

 このイベントストーリー、この先シャニマスでなにが起こったとしても「あの時、もう引き返さないって約束したよね?」という言質をユーザーから強制的に取る事には成功している

 果たして最終的に何を企んでるのか、そしてそれが実際に実現出来るのかはわかりませんが、その為のお膳立てはここに完了しているので、個人的には思う存分暴れて欲しいと願っています。

 

 ちなみに、「もうあっち側にいってしまった人たちがいる」という事実によって、実は本ストーリーも鑑賞後感は十分に冷夏でした。だってあの人たちはつまり……。

 

 

イルミネーションスターズ回

For Your Eyes Only

 

 シャニマスの得意技と言えば、具体名の容易に想起できる現実の流行に材を取り、そこからまるで異なるテーマを浮上させる手法。

 この回は明らかに『あなたの番です』が火を点けた近年の連ドラ形式をモチーフとしておりーー。

 

 連続ドラマ『誰かが、見ている』。

 キャストの名前が役柄と合致するサスペンスで、SNSと連動し誰が犯人なのか、誰が生き残るのかも予測不能なミステリー。また登場人物に寄り添った映像が展開するため、あくまで「場面ごとに、視点人物が見ている世界しか映らない」ことが特徴でもあり、映像にミスリード要素を含むことも話題の一作。

 そんな作品に出演することになったイルミネ各々に手渡された資料には、あらかじめドラマの真相の核となる設定が既に記されている(それは「主観」に纏わるものである)。だから仲良しの三人も、ドラマの撮影中は今までのようには親しく会話できない。うっかり、真相に繋がるヒントを話してしまいかねないから。

 灯織は、こんなにも距離を縮めてきた仲間が、少し秘めごとを持つだけで、まるで知らない人のように見える瞬間を不思議に感じていた。

 

 生殺しのような世界観をいつもフラットに眺めることが出来る、安心安全さが特徴のイルミネのコミュ。それでも「きみの座らないたくさんの席」について思いを馳せた『はこぶものたち』に続いて、今回は親密になれた筈の仲間と距離を置き、少し殺伐としたフィクションの中の自分に像を重ねることで、「人と自分は違う」ということの寂しさと温もりについて自覚していく。

 

 

 渋い……。

 流石に今年のコミュはどれも「そのアイドルの抱えてきた(抱えている)自己の揺らぎ」が話の前提として無数に目配せしてあって、本編で説明さえされないので、一見さんが味わい尽くすには難易度高いかも知れないですね。たぶん自分もたくさん見落としている。その見落とした余白が他者性への畏敬を育む。

 

 

アンティーカ回

かいぶつのうた

 

 いつもはアンニュイな夏イベが珍しくお祭り回だった反動で、いつもは「こちら」に迷い込んできた「向こう」の住人(アイドル達と同じ姿)と幻想的にして大作感溢れるストーリーを綴るハロウィン回が変質し、アンティーカ回とミックスされる。

 ここまでどういう話なのか先が読めないシナリオも珍し……いや結構あったな。あったけれど、やはり飛び抜けて先が読めない回。触りだけ記すと。

 

 これは、アンティーカのハロウィンライブに向けたとある「記録」。

 

 メーデーメーデー 救難信号

 こちら『ニンゲン』の世界 どうやらぼくは間違って生まれたようです

 

 プロデューサーは、夜の雑踏に子供の怪物を見つける。

 周囲でひそひそと「あれ仮装?」とウワサする声。

 また「向こう」の世界から何かが迷い込んでしまったのだろうか。それも、どうやら他の人にも見えているらしい……。

 

 アンティーカにハロウィンライブの仕事が舞い込んできた。とある天才監督の演出は、ライブ本番を盛り上げるためにいくつもの企画を並行して進めていく。その中に『人狼ゲーム』を模した『怪物探し』というゲームを5人で行い、メンバーの中に隠れている怪物をあぶり出すというものが盛り込まれている。

 この件を担当するため、他社から進行役の女性が訪れていた。

 

 やがて「怪物」は、彼女にふと漏らす。

 アンティーカはいい子たちだね。

 個性的でありながら周囲の空気を読んでいる。

 まるで浮きたくないみたいだ。

 

 アンティーカの「怪物探し」は続く。

 

 気づかれたら終わり バレたら終わり

 ああ、ぼくも『ニンゲン』として生まれたかった

 メーデーメーデー 救難信号

 助けて。

 

 『YOUR/MY Love Letter』の実験性の延長上にあるストーリーで(なのでざっくりあらすじでも触れられない箇所があった)、アレが一回きりの冒険ではなく、次のステージに上がっているのだという宣言。

 「音だけで想像するしかない関係性」「画面情報量の少なさを逆手に取ったサプライズや重層的なイメージ」などなど、たぶん現在シャニマスで一番尖ってる回。

 

 なにげに今までパラレルなサービス回だと思っていた毎年のハロウィンでの壮大な出来事が、普段は解像度の高い現実世界を生きているプロデューサーの記憶にちゃんと残っている事実に衝撃を受ける。

 その虚実ない交ぜの混乱が効果的に使われていて、やはり『YOUR/MY Love Letter』と同じ「集団無意識の具現化」のような何かに繋がっていく。

 実はアイドル達の視界には入っていないもの。だけど、「視界に入ってない、取りこぼされた者たちでさえ。共に生きていける可能性」が、彼女たちが懸命に今を生きることを丁寧に伝える事で微かに幻視される。その微かな希望を、どの登場人物でもない、偏在する視点の主=「このゲームを目にしているあなただけは」感じ取ることが出来る作り。

 

 本ストーリーも映像や文学に置換した瞬間に認識の「区分け」が発生してしまう、この形式じゃなくては伝えられない「ノベルゲーム的マジックリアリズム」な瞬間が、計三回発生している(モノローグの主、ステージからの光景、そのバックステージに佇むもの)。

 こうした未知の手応えに出会う感動が何より嬉しい。

 

 常々SNS上でのシャニマスの仕掛けには呆れ半分感心していますが、本編のシナリオがもはや迂闊にSNSできゃっきゃ出来るキャッチーさを捨てており、その自由度を保つ為にこそSNSという別働隊の仕掛けを頑張ってるんだなと思えてきました。

 

 

 今回紹介を省いたイベントが2つあり、どちらも放課後クライマックスガールズのイベントストーリーで、青春をテーマにした彼女たちの話は基本、世界の解像度の高さをひたすらポジティブなバイブスで陽の方向に回転させてくれるので、ストレートに一気に読めて解説するまでも無いんですね。

 しいて言えばノベルゲーなのに快活な身体性が伝わってくる回が多く、素直に「アイドルゲームやってるなぁ」って元気を貰える。7組いて1組くらい普通にアイドルゲームやってていいじゃないですか。それもとびきり健全な。

 そして「かつて何かに憧れた私たちが、今は憧れられる側に立っている」ことを描いた最新話『夢色ストライド、どこまでも』の中でこんな話が出てくる。

 「高速道路で車を運転していると、いつしか退屈したり、大きな走行音にも慣れてきたりする。運転している人、乗っている人にとってはもう普通のことかも知れない。けれど端から見れば、とても速く走っているのだ。たしかに」

 世界からふるい落とされた者たちの視点も持ち合わせるシャニマスが思い描く「人気アイドル像」として、これ以上なくしっくりくる解析だと思いました。

 

 カメラは車の中から彼女たちに寄り添っているが、本当に私が外から目にするはずの彼女たちは、触れられない乗り物に乗り、とても速くて、一瞬で遠ざかる。

 

 

最後にシャニマス運営へのお願い。

 UIの細かな箇所にもハッとするようなフレーバーテキストがついているのがシャニマスの良さで、イベント毎に期間限定で掲載される『今回のイベントシナリオについて』のあらすじページがとても好きなので、こちらも是非アーカイヴ参照出来ると助かります。

 

 ※コメントで教えていただけました。すでに「Pデスクの思い出ページ」から、イベントシナリオのあらすじをたどれるようになっておりました。

 

『アンカーボルトソング』あらすじ

 

『くもりガラスの銀曜日』あらすじ

 

『海へ出るつもりじゃなかったし』あらすじ


『かいぶつのうた』あらすじ